答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『大衆への反逆』(西部邁)を読む

2018年02月12日 | 読む(たまに)観る

 

大衆への反逆 (文春学藝ライブラリー)
西部邁
文藝春秋

 

「気鋭の経済学者として頭角を現した著者は、本書によって論壇に鮮烈なデビューを果たす。」(裏表紙より)

という、いわばエポックメイキング的な本であるが、それほど熱心に西部本を読んでいるわけではないわたしはもちろん初読。ただ今133/386ページまで読み進めたところだが、予想を超えておもしろい。昨日読了したばかりの遺作『保守の真髄』が、全体的にみればいささか冗長に過ぎるきらいがあったのに比べ(正直なところわたしは、飛ばし読みをした箇所がいくつかある)、40年近く前に書かれた評論の数々はシャープだ。対象物を鋭利な刃物で切り裂くような鋭さに裂帛の気合がみなぎっていて力強く、なにより読み物としておもしろい。おもしろく、そして危険な読み物である。


我が国は、物質面ではますます国際化を深めているが、精神的には逆にエスノセントリズムつまり自民族中心主義の気配を強めている。そしてそれは大衆人のエゴセントリズムつまり自己中心主義とぴったりはり合わされている。懐疑なき進歩への耽溺、凡庸なる生への埋没、野蛮なる専門知の跋扈、慢心せる文化の殷賑など、我が国の現在は、少なくとも表面では、こうした色調でぬりつぶされている。そしてそれらはみな、オルテガが批判してやまぬものであった。文化および個人の真の強さは、おそらく、自分の醜さを直視する営みにおいて鍛えられるものであろう。

 日本の強さがやかましく主張されてきたにもかかわらず、心の背面では、私たちはその主張を信じることができないでいる。真の強さは、おそらく、自分の弱さを凝視することによって獲得されるものであろう。このような強さへの旅にあって、オルテガは傑出せる案内人である。つまり彼は、大衆の世界におけるヘルメス(道しるべの神)として大衆社会のヘルメノイティーク(解釈学)を展開してみせたのである。もちろん、ギリシャ神話のヘルメスは冥土への案内神でもあるから、オルテガを読むのは危険な作業ではある。だが、危険な思想家をさけて自分を甘やかしてくれる安全な思想家のそばに蝟集するのは、大衆人のやり方である。真の強さは、おそらく、危険な思想家を黄泉から呼びもどし、それと対話するという、ホイジンガいうところの”真剣な遊び”をつうじて形成されるものではないだろうか。(P.130~131、『”高度大衆化社会”批判』)


文中の「オルテガ」という文字を「西部邁(の『大衆への反逆』)」と置き換えても何ら不都合はない。いや、むしろわたしは、そういう心持ちで本書の残り3分の2に相対していこうと思っている。いささか時間がかかりそうだが、それもまたよし。”真の強さ”など望むべくもないヘタレなオジさんではあるけれど、”真剣な遊び”とくれば、それは望むところなのだもの。

 

 

 

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