答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

紙について

2017年11月30日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

昨年、パネリストとして参加したあるシンポジウムで話題になったこと。

「どうして紙は減らないのか」

ITが進歩して、「減らないどころかむしろ増えたのではないか」というその問いに対してわたしの答えは、「減りますよ。事実、わたしは減った」。そのキッカケとして挙げたのがマルチディスプレイを使い始めたことだった。

すると、図らずも聴衆から笑い声があがった。

その中にいた知人にあとで質してみると、「あのジョーク、笑えました。むっちゃウケてましたよ。」と言う。予期せぬ反応を受けあらかじめ計算済みでしたかのように、「そうやろ」と満悦至極の笑顔で返しサムズアップをしたわたしだが、知人氏よ、せっかくウケたというのにすまない、あれは冗談ではなかった。

事実、わたしは大きく減ったのだ。

(念のため言っときますが「紙」です。「髪」ではない)

マルチディスプレイ(わたしの場合は”デュアル”、一時期”トリプル”にしていたが、さすがに3つは扱いにくくて断念。今はまた、トリプルにしてもいいなと思ってる)を使うことで「とりあえずプリントアウトする」という習慣がなくなったことが大きい。

印刷したものを参照しながらパソコンの画面を見て仕事をする。あるいは、印刷したものとパソコンの画面を比較検討しながら仕事をする。例としてすぐ思いつくのが入札前の工事費積算だ。以前なら、紙にプリントアウトした設計書を見ながら積算ソフトを操っていたのが、”マルチ”にしてからは、すべてをPCのなかで済ませてしまう。紙を使うのは最終最後。もうひとりの担当が積算した結果と答え合わせをするときだけである(そんなときは圧倒的に”紙”のほうが優れてる)。図面もしかり。プリントアウトする必要がないときはやみくもにしない。会議やミーティングもしかり。「紙の資料を配布する」というスタイルをわたし自身から採用することはめったにない。また、10年近く各現場の工程表や進捗傾向グラフなどなどをプリントアウトして技術者室にベタベタと貼っていたが(そしてそれはわが社のひとつのウリでもあったが)、それもやめた。印刷したものをわざわざ掲示しておく必然性がなくなったからだ。


工事書類の簡素化が言われて久しい。

かくいうわたしも、書類簡素化検討委員会、なんて名前の会に参加するようになってはや10年近くが経つ。

施工業者側の出席者たちはあいかわらず、「役所が増やすから(書類が減らない)」と相手の責任をあげつらうのに熱心だ(わたしを含めて、ですが) 。特に経営者層にその傾向は強く見られる。もちろん、大きな要因がそこにあるのは言うまでもない。根っからの文書主義に加えて外部からの目が厳しくなったことによる組織保護、はたまた自己保身など、その原因は色々さまざま考えられるだろうが、増えることはあっても減ることはない、あるいは減るものがあっても増えるものがそれを補って余りある。宿痾と言っていい。

しかしその一方で、自分たちが増やしている(減らそうとしない)ものについて言及する者はほとんどいない。だが考えてみてほしい。本当に官側の押しつけばかりだろうか。自分たちで増やしているものはないのだろうか。わたしは「ある」と白状することにしている。事実「ある」。そこを棚に上げて他人の責任ばかりをあげつらうのはフェアではないとわたしは思う。「工事書類が多すぎて社員がかわいそうだ」という経営者に、「自分もまた社員を苦しめているかもしれない」という自責の念はあるだろうか。そんな人たちに、「では社内で書類を減らす努力はしてますか?」と問うたとする。どんな答えが返ってくるだろう。ひょっとして、「いやアレもこれも必要だからあるのだ(から減らせない)」なんてシャレにもならない答えが返ってきたりして。いやいや十分ありそうなので考えるのはやめとこう。

 

「どうして紙は減らないのか」に対するわたしの答えは「減らそうという努力をしてないから」だ。

パソコン(もしくはワードプロセッサ)の出現と同時に、当然の要請としてプリンターというやつがあらわれた。それにともない書類の膨大化が急速に進んだ。「手書き」では考えられないような処理速度を手中にしたもんだから、調子に乗ってどんどん増やした。当然の帰結として紙が増えた。そのメインツールとしてのパソコンの役割は、「スーパー文房具」としてのパソコンでしかない。仕事の仕方が変わり得る、もしくは仕事の仕方を変え得る道具を持っているにもかかわらず、過去の延長線上でしかその道具を使えない。まことにもって視野狭窄、いや狭窄思考。そしてそれによって自分自身が苦しむ羽目になるに至っては何をか言わんやである。

と、エラそうなことをつらつら書いてきたわたしも、ご多分にもれず多くの御仁と同じようなものだ。たとえば、「やれ、三次元だ、仕事の仕方が変えよう」などと広言しながら、気がつけば「完成予想図」などといってプリントアウトして喜んでいる、あるいは3Dで描いた施工シュミレーションを2次元の施工計画書に貼りつけプリントアウトして鼻高々になっている。してみると、「事実わたしは大きく減った」と言ったところで、本質的にたいして変わってはいないのかもしれない。


つまるところわたしが言いたいのは、「他人のせいにしない」ということである。まず自分自身をふりかえり、おのれの仕事のスタイルを変えようという試みなしに他責の念をつのらせるばかりでは、自分も自分が置かれている環境も救われない。批判や意見や提言や、それに類するもろもろを否定しているのではない。そこに自責や自省なしに他人を責めたてるばかりでは、自分も自分の環境も変わり得ない。少なくとも、他人に向かって「変われ」と要求する人間は、自ら「変わろう」としなければならない。自ら「変わろう」という意思と自ら「変わろう」とする行動なしには、自分も自分が置かれている環境も救うことはできない。

 

 

以上、「どうして紙は減らないのか」についての一考察。

「減ってるじゃないか」という指摘は受けつけない。

あくまでも「紙」の話である。

「髪」ではない。

 

 

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