今日は書くネタがない。
草稿で置いといた文章がないかと覗いてみるが、ピンとくるのがない。
3ヶ月ほどさかのぼって、あった。
加筆修正をして、陽の目を見せてやることにした。
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Web時代を高速道路に例えたのは羽生善治で、そしてその高速道路は渋滞してしまうということを喝破したのも羽生。
そのことを踏まえて、「さらに高いみち」を選ぶか「けものみち」を選ぶか、と書いたのは梅田望夫である。
さて羽生善治が提示した高速道路論の難問とは、「素晴らしい高速道路はできたものの、高速道路を走り抜けた先には、「大渋滞」が待っているぞ、そんな時代に我々はどう生きればいいのか」であった。私なりに何年間か考え続けて出した結論は、次の通りである。
・・・大渋滞の存在にかかわらず、自分が好きなことについて目の前に高速道路が広がっているのだから、とにかく行けるところまで突っ走ってみよう。そして仮に大渋滞に差し掛かったら、その専門をさらに突き詰めて大渋滞を抜けようとするか(「高く険しい道」)、そこで高速道路を降りて、身につけた専門性を活かしつつも個としての総合力をもっと活かした柔軟な生き方をするか(道標もなく人道がついていない山中を行くという意味で「けものみち」と呼ぶ)、そのときに選べばいいじゃないか。(『ウェブ時代をゆく-いかに働き、いかに学ぶか』、梅田望夫、P.101)
そして私は、他人さまがなんと思おうと、高速道路のランナーなどではけっしてありえない辺境の土木屋である(だいいち、この地には高速道路がない。ちがうか)。
しかし、そんな私がWebから受けた恩恵は計り知れないものがある。これは間違いがない。だからこうやって、取るに足らないようなことかもしれないが「出力」しようとする。取るに足らないことの積み重ねの、何十回に一回かは、クリーンヒットするかもしれないと思うからである(もちろんポテンヒットでも満足だ)。
そういう意味では、同じく羽生さんが言うところの、
情報化社会を上手に生き抜いてゆく方法は、供給サイドに軸足を置くことだと思う。(『大局観』、羽生善治、P.126)
のほうが簡潔でしっくりくる言い回しなのかもしれないが、私としては、「情報化社会を上手に生き抜いてゆく」というよりも、
贈与されたものに対する反対給付義務の遂行とは、「等価のものを贈与者にお返しして、チャラにする」ことではない。(内田樹)
ということを前提とした次の言葉。
贈与は贈与者にそのまま送り返すことができない。それは「次の受け取り手」に向けてパスされなければならない。(内田樹)
という言葉を拠りどころにしたい(というか、ある時期から、してきた)。
ちょっと格好をつけすぎか?とも思うが、ま、そういうことである。
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