答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

ありがとうございました。 ~ 北川村のお弓祭り(その47)

2017年01月09日 | 北川村のお弓祭り

 

 

 

いっこうに降りやむ気配がない雨を恨みつつ、ほんのこの前、嘆息しながら読んだ新聞記事を思い出す。

 

1月3日高知新聞より

都道府県が無形民俗文化財に指定した祭りや踊りなどの伝統行事のうち、継続的な実施が難しくなり休廃止されたものが20県で計60件あることが、3日、共同通信の調査で分かった。

(略)

休廃止事例が多い県への聞き取りでは、背景として過疎や少子化、若者の都市部への流出などによる担い手減少を挙げる声が目立った。

 

他人ごとではない。明日はわが身だ。

だが、少なくともわたしはこう思うことにしている。

一昨年の今日、前回のお弓祭りを締めくくって書いた稿を引いて、今回の『北川村のお弓祭り』レポの締めとしたい。

 

私たちは伝統をキープする者として存在しているわけではなく、次の世代に向けてのパッサーとして生きている。

祭りの存続に対する危機的状況は、回を追うごとにその深刻度が増してきている。だが、延喜の御代より連綿とつづいてきた「伝統のレシーブandパス」のサイクルの構成員として自らが存在していると考えれば、なんだかまたヤル気も湧いてくる。

 

平成29年1月8日、平成の御代を生きるわたしたち誰もが記憶にない、降りしきる雨のなかのお弓祭りが終了。

みんなよくやった。

関係者全員に感謝したい。

ありがとうございました。

 

 

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雨 ~ 北川村のお弓祭り(その46)

2017年01月08日 | 北川村のお弓祭り

 

 

平成29年1月8日、雨。

北川村のお弓祭り、本番の朝、

7日間の修行を経て最後の水垢離に望む若人たちは、

ダイビングする者あり、

さっそうと水を切って泳ぐ者あり、

すこぶるつきで元気である。


弓引くものも、

世話するものも、

端で見るものも、

誰しもが歓迎せぬ雨ではあるが、しようがない。

 

さあ、張りきっていってみよう。

 

 

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アビラウンケンソワカ ~ 北川村のお弓祭り(その45)

2017年01月07日 | 北川村のお弓祭り

お弓祭りには数々の文言(呪文)がある。

たとえば、朝、川に入る前はこう。

「一水神や天の川、七十閻魔の水起こし、アブラウンケンソワカ」

またたとえば、着服の儀ではこう。

「昨日までこけの衣に着もくれて、今日は脱ぎ捨て精進帷子を着るぞ、アビラブンケンソワカ」

またたとえば、射場に入るときはこう。

「今日この射場に立ちたるかねもり金性の男、ススの白竹矢を以て悪魔けり、射払うぞ、あびらうんけん」

多くの所作や儀式を、呪文とともに行う慣わしとなっている。

「あれって”アブラ”っていうのや”アビラ”っていうのや”ソワカ”がないのやら、色々あるけど全部別々に覚えないかんのですか?」

とわたしに問うのは今回始めて弓引きさんとなったKくん。うん、真面目な質問だ。

それに対するわたしの返答は、

「全部のうしろにアビラウンケンソワカってつけたらええがよ。大事なのはアビラウンケン。ブとビはヒアリングの違い。細かいことは気にすんな」

ア(地)

ビ(水)

ラ(火)

ウン(風)

ケン(空)

ソワカ(?)

真言宗派であるわたしは、オンアビラウンケンソワカという音律で幼少より聞き覚えのある呪文。大日如来の真言だそうな。お弓祭りの文言の場合、”オン”が抜け落ちているのだが、なにゆえそうなったかはわからない。

そもそも真言という仏教の言葉が、なぜ神事と結びついているのか。勘のいい方はすでにおわかりだろうが、神仏習合の名残りである。いや、「名残り」というのはふさわしくない。境内に金宝寺(高法寺)という寺が同居する星神社は現役だ。大日如来が彫られた磨崖仏にしめ縄を飾り、お弓祭りには住職が祭祀に参加し、神事が終わったあとは各社とともに観音堂にも榊の枝を祀る。現役バリバリの神仏習合なのである。

とかナントカと、オジさんが垂れるそんな講釈をはさみながら、今日も稽古はつづく。

本日午後からは全12人の射手がうち揃っての全体練習で、明日8日はいよいよ本番。

雨にならねばいいのだけれど。


 

 

神官と住職

(星神社お弓祭り保存会、平成21年、『星神社のお弓祭り』より)

(ちなみに住職はわたしではございません ^^;)

 

 

 

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少年老いやすく ~ 北川村のお弓祭り(その44)

2017年01月06日 | 北川村のお弓祭り

 

昭和52年刊行『北川村のお弓祭り』に載っている19歳のわたし。

「なにもの」でもないのに「なにもの」であるかのように錯覚し、夢と希望にだけは満ちあふれたその中身を表すかのように、ぷくぷくだ。

40年の歳月が過ぎた今、「なにもの」でもないのは相も変わらないが、「なにもの」であるかのような錯覚はなくなり、いつもいつでも希望はあるが、夢はない。

 

いまだ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢

階前の梧葉(ごよう)すでに秋声

(朱熹『偶成』より)

 

とは言うが、それは一個の人間にとって40年という歳月が長いけれどあっという間だということに過ぎず、1000年以上つづく神事の前では、それこそ「一寸の光陰」である。

とはいえ40年(中抜きだが)。たかが40年(中抜きだが)。されど40年(中抜きだが)。

連綿とつづくパス&レシーブの鎖のなかにかかわらせてもらったことに感謝しつつ、これからもまた、「やれること」「できること」でお手伝いさせてもらおうと、調べごとをするために開いた冊子のなかにある19歳のわたしを見ながら思う。

平成29年お弓祭りは1月8日。

雨にならねばいいのだけれど。

 

 

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呑むべし酔うべし語るべし ~ 北川村のお弓祭り(その43)

2017年01月05日 | 北川村のお弓祭り

 

お弓祭り稽古4日目、

弓引きさんたちの疲れもピークに達するころだが、ここへ来て仕上がりはまずまず。

わたしだけでなく、ギャラリー皆がゆったりとした気分で稽古を見守ったきのう。

そろそろお開きか、というところで山海の珍味が登場。

 

 

落ち鮎の一夜干し。

 

朝、太平洋で釣ったヨコ(マグロの子)の刺し身。

 

そして酒肴のメイン、

朝ぼりの自然薯汁。


山間の集落とはいえ、そこは土佐の国。

当たり前のように、海の幸、川の幸、山の幸が並ぶ。

 

呑むべし

酔うべし

語るべし

 

高知県安芸郡北川村大字長山字田ノ上、

かくしてお弓祭りの稽古はつづくのだ。

 

 

 

 

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若い力 ~ 北川村のお弓祭り(その42)

2017年01月04日 | 北川村のお弓祭り

 

 

お弓祭り稽古三日目、練習に励む若人たちだ。

ここだけの話、

「いざとなりゃあワシだって、いつでもやってやるよ」

と思わないでもないオジさんだが、

「若い力」を目の当たりにすると、

「あゝ、こりゃ若い衆のもんやな、やっぱり」

と現実に戻り、

あらためて、サポート役に徹することを心に誓う。

さあ、今日も張りきっていってみよう。



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北川村のお弓祭り(その41) ~ 2017稽古二日目

2017年01月03日 | 北川村のお弓祭り

 

北川村木積星神社のお弓祭り、稽古2日目。

今年は元日朝の禊から『Daydo日本の祭り』の取材が入って、いちだんと賑やかだ。

取材クルーからTVカメラを向けられ、

「指導をするにあたって難しいことは?」

てな質問を受けたわたし。

そりゃあもちろん数々あるが、マトモな受け答えができずシドロモドロ。

「指し導く」と書いて指導。行く先を指して導くのが指導なら、やっていることは間違いなく指導なのだが、面と向かって問われれば、なぜか「指導」という言葉に違和感を覚えてしまうわたしの心情的には、「お世話をする」という言葉がピタリと当てはまる。

さあ、今日も張りきっていってみようか。


 

 

 

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年の始に『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節)を読む

2017年01月01日 | 北川村のお弓祭り

2017年初日、つらく楽しい「お弓祭り」の稽古が始まる朝。地区の世話役をおおせつかっているわたしは、テレビの撮影があるというので、4時半に起床して川へ。禊の現場に立ち会う。当事者である弓引きさんたちにとっては、「つらく楽しい」稽古期間のなかで、唯一「つらいばかりで楽しくもなんともない」水垢離だが、端で見ているぶんにはどおってことはない。

とはいえ、これまでに4回弓引きとなり、2回その後見役を務めたわたしは、4×8日+2×1日、都合34回、冬の西谷川に身をゆだねているのだもの、あの身を切るような痛みは体感として染みついている。まことにもってご苦労さま、と感謝しつつ家に戻り、きのうから読んでいる『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節)を読む。

 

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
内山節
講談社

 

 歴史は結びつきのなかに存在している。現在との結びつきによって再生されたものが歴史である。現在の知性と結びついて再生された歴史。現在の身体性と結びついて再生された歴史。現在の生命性と結びついて再生された歴史。

 1965年頃を境にして、身体性や生命性と結びついてとらえられてきた歴史が衰弱した。その結果、知性によってとらえられた歴史だけが肥大化した。広大な歴史がみえない歴史になっていった。(Kindke版位置No.1617)

 この里の生命の世界と神としての生命の世界とが重なり合うかたちで仮託されたものとしては、村の人々の通過儀礼や里の儀式、作法などがあったのだと思う。それらは一面では神事というかたちをもち、他面では日々の生命の営みとともにあった。

 そして最後に、日々の生命の世界のあり様を仮託していくものとして、人々はさまざまな物語を生みだしていた。この村が生まれたときの物語。我が家、我が一族がこの地で暮らすようになった物語。さらには亡くなったおじいさんやおばあさんの物語。

 生命性の歴史は、何かに仮託されることによってつかみとられていたのである。

 そして、この生命性の歴史が感じとられ、納得され、諒解されていた時代に、人々はキツネにだまされていたのではないかと私は考えている。だからそれはキツネにだまされたという物語である。しかしそれは創作された話ではない。自然と人間の生命の歴史のなかでみいだされていたものが語られた。

 それは生命性の歴史を衰弱させた私たちには、もはやみえなくなった歴史である。(No.1650)


明治末年生まれのわたしの祖母は、よく「タヌキにだまされた」(※)人だった。少年時代、本人の口からその話を繰り返し聴かされたものである。1957年生まれのわたしは、残念ながら「タヌキにもキツネにもだまされた」ことがない。平成29年の老年であるわたしにとってすら、「キツネにだまされた」というのは、もはや伝承のなかにしかなかった。

そう考えると、ひょっとしたら終焉はすぐそこまで来ているのかもしれない。だが、平成29年という今このときの「お弓祭り」がたとえ残滓に過ぎないとしても、わたしは、延喜の御代から連綿とつながるパスandレシーブの鎖のなかに身を置いているというたしかな実感を持って、その一員となっている。

さあ、張り切ってやってみようではないか。

 

※ もっとも地域差はあるらしく、四国ではもっぱらタヌキが中心で、キツネにだまされたという話はないらしい。(同、位置No.110)

 

 

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後日談 ~ 北川村のお弓祭り(その40)

2015年01月21日 | 北川村のお弓祭り

 

本日(1月21日)の高知新聞12面、

『土佐・民の営み』にでかでかと載ったのは北川村星神社のお弓祭り。

そこに紹介されていた我がムコ殿の言葉。


「お父さんが、えい年やにやるって言うき。娘もろうたき恩返しです」

 

誤解なきよう共通語に翻訳すると、

「お父さんが、いい年をこいて弓を引くって言い出したんで、ボクがやることにしました。娘を嫁にもらった恩返しです」


「ええ年」ってオマエ、

と紙面に向かってツッコんだあと、

「たしかに、最悪の場合はやらないかんかな、とは思うてたわな」

とおのれの心情を思い起こす。


ムコ殿の言葉を聴いた私を描写した記者さんの文章はこうだ。


しゅうとの宮内保人さん(57)は「思うてもなかった言葉やきうれしかった」。婿の姿に、厳しくも温かいまなざしを送っていた。

 

ああ、残念ながらムコ殿よ。

「恩返し」、つまり「贈与に対する返礼」は、

贈与者にそのまま送り返すものではない。

なぜならばこういうことだから。


ある世代において、「女の贈与」によって生じた不均衡は、次の世代における反対給付によってしか回復されません。自分に贈り物をした直接の相手(義理の父親や妻の兄弟たち)に返礼するのではありません。そうではなくて、別の男に(自分の娘や姉妹を)贈ることが反対給付なのです。贈与してくれた人に直接返礼をしてはならない。パスは次のパッサーに向けて送らなければならない。そのパッサーがまた次のパッサーに送れるように。

(『街場のメディア論』内田樹、光文社新書、P.175より)


などという屁理屈が頭をよぎった親父はしかし、

黙々と練習をつづけていたその姿を思い浮かべ、

ちょっとウルウルときてしまった朝だったのだよ。

 

 

  

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(地元では)新説 ~ 北川村のお弓祭り(その39)

2015年01月12日 | 北川村のお弓祭り

北川村のお弓祭りの独特の型は「小笠原流弓馬術礼法の流れを組む」もの、

というのが地元に伝わる定説。

対して、

延喜12年に始まったとされるお弓祭りは、

小笠原流初代小笠原長清の生まれる前から行われていたことから、

「小笠原流とは関係ない」、というのが以前よりの私の言い分。

ただそれにしても、単純に始まりのみを比較するということにどれほどの意味があろうかとした場合、

当初は違ったものであっても、長いあいだの変遷を経て今の型ができあがったと考えれば、

「小笠原流弓馬術との相関関係はない」と断定してしまうのもどうかなとも思う。

なにより、そっち方面に関しては、ほとんどがまったくの門外漢である辺境の村人たちが、

口角泡を飛ばしてああだこうだと議論をしたとしても単なる酒の肴の域を出ない程度のものでしかないのだから、

私から話題にのぼらせることもめったにない今日このごろ、なのである。

 

そんなところに本日(1月12日)の朝日新聞デジタル。

http://www.asahi.com/articles/ASH197R2ZH19PLPB00H.html

『高知)北川村でお弓祭り 星神社、射手12人が披露』という記事である。

お弓祭りの説明といい、インタビュー対象のバランスの良さといい、なかなかの良記事じゃないかと思いながら読んだのだが、

私がもっとも感心したのは国際武道大の松尾牧則教授の解説で締めくくったその結び。

 

「お弓祭りの射術は地元の氏子により継承されてきたものだと思う。現在にのこる流派が継承するものと全く違う。現代弓道や流派弓道の影響を受けていないように感じる。その点が驚きでもある」

 

(地元にとっては)新説、しかもありがたい新説に驚きつつ、

う~んな~るほどネ、と唸ったあと、

「誇りやね、これは」

と独りごちたのだ。

 

 

 

ちなみにこのサイトに掲載されている動画。

我がムコ殿の勇姿がばっちり紹介されているのだが、

じつを言うと、私もちょこっとだけ映っている。

ホントにちょこっとだけなのだが・・・ ^^;

 

 

  

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