答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

酒は呑んでも呑まれるな(というつもり)

2017年11月08日 | 食う(もしくは)呑む

「(呑んでも)クルワナイですよね」と言われたことは数え切れない。

「秘訣ってあるんですか?」とも。

数え切れないほど「(呑んで)クルッタ」ことがあるわたしであるにもかかわらずだ。

たしかに、「(呑んでも)クルワナイ」ほうだと自分自身でも思う。「数え切れないほど(呑んで)クルッタ」と言っておきながら、「たしかに、(呑んでも)クルワナイほうだ」とは明らかな自己撞着ではあるけれど、めったなことでは「クルワナイ」。いやいや、「めった」という形容動詞を使うのもまた、「数え切れないほど(呑んで)クルッタ」と言う自白の前では無力に等しいが、どちらにせよ、確率的にどちらが高いかといえば「(呑んでも)クルワナイ」ことのほうが多い。

おいおい、「(呑んで)クルウ」ほうの確率が高い人間なんてのは、それこそごくごくごくごく一部だろうが」と別のわたしが問いかけるのに対し、「そうでもないぜ」と返すわたし。「なにせ、酒ってやつはキチガイ水だから基本的にはクルウ。程度の大小こそあれ、普通ではいられなくなるという意味で、クルウ」と補足する。

そうであれば、「(呑んでも)クルワナイ」ための秘訣などないだろうが、と訝るそこのアナタ。それがそうでもない。

では、それは何か。45年に及ぶわが酒呑み史で、「これだ」とわたしが確信するものは、じつはひとつしかなく、それもじつにあっけなく、当たり前すぎておもしろくもなんともない。


「酒は呑んでも呑まれるな」


誰でもが知っているこの言葉を、わたしが初めて耳にしたのは高校三年生のとき。卒業を間近に控えた春。夢と希望と青雲の志を抱いて瀬戸内海を渡ろうとウキウキしていたわたしに、とある法事の席で、親族の長老が教えてくれた。

「酒はなんぼでも呑め。けんど呑まれたらいかんぞ」

「へ~、うまいことゆうもんやな」と感心したが、なんのことはない。知らぬはわたしばかりで、それは、陳腐と表現してもよいような、誰でもが知っている言葉だったと知ったのはかなり経ってからだ。だがそれはそれとして、爾来、酒席でのわたしにとって座右の銘、いや呪文となった。

「酒は呑んでも呑まれるな」

「酒は呑んでも呑まれるな」

「酒は呑んでも呑まれるな」

と、呪文を三度唱えると、あ~ら不思議。いくら呑んでも酔わないしクルワナイ。


なんてことが世の中にあるはずもなく、若いころは呑んでは吐き吐いては呑みの繰り返しのなかで、幾度となくクルイ、数え切れないほど失敗を積み重ねて今、還暦のわたしがここに居るのだが、振り返ってみると、けっしてあの呪文はムダではなかったと断言できる。

特に若い人にはオススメ。


「酒は呑んでも呑まれるな」

 

「というつもり」という括弧つきであっても、十分に有用なのである。



 

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