答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

意図に対する信頼

2016年01月12日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

「意図に対する信頼」

近ごろ頭のなかを行きつ戻りつしているキーワードだ。何を今さら、ではある。だが、出たり入ったりを繰り返している。


「意図に対する信頼」

山岸俊男さんが、その著書『安心社会から信頼社会へ~日本型システムの行方』(中公新書)で

1.相手の能力に対する信頼

2.相手の意図に対する期待としての信頼

のふた通りの信頼をはっきりと区別すべきだと提案しているところの、「意図に対する信頼」である。

山岸さんは、それを簡単にいうと

 

相手がやるといったことをちゃんと実行する能力をもっているかと、やるといったことをやる気があるかの区別です。(同P.13)

 

と書いたあとで、さらにこんな例えを持ちだして説明している。

 

自分の乗っている飛行機のパイロットに対する信頼と、夫が自分のことだけを愛してくれていると思っている妻の夫に対する信頼とを比べてみればよくわかります。たいていの人は飛行機にのる時には、パイロットが飛行機の操縦に必要な能力をもっていると考えています。これが能力に対する期待としての(パイロットに対する)信頼です。これに対して、夫は浮気をしていないと信じている妻の場合には、夫に浮気をする能力がないと考えているわけではないでしょう。もちろんそういった場合もあるかもしれませんが、多くの場合は、夫は浮気をするような人間ではないとか、自分を愛してくれているからといったかたちで、夫の浮気能力ではなく、浮気をする気があるかどうか、すなわち夫の意図についての期待ないし信念をもっています。これが意図に対する期待としての信頼です。(同P.14)

 

ここで「浮気」を例えとして持ち出すと話があらぬ方向へいってしまうんじゃないか、と下世話なわたしなんぞは心配かつ苦笑してしまうのだが、たしかにこう言われればよくわかりやすい。

で、これを踏まえたうえで、近ごろとみにこう思う。意図するものがなんであったか、目指す方向性がどこであったか、結果はどうあれ、そこを信頼してやる(信頼しあう)ことが大切なのではないかと。

もちろん、渡る世間はそんなに甘くはない。「やるといったことをやる気」があったからといって、「浮気をする気がない」からといって、結果として「やらなかった」り「浮気をしたり」すれば、それは責められるべきに違いないものなのだろう。「やろうと思ったのに」「浮気をする気はなかったのに」が通用するほど甘くはない(だから「浮気」の例えはダメだって)。だが、できうる限り意図を斟酌するように努めることが、信頼を醸成していくうえで肝要なことなのではないかと近ごろ思うのだ。

そしてその立場を逆にして考えれば、こちらの意図するところが何なのかを発信することなしに、相手が、そして周囲が「わかってくれない」というのは単なる甘えにしか過ぎない、という結論にたどりつく。

情理を尽くして意図を伝える。言動をもって伝える。 

それがなければ、例えば「やるといったことをやる気」がある、あるいは「浮気をする気がない」、という場合の「気」があるのかないのかさえよくわからない。(だから「浮気」の例えはダメだってば ^^;)

「能力に対する信頼」を得る。仕事である以上、それをこそ目指すべきだろう。

しかし、「公共土木という仕事」においては、あらゆる面でコミュニケーションが必要不可欠なものだということを踏まえれば、

(相手の)意図に対して信頼をする

(自分の)意図に対して信頼をしてもらう

ということもまた、重要な意味をもってくる。


 

「意図に対する信頼」

近ごろ頭のなかを行きつ戻りつしているキーワードなのだ。

 


 

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