答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「あなたがあそこにダムを作るのね」「僕も作る」(『無名碑』より)

2016年05月31日 | 土木の仕事

    

 

阿賀野川水系只見川にある田子倉ダム。

Discover Doboku 日本の土木再発見』というFacebookページに紹介されている姿を見て(ここに掲載した画像はJ-POWERダムカード配布案内より)、田子倉ダム建設が舞台のひとつとなった『無名碑』の一節を思い出す。

 

「あなたが、あそこにダムを作るのね」

「僕も作る」

「名前は書かないのね。あなたの仕事は」

「そうだよ、小説家とは違う」

竜起は思い出して笑った。

「書かないのがすてきだわ。名前は残らないほうがいいの」

「僕の仕事は一生どんなにいい仕事をしても個人の名前は残らない」

「でも、私たちの子供が覚えていてくれるでしょうね。私、子供に教えるつもりよ。このダムはね、お父さんが作ったのよ、って」

「それで充分じゃないか」

(『無名碑(上)』曽野綾子、講談社文庫、P.128)


無名碑 上 (講談社文庫 そ 1-3)
曽野綾子
講談社


「地図に残る仕事」だが、そのモノをつくった一人ひとりの名前は残らない。これをして「土木の無名性」という。

情報を発信しないことは、自らを「なんだかわからないもの」のまま止めおいていることであり、すなわちそれは、「どうぞ好き勝手に解釈してくださいな」と円環のなかに自らを閉ざしていることに他ならない。

だから「なんだかわからないもの」から脱却するためには情報を発信しなければならないのだと、桃知さんからの受け売りを継ぎ接ぎし、アチラコチラで語ってきたわたしだが(これからもつづけます、しつこいヨ)、そのじつ、この土木という仕事が持つ無名性というやつが嫌いではない。

たとえば高知県優良建設工事表彰は、会社表彰とは別に技術者個人を表彰してくれる制度となっており、かくいうわたし自身、その恩恵をありがたく授かったこともある。そしてそれは、公共土木工事の技術屋をやっていくうえでは大いなる励みであり、技術者一人ひとりのモティベーションアップにつながっているのも間違いない事実だ。しかし、もらうたびに、「ちょっと違うんじゃないか」と感じているのもまた、わたしの率直な感想だ。

プロジェクト・マネジャーとしての土木技術者がひとつの現場で占める役割は大きい。だが、あくまでもそれは一部に過ぎない。技能労働者を含め現場にたずさわった者たち一人ひとりが、総体としてのチームでつくるのが土木におけるモノづくり(場所づくり)だとしたら、「現場」こそが表彰の対象であり、技術者個人についてはなくてもよいのではないだろうか、などとわたしは思う(もちろんもらえるものは貰います、どん欲に獲りに行きもします、矛盾してるようですが)。

あらあらゴメンナサイ。そんなことを書くのがこの稿の本意ではなかった。

 

「あなたが、あそこにダムを作るのね」

「僕も作る」

 

「僕の仕事は一生どんなにいい仕事をしても個人の名前は残らない」

「でも、私たちの子供が覚えていてくれるでしょうね。私、子供に教えるつもりよ。このダムはね、お父さんが作ったのよ、って」

「それで充分じゃないか」

 

この言葉にロマンを感じるか感じないかは人それぞれ。押しつけるつもりはない。

だが、少なくともわたしはぐっとくる(だからといって、いたずらに情緒的あるいは感傷的になることは厳に戒めなければなりませんが)


「このダムはね、お父さんが作ったのよ」

 

「普通の暮らしを下支えする」のが「土木という仕事」だとしたら、「それで充分じゃないか」。

 

 

 

 

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