答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

中岡慎太郎生誕180年

2018年04月13日 | 中岡慎太郎

本日4月13日は、わが中岡慎太郎の生誕記念日。

1838年の生まれだから今年で丸180年だ。

ということで、せめてもの御礼にと愛用のマウスパッドをゴシゴシ洗う。

わたしにとっては毎年恒例の行事である。

 

 

志とは、目先の貴賎で動かされるようなものではない

望むべきは、その先の大いなる道のみである

今、貴いと思えるものが明日は賎しいかもしれない

今、賎しいと思えるものが明日は貴いのかもしれない

君子となるのか、小人となるのかは、家柄の中にはない

君、自らの中にあるのだ

(中岡慎太郎)



  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う


コメント

謙虚とは堂々として過信しないことだ。それは断じて卑屈であることではない。(中岡慎太郎)

2018年01月24日 | 中岡慎太郎

歴史上の人物で誰がもっとも好きかと問われたら中岡慎太郎と答える。

40年前なら迷わず坂本龍馬と答えていた。30年前も、20年前も、そうだった。10年前は・・・龍馬ではなかったが慎太郎でもなかったような気がする。今は躊躇することなく中岡慎太郎だ。

その慎太郎さんの言葉は、いくつかこのブログでも紹介してきた。

そのなかでもっとも多く、ことあるごとに引いてきたのはこれである。

 

志とは、目先の貴賤で動かされるようなものではない。

望むべきは、その先の大いなる道のみである。

今、貴いと思えるものが、明日は賤しいかもしれない。

今、賤しいと思えるものが、明日は貴いかもしれない。

君子となるか、小人となるかは、家柄の中にはない。

君、自らの中にあるのだ。


このごろ頭のなかを巡っているのはこの言葉だ。

 

謙虚とは堂々として過信しないことだ

それは断じて卑屈であることではない


このところ検査がつづいている。

公共建設工事に検査は付きものだ。なおかつ、今という時代の公共建設工事(一定金額以上)には検査の結果としての工事成績評定点というやつがもれなくついてくる。わたしたち受ける(評価される)側の人間は分が悪い。端から全面降伏的姿勢で受検する人も多い。ややもすれば卑屈ともいえる態度をとってしまう人もまた多い。

それをして、「負けて勝つ」だと利いた風なことを言う人もいるが、わたしはそうではないと思う。「謙虚」は、検査に限らず渡る世間ですべからく持ちつづけなければならない心持ちだ。「卑屈」ではない。「卑屈」と「堂々」は相反して共存しない。だが、「謙虚」と「堂々」は共存できる。

とはいえ現実には、そういうわたしとてなかなか思い通りにはならない。思い通りにならないことだらけのなかで、ときとして自然発生的に、場合によっては戦術的選択として、ときには媚び、ときには卑屈になりして公共建設工事という世間を生きている。しかし、いやだからこそ、その現実を重々承知のうえで慎太郎さんの言葉を噛みしめるのである。

 

謙虚とは堂々として過信しないことだ

それは断じて卑屈であることではない


さっ、今日もはりきっていってみようか。



 

  

 有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。


コメント

中岡慎太郎没後150年の日に慎太郎マウスパッドを洗濯する。

2017年11月21日 | 中岡慎太郎

去る今月17日は、中岡慎太郎没後150年の節目の日だった。

150years anniversary after the deth of Nakaoka Shintaro である(まちがってたらゴメンナサイ)。

村では墓前祭などの行事がにぎにぎしく開かれているのをよそ目に、わたしはひっそりと愛用のマウスパッドを洗濯した。

 

 

志とは、目先の貴賤で動かされるようなものではない。

望むべきは、その先の大いなる道のみである。

今、貴いと思えるものが、明日は賤しいかもしれない。

今、賤しいと思えるものが、明日は貴いかもしれない。

君子となるか、小人となるかは、家柄の中にはない。

君、自らの中にあるのだ。

(中岡慎太郎)

 


もうすぐ齢(よわい)60に届かんとするオヤジが、

「未だ小人ではありますがこれからも精進します!」

と、30歳の慎太郎さんに誓った日。


 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

コメント

「こんなところ」から

2016年04月13日 | 中岡慎太郎

 

本日は、わが中岡慎太郎178回目のバースデイ。

出社後まず、愛用の慎太郎マウスパッドに沐浴していただき、洗剤をつけて磨いてさしあげ、あらためてそこに記されている言葉をかみ締めてみる。

 

今、尊いと思えるものが明日は賎しいかもしれない。

今、賎しいと思えるものが明日は尊いのかもしれない。

君子となるのか、小人となるのかは、君、自らの中にある。


正しくはコチラ


志とは目先の貴賎で動かされるようなものではない。

望むべきはその先の大いなる道のみである。

今、尊いと思えるものが、明日は賎しいかもしれない。

今、賎しいと思えるものが明日は尊いかもしれない。

君子となるか、小人となるかは家柄の中にはない。

君自からの中にあるのだ。

 

 

そういえばあの人たちが来ていたとき・・・

と拙ブログのバックナンバーを紐解いてみると、あったあった。2012年11月22日の稿である。

慎太郎さんの生誕178年に寄せて再掲する。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

【辺境から】(ちょっと加筆修正)


客人を乗せて運転する私の後部座席で、

「へ~」「(こんなところで仕事をするのは)大変だね、こりゃ」...

とかなんとか皆さんが仰っしゃるのを聴きながら、いつもは冗談半分に辺境の民を名乗る私だが、あらためて偏狭に、もとい辺境に生きているのを実感した。


「これ、国道ですよ」

「え?国道?」

「落石注意って看板を見たって、どこをどう注意していいかわからないよね」

「・・・・・・・・(そりゃまっことそのとおり)」

 

そんなこんなのやり取りもありながらわが社の現場をひと通り見てもらい、モネの庭へ行ったそのあと、締めは北川村柏木。我が慎太郎さんが生まれ育った場所である。


到着すると、北の大地から来たある方が、

「こんなところから・・・すごいよね」

しみじみとそう言う。

「こんなところから、日本を変えようと出ていったんだ」

とつづけた言葉で、そうかそうなのだな、と気づかされる。

慎太郎生家から山ひとつ隔てたところで日々を営む私は、「こんなところ」ということを普段は感じずに生きている。だが、実際のところ私は「こんなところ」の住民なのだ。

もちろん、「北の大地」さんが言うところの「こんなところ」とは、最上級の褒め言葉である。

慎太郎さんを認めてくれるからこそ、その志と「こんなところ」とのギャップに感動してくれたのだ(ネ、たぶん)。

そのときいみじくも・・・

石原慎太郎、と言い間違えた同行者がいて、そしてそれは単なる言い間違いに過ぎなかったのだが、

地を這い未完のうちに逝き、後世である未だに正当な評価をされているとは言い難いわが慎太郎さんと、かの(老いてなお大向こうを唸らせることのみに執着しているかのような)慎太郎氏では比較にすらならないと、すでに慎太郎さんより20年以上も長く生きてしまった私は、そう思う。だから「維新」という言葉を軽々に使わないでほしいものだと、そうも思う。

そんな私やアナタが生きている今という時代、Webという時代は良くしたもので、「こんなところ」に居ながらにして、容易に世界へとつながることが出来得るのだが、それを比較するとなおさら、「こんなところ」という言葉が、よりいっそうの凄みを増して私の脳ミソに響くのだ。

さらに言うと、当時の土佐という国あるいは土佐人の凄さと哀しさは、それが中岡慎太郎いち個人のみにとどまらず、幾多の草莽の志士たちが「こんなところ」よりも奥深い辺境からも続々と湧き出し、そのほとんどが志し半ばで散っていったところにある。


「いや~、アンタと知り合ってなかったら、オレ絶対こんなところまで来てないはずだもんね」


北の国から遠路はるばる来てくれた仲間の言葉で、この国の礎(いしずえ)のそのまた礎となった同郷の先達たちに、あらためて感謝する私なのだ。



  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村


コメント

相手の言うことを目で聞き取ることも大事ぜよ ~ 『竜馬奔る 土佐の勇』(山本一力)を読む

2015年10月26日 | 中岡慎太郎

 

龍馬奔る 土佐の勇
山本一力
角川春樹事務所

 

『竜馬奔る 土佐の勇』、少年編につづく第2巻だ。

初巻を読んだのが2011年だから4年ぶり。待望久しい、というには、いくらなんでも4年は長過ぎ。すっかりわたしの頭のなかからは消え去っていた。

 

2011年7月13日高知新聞より

執筆に当たり、山本さんは二つの方針を決めた。一つは「龍馬と中岡慎太郎の2人を主人公として描く」こと。

(中略) 

「慎太郎はおとこ気があり知恵も回った。龍馬にはそれを上回る、人を集める力があった。慎太郎は龍馬と組めばやりたいことができると分かった。薩長をくっつけるという発想は慎太郎だと思う。実現を阻害するのは不信感だが、龍馬なら長州も話を聞く。龍馬は天才的な『いちびり(お調子者)』、ほかの人にはまねできない」

 

今回も、相変わらずの龍馬と慎太郎のW主役で物語は進む(にしては慎太郎の扱いが小さいが、ま、ええか)。

どうしても慎太郎に肩入れしながら読んでしまうのは北川村民なれば仕方のないこと。

だが、こんな父と子の描写を読むと、「うむ、いかにも慎太郎らしいわい」とほくそ笑むのだ。

 

 慎太郎が口を閉じるのを待って、小傳次は茶をすすった。湯呑みを戻し、息子に応えた。

「おまえが本気で信頼したという相手やったら、たやすう見限ったりしたらいかん」

 湯呑みは強い湯気を立ち上がらせている。再び手に取った小傳次は、口をつけぬまま話を続けた。

「真正面からぶつかり、ことの真偽をおまえの目と耳で確かめたらええ」

 ズズッ。

 茶をすすったあとは、慎太郎を見る目の光が強くなった。

「ひとによったら、口はなんとでも言うもんじゃきにのう。しっかり両目を開いちょいて、相手の言うことを目で聞き取ることも大事ぜよ。

 小傳次が口を閉ざしたあともしばしの間、慎太郎は黙して父親を見詰めていた。

 相手の言葉を目で聞き取る。

 諭しを身体の芯に刻みつけたあと、慎太郎は得心の言葉を口にした。

「ご教示、肝に銘じます」

(P.208)

 

中岡慎太郎、ときに15歳。

のちの盟友、龍馬は17歳だ。

 

「あゝ、いったい次はいつになるのよ」と独りごちつつ、『竜馬奔る』巻の2、「土佐の勇」を読み終える。


今日の慎太郎さん、凛として秋空に映える。


ということで、昼の休み、慎太郎さんにあいさつに伺ったわたしなのでした。

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

 

コメント

世間因循傍観区々として

2015年09月19日 | 中岡慎太郎

 

中岡慎太郎館が編訳した『慎太郎名言集1』。

Googleで「慎太郎名言集」と検索すると、おびただしい数の「石原」の存在に、なんだか気分が良くないわたしだが、「慎太郎」といって「中岡」を思い浮かべる人なぞ、この北川村以外ではマイナーなのだろうから致しかたない。

『慎太郎名言集1』(いっとくが「石原」ではなく「中岡」だ)、今日はその中から、わたしが気に入ったひとつを紹介する。

 

世間因循(いんじゅん)傍観区々として、只人の失策を求め笑い、坐して天下の機会を失し甘んじて人の後に落つ

 

慎太郎館による訳はこうだ。

世間には評論家気取りの傍観者がいて、人のあら探しをし、失敗を笑う。だがそんな人は、チャンスをつかむことも人の上に立つことも出来ない。

とりわけわたしが好きなのは前半部分。

 

「せけんいんじゅんぼうかんくくとして、ただひとのしっさくをもとめわらい」

なんだか呪文のようでリズムがいい。

「せけんいんじゅんぼうかんくくとして、ただひとのしっさくをもとめわらい」

サウイフモノニ ワタシハナリタクナイ。

 

 

中岡慎太郎伝―大輪の回天

松岡司著

新人物往来社

 

中岡慎太郎〈上〉 (人物文庫)

堀和久著

学陽書房

 

中岡慎太郎〈下〉 (人物文庫)

堀和久著

学陽書房

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

   発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

 

 高知県情報ブログランキング参加用リンク一覧  

にほんブログ村

コメント

『「時勢論」解説』(中岡慎太郎館)

2014年04月14日 | 中岡慎太郎

 

きのうの日曜日は中岡慎太郎館20周年記念式典。

招待者に配られた記念品のなかにあったのは、『「時勢論」解説』(編集発行中岡慎太郎館)。

見たとたん、思わず、「ほ~、こりゃええわ」と声が出た。

まこと値打ちのあるお土産である。

巻末に2014年4月初版、とあるから出来たてホヤホヤ。

『時勢論』(慶応元年冬)

『窃(ひそ)ニ知己ニ示ス』

『愚論窃ニ知己ノ人ニ示ス』

『時勢論』(慶応3年夏)

という4つの論策からなる、我が中岡慎太郎さんの政治論文集である。

 

昔の人が言う、決断に大事なのは成功や失敗を忘れることだと。これは正論である。

物事の機会の得失は前に証明した通り、敗北は恐れるに足らず。憂えるのは、勝利に酔いしれてしまうことである。

(『時勢論』より)

 

『「時勢論」解説』、

中岡慎太郎館の編集発行なのである。

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

    発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント

もちばい

2014年04月13日 | 中岡慎太郎

 

中岡慎太郎館開館20周年記念式典は、あいにくの雨。

お祝いやイベントにはつきものの「もちばい」もまた雨のなか。

雨中の「もちばい」である。

「もちばい」。

広く世間ではこの行事を餅投げというのだろうが、我が高知では「もちばい」。

「餅を奪う」というゲームなのである。

しかしながら、さすがに雨のなかともなると人出は少ない。

いつもほど壮絶な「ばいあい」(奪い合い)は見られなかったが、

画像をご覧になってもらえればわかってもらえるように、

そこらここらで、しっかりとファイトが繰り広げられていた。

まこと高知県人は、「もちばい」が好きなのである。

(個人情報保護のため、おとなしめの写真を厳選しております ^^;)

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

    発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

 

コメント

2014年の慎太郎

2014年03月09日 | 中岡慎太郎

きのうから絶賛開催中の「土佐のおきゃく」の一貫、

「ハピもぐ海山フェスタ」で太鼓を叩くべく、朝もはよからお城下へ。

去年までの高知中央公園から場所を変え、今年は高知駅前。

南国土佐の高知の玄関口で、初めての北川村やまなみ太鼓である。

高知駅前とくれば、例のあの三志士像。

武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎。

とりわけ我が慎太郎さんの前での太鼓打ちとあれば、前夜から気合充分ヤル気満タンの私なのである。


ということで、他のどの演目者よりも早く着いた私たちは、着くなりセット、さっそくリハーサル。

「慎太郎さんやるぜ、見ちょいてよ」

とステージ前方の三志士像を見てみると、

「ん?」

いないのである。

あろうことか、我が中岡慎太郎がいないのである。

「ありゃ?慎太郎さん二日酔いで遅刻やろか?」

と一瞬だけ思ったが、

この私ならいざ知らず、あの中岡慎太郎に限って、そんな自堕落なことをするはずがない。

となればリハーサルどころではない。

そそくさと前へ回り確かめてみる。

 

 

左から、武市、龍馬、

慎太郎さんがいるはずの場所には・・・

 

 

「只今、補修中!」の看板が。

 

「ほ、補修ってアンタ」

と思わずつぶやく私が、

かたわらにある説明看板を読んでみると、

どうやら「順次メンテナンス中」ということらしい。

「おんちゃん、見てみ。龍馬の色つやがえいで」

という姪っ子の言葉に従って、真ん中に立つ龍馬さんを見てみると、

まこと坂本龍馬像だけが確かに新しいのである。

「そうか、メンテナンスならしゃあないわな」

と、いささか残念ではあるが納得し、

メンテナンス中の慎太郎さんに届けと、渾身の太鼓を打った日曜日。


しかしなんである。

建てた当時は悪評ふんぷんだった三志士像。

今ではなくてはならない高知駅前の顔になった。

そして、我が中岡慎太郎もまた、なくてはならない顔なのだと、

慎太郎さんがいない三志士像を眺めながら、実感したのである。



 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

    発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。


コメント

岬の慎太郎さん

2014年02月03日 | 中岡慎太郎

きのう、2月1日は室戸市の観光びらき。

に行こうと思って室戸岬を訪れたわけではない。

娘宅に用事があって赴くと、「岬でやってる」のだと教えられたからである。

「港んとこ?」

「ちがう、慎太郎のとこ」

(ん?そういや室戸岬の慎太郎さんにはしばらくお目にかかってないぞ)

ということで、室戸岬である。

2月初めというのに20度超えの陽気。

「いかにも南国土佐の高知」という感じの室戸岬である。

折しも、慎太郎像の下では豆電球さんが、ご存知「土佐っぽ」を熱唱中。

そんなロケーションのなか、久々にお目にかかる「岬の慎太郎さん」を仰ぎ見て、

 

  謙虚とは堂々として過信しないことだ

  それは断じて卑屈であることではない

          (中岡慎太郎)

 

という言葉を頭のなかで反芻する私。

残念。

私としたことが写真を撮り忘れてしまった。

 

 

高知県立坂本龍馬記念館さんより拝借。

室戸岬の慎太郎さんである ^^;


 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

           

            有限会社礒部組が現場情報を発信中です

 

     

    発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント