石垣島の泡盛「請福(せいふく)」。
沖縄では多くの店でボトルの持ち帰りが可能だという。
今回の沖縄行でアテンダントを勤めてくれたMさんの「持って帰れ」という勧めに素直に従い、2人では呑みきれなかった分を持ち帰った。ホテルの部屋で呑む、という手もないではなかったのだが、毎夜毎夜、たっぷり呑んだうえでの帰還なのだから、さしもの呑んべえもそのあと泡盛を、という気にはならない(ビールを呑む気にはなりますが)。必然的に、高知までの持ち帰りとなった。おおよそ1週間ほどが経ち、「請福」があることを思い出す。思い出しただけで、気分はふたたび南の島だ。
「うまかったなあ」
ということで水割りにしていただく。
だが・・・・・
それほどでもない。
いやいやけっして不味くはない。旨いことにちがいはない。
だが・・・・・
あきらかにあの味ではない。
ということで、薄い水割りを一杯だけ呑んで止めにした。
予想されたことではあった。振り返ってみればいつもそうなのだ。新潟の清酒しかり、鹿児島の焼酎しかり、そして沖縄の泡盛しかり。旅から帰還するたびに、現地の酒を当地の酒屋で求めるが、たいていの場合はがっかりするのがオチなのだ。「いやいやけっして不味くはない。旨いことにちがいはない。だが、あきらかにあの味ではない」と。
やはり現地で呑むから旨いのか。
現地で呑まないからそれほどでもないのか。
それはたしかに言えなくもないのだろうが、たぶんそこではない。
その地の人(たち)と語りその地の人(たち)と酌み交わすからその地の酒が美味いのだ。ついでに肴が美味いのだ。その地の人が知己であればなおさらのことである。
もちろん、「酒の旨さ」というやつにはその場そのとき人それぞれに幾とおりもの種類があって、「これでなければ」などという呑み方はないのだが、そういう「酒」が上位にランクされるのは、マチガイない。独り酒を好むわたしが言うのだから、なおさらのことマチガイない。
あゝ、こうやって書いていると、無性に新潟の酒が呑みたくなってきた。
本醸造「八海山」をぬる燗で。
もちろん、知己と語り合いながらである。
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