かぼちゃさん&牧師さん → <イスラームの本>
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お久しぶりでーす(^_^;)暑かったり寒かったりで、体も心もだるだる~(゜ ゜;早く夏休みが来ないかしら・・・そんなことばかり考える今日この頃。でも、なんとか生きてます。
大学全入学時代かぁ~、ああ、なんて良い響き・・・いいですよね~、受験勉強無しで大学はいれるなんて♪
、神はご自分のことを「神」と書かれても「悪魔」と書かれても、どうでもよかったということになりますね。
単純に、そういうことです。(その箇所ではネ)
聖書を線引きしないで、様々な方面から見ることは否定しません。私が今まで、あまり目にとめなかったのは単にあまり興味がなかったからでしょう。サラさんのように探していけば、他にもたくさん見つかることと思います。しかし、全てにおいて言えることは、以前にも書いたように、聖書は人が神について何を信じなければならないか、神は人にどんな義務を求めておられるかを知るためのものだということです。その条件において真実であれば、神は、書き間違えや歴史的間違えなども許容されるでしょう。
私は、自分に都合のよい解釈を作ろうとして書かれていないことを付け足して考えたりしません。
私もそのようなことはしていませんよ。私は、今ある聖書に、長い歴史の中で、何があったのか、サラさんほど詳しくは知りません。けれど、神様の導きにより伝わり続けたと信じています。写本から写される段階での正確さを言ったのですが・・・少なくとも、私の知る、短い歴史の中では正確でした。だから、原文とも正確なんじゃないですか?(と、いっても、サラさんの言う「正確」とは異なるかも)・・・その根拠は?!・・nothing!
ちなみに、私の持ってるのもアラム語じゃないです。あたりまえだけど♪
私に言われなくてもお分かりと思いますが、聖書が書き換えられて矛盾がたくさん見つかっているのも、神様の御心。
That right!やっとお分かりいただけたようですね♪私たちが救いに与るのに十分ならば、許容されるでしょう。また、神様がそのように判断したからです。
新石器時代が始まったのって、1万年以上前だったんですか、はい!すっかり忘れきってます!そして氷河期は何万年かの周期で来てたんですか?!大変ですね。でも、何万年かごとなら、そうでもないか。137億年前に宇宙が?!風の噂によれば、「ビッグ バン」といって、何か爆発したことから宇宙が誕生したと聞いたことがありますが・・・おもしろいですね、その瞬間に立会いたかった。ブラックホールに入ってみたいです(゜ ^
さきほどは、「この箇所がなぜ違うのか?おそらく違う人が書いたからでしょう。」 とおっしゃったのに、今度は「神の成せる業」ですか。
サラさ~ん・・・(泣)ひょっとして、ひょっとして、以前書いたような、ファンタジックで素敵なお話を信じて・・・?!
いやいやいや、違いますよ!聖書は、ある日天からぽいっと降ってきた・・・というものではありませんよ?!楽しいけど・・・神の導きにより、人の手によって書かれたものだと言ったのに。だから、「人が書いた」けど「神の成せる業」なわけです。違うのは、上にも書いたように、神が許容したからということです。
((最も初期の最も信頼できる写本や他の古代の証拠には、ヨハネ 7章53節から8章11節の記述はない))
私の持っている聖書にも()がありました。そういう意味だったのですね、書き加えられたということでしょうか?そうかもしれないですね。「no problem」と神が判断したのでしょう。なぜ、そう言える?!信じるだけです。
それに、そこ以外にも、イエスが罪を許すところはありますよ。
マタイ9:1~
ルカ5:17~
また、モーセは人を処刑に処することができたが、イエスはできなかったと書いておられましたね?
「できなかった」のか、「しなかった」のか、よく読んでみてください。
神の判断をお聞きになってそう言われているのでしょう、 「わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである」
とイエスが言われたとおり。
また、前と同じようなことになっていますね・・・ルカ7:48についてもですが、話の1部1部を分けて考えれば、いくらでも見つかりますよ。前にも書きましたが、話というのは、言葉1つ1つに固執して聞くものではありません。言語表現には限界がありますから・・・それを全体で補い伝えているのです。
けど、サラさんは、そのように読んでいると書いておられました。ですが、サラさんの疑問とすることを見ていると、どうも、そのようには思えないのです・・・違うことに固執しすぎなのではないでしょうか?聖書をあらゆる視点から読むことが悪いと言うのではありません。けれど、すこし、それを緩めてみても良いのでは・・・?
私も、かぼちゃさんは私の書いていることを読んでいない、と感じていますから、
ちょっと・・・いや、かなりショック・・・(T T)そうですか・・・以後、気をつけます。(読んでいると思っていた~)
少ないですねー、確かに。中学、高校、大学とミッションスクールでしたが、友達でクリスチャン1人もいませんでした。ある日家に行くと、彼女の家には仏壇と神棚が・・・また、1人は仏壇屋の娘でした(笑)
また、お教えできるほどの英語力ではないのですが・・・(恥)唯一の使用可能言語は、日本語のみ!です。でも、英語できるといいですよねー、ちょっと憧れます(゜∀ ゜)
イエスは 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とも言いました。
これについて、「イエスと神の意志は一致しない」とおっしゃるのですよね?この箇所について、なにかお聞きになったことはありませんか?知らない?ほんとに?サラさんなら知っているか聞いたことがあると思うのですが・・・
それはともかくとして、イエスは自ら十字架にかかることをされました。それは聖書にも書かれているとおりです。そして、イエスは1度神に見捨てられました。私たちの代わりに。
イスラエル状勢のことですが、サラさんのおっしゃっていることを嘘だとは言っていません。ですが、サラさんには大変な目にあっておられるアラブ人のお友達がおられます。そのために、どうしても、アラブ人寄りの考え方になってしまうのでは?と思うのです。人間の争いで、どちらかが善でどちらかが悪だということは稀です。
私は別にアラブ人に偏見を持っているわけではありませんし、前にも書きましたが、ユダヤ人のすることが全て許されるとも思っていません。そう思っているキリスト教徒もいるようですが。キリスト教徒にも色々な教派や考え方の人がいます。日本というクリスチャンの少ない国にも、キリストを神ではなく人であるとしていたり、マリアの処女懐胎を信じていないといった明らかに異端であるものがあります。
それは別として、クリスチャンだから、ムスリムだから、ユダヤ人だから、することが正しい、間違っているとは言えないかと思います。中には、単に宗教を利用しているだけの人もいますから。
確かに、和解するのは難しいかもしれませんね。しかし、イシュマエルもアブラハムの子孫であり、イサクと兄弟です。(ところで、2人は仲悪かったのかな?私は1人っ子なので、腹違いでも兄弟姉妹がいるのは羨ましいけど・・・お別れすることになったのは寂しいですね)衝突が激しい分、和解した後の絆は深いものになるのではないでしょうか・・・と思ったりします。ちょっと甘い考え?なにしろ、まだ世間知らずの学生なもんで。でも、愛と憎しみは紙一重と言いますし・・・神はイシュマエルも祝福しているので。
神様はユダヤ人に見切りをつけて、他の民を選ばれたとお考えのようですね。
神様は約束を守る誠実な方です。アブラハムとの約束は今も守っておられます。破ることはありません。聖書の中でも、神様が約束を破ったことがありますか?確かに、ユダヤ人はイエスを受け入れなかったため、罰をうけました。しかし、イエスの教えを異邦人に伝えたのはユダヤ人です。予言どおり、多くの異邦人が救いに与りました。そしていつか、必ずユダヤ人がイエスを受け入れることができる日がくると信じています。
私は彼女を祝福し、彼女によって男の子を与えよう。私は彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。
創世記17:16~
いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサクと名づけなさい。私は彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。
イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、私は彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は12人の首長の父となろう。私は彼を大いなる国民とする。しかし、私の契約は、来年の今頃、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。
創世記17:19~
ちなみに、次男イサクが犠牲に捧げられるところだったという話は書き換えられたことが明らかなところです(オリジナルではイシマエル)。そのことをキリスト教徒に伝えましたら、それについて確認され、その箇所はおかしい、聖クルアーンの方が正しいとおっしゃいました。)
そのキリスト教徒の方が誰なのか、私は知りません。なぜ書き換えられたことが明らかなのかも、オリジナルが何なのかも。
私が聞いたのは逆です。犠牲に捧げられたのはイサクであるが、ムスリムの方はイシュマエルだと主張する、と。先ほども書きましたが、キリスト教徒が皆同じ考えだと思わないでください。私もイスラム教徒の方が皆同じ考えだとは思っていません。他の宗教についても言えることですが。
まあ、それはどうでもいいとして、(どうでもいいですって?!と、怒られるかな?あんまり一言一句に固執しないでくださいネ、深い意味はありませんから・・)上記のように、「永遠の契約」をイサクと結ばれました。
ちなみに、ハガルにイシュマエルが産まれたことはごく自然で当たり前のことです。だって、子供を産むのに必要な条件はそろっていたはずですから。しかし、サラに子供が産まれたことは、奇跡です。
預言書の所ね、失礼ですが、預言書って、考え方の違う人によって、どんな風にでも解釈できちゃうところがあるので、あまり説得力に欠けるんですよね・・・
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お久しぶりでーす(^_^;)暑かったり寒かったりで、体も心もだるだる~(゜ ゜;早く夏休みが来ないかしら・・・そんなことばかり考える今日この頃。でも、なんとか生きてます。
大学全入学時代かぁ~、ああ、なんて良い響き・・・いいですよね~、受験勉強無しで大学はいれるなんて♪
、神はご自分のことを「神」と書かれても「悪魔」と書かれても、どうでもよかったということになりますね。
単純に、そういうことです。(その箇所ではネ)
聖書を線引きしないで、様々な方面から見ることは否定しません。私が今まで、あまり目にとめなかったのは単にあまり興味がなかったからでしょう。サラさんのように探していけば、他にもたくさん見つかることと思います。しかし、全てにおいて言えることは、以前にも書いたように、聖書は人が神について何を信じなければならないか、神は人にどんな義務を求めておられるかを知るためのものだということです。その条件において真実であれば、神は、書き間違えや歴史的間違えなども許容されるでしょう。
私は、自分に都合のよい解釈を作ろうとして書かれていないことを付け足して考えたりしません。
私もそのようなことはしていませんよ。私は、今ある聖書に、長い歴史の中で、何があったのか、サラさんほど詳しくは知りません。けれど、神様の導きにより伝わり続けたと信じています。写本から写される段階での正確さを言ったのですが・・・少なくとも、私の知る、短い歴史の中では正確でした。だから、原文とも正確なんじゃないですか?(と、いっても、サラさんの言う「正確」とは異なるかも)・・・その根拠は?!・・nothing!
ちなみに、私の持ってるのもアラム語じゃないです。あたりまえだけど♪
私に言われなくてもお分かりと思いますが、聖書が書き換えられて矛盾がたくさん見つかっているのも、神様の御心。
That right!やっとお分かりいただけたようですね♪私たちが救いに与るのに十分ならば、許容されるでしょう。また、神様がそのように判断したからです。
新石器時代が始まったのって、1万年以上前だったんですか、はい!すっかり忘れきってます!そして氷河期は何万年かの周期で来てたんですか?!大変ですね。でも、何万年かごとなら、そうでもないか。137億年前に宇宙が?!風の噂によれば、「ビッグ バン」といって、何か爆発したことから宇宙が誕生したと聞いたことがありますが・・・おもしろいですね、その瞬間に立会いたかった。ブラックホールに入ってみたいです(゜ ^
さきほどは、「この箇所がなぜ違うのか?おそらく違う人が書いたからでしょう。」 とおっしゃったのに、今度は「神の成せる業」ですか。
サラさ~ん・・・(泣)ひょっとして、ひょっとして、以前書いたような、ファンタジックで素敵なお話を信じて・・・?!
いやいやいや、違いますよ!聖書は、ある日天からぽいっと降ってきた・・・というものではありませんよ?!楽しいけど・・・神の導きにより、人の手によって書かれたものだと言ったのに。だから、「人が書いた」けど「神の成せる業」なわけです。違うのは、上にも書いたように、神が許容したからということです。
((最も初期の最も信頼できる写本や他の古代の証拠には、ヨハネ 7章53節から8章11節の記述はない))
私の持っている聖書にも()がありました。そういう意味だったのですね、書き加えられたということでしょうか?そうかもしれないですね。「no problem」と神が判断したのでしょう。なぜ、そう言える?!信じるだけです。
それに、そこ以外にも、イエスが罪を許すところはありますよ。
マタイ9:1~
ルカ5:17~
また、モーセは人を処刑に処することができたが、イエスはできなかったと書いておられましたね?
「できなかった」のか、「しなかった」のか、よく読んでみてください。
神の判断をお聞きになってそう言われているのでしょう、 「わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである」
とイエスが言われたとおり。
また、前と同じようなことになっていますね・・・ルカ7:48についてもですが、話の1部1部を分けて考えれば、いくらでも見つかりますよ。前にも書きましたが、話というのは、言葉1つ1つに固執して聞くものではありません。言語表現には限界がありますから・・・それを全体で補い伝えているのです。
けど、サラさんは、そのように読んでいると書いておられました。ですが、サラさんの疑問とすることを見ていると、どうも、そのようには思えないのです・・・違うことに固執しすぎなのではないでしょうか?聖書をあらゆる視点から読むことが悪いと言うのではありません。けれど、すこし、それを緩めてみても良いのでは・・・?
私も、かぼちゃさんは私の書いていることを読んでいない、と感じていますから、
ちょっと・・・いや、かなりショック・・・(T T)そうですか・・・以後、気をつけます。(読んでいると思っていた~)
少ないですねー、確かに。中学、高校、大学とミッションスクールでしたが、友達でクリスチャン1人もいませんでした。ある日家に行くと、彼女の家には仏壇と神棚が・・・また、1人は仏壇屋の娘でした(笑)
また、お教えできるほどの英語力ではないのですが・・・(恥)唯一の使用可能言語は、日本語のみ!です。でも、英語できるといいですよねー、ちょっと憧れます(゜∀ ゜)
イエスは 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とも言いました。
これについて、「イエスと神の意志は一致しない」とおっしゃるのですよね?この箇所について、なにかお聞きになったことはありませんか?知らない?ほんとに?サラさんなら知っているか聞いたことがあると思うのですが・・・
それはともかくとして、イエスは自ら十字架にかかることをされました。それは聖書にも書かれているとおりです。そして、イエスは1度神に見捨てられました。私たちの代わりに。
イスラエル状勢のことですが、サラさんのおっしゃっていることを嘘だとは言っていません。ですが、サラさんには大変な目にあっておられるアラブ人のお友達がおられます。そのために、どうしても、アラブ人寄りの考え方になってしまうのでは?と思うのです。人間の争いで、どちらかが善でどちらかが悪だということは稀です。
私は別にアラブ人に偏見を持っているわけではありませんし、前にも書きましたが、ユダヤ人のすることが全て許されるとも思っていません。そう思っているキリスト教徒もいるようですが。キリスト教徒にも色々な教派や考え方の人がいます。日本というクリスチャンの少ない国にも、キリストを神ではなく人であるとしていたり、マリアの処女懐胎を信じていないといった明らかに異端であるものがあります。
それは別として、クリスチャンだから、ムスリムだから、ユダヤ人だから、することが正しい、間違っているとは言えないかと思います。中には、単に宗教を利用しているだけの人もいますから。
確かに、和解するのは難しいかもしれませんね。しかし、イシュマエルもアブラハムの子孫であり、イサクと兄弟です。(ところで、2人は仲悪かったのかな?私は1人っ子なので、腹違いでも兄弟姉妹がいるのは羨ましいけど・・・お別れすることになったのは寂しいですね)衝突が激しい分、和解した後の絆は深いものになるのではないでしょうか・・・と思ったりします。ちょっと甘い考え?なにしろ、まだ世間知らずの学生なもんで。でも、愛と憎しみは紙一重と言いますし・・・神はイシュマエルも祝福しているので。
神様はユダヤ人に見切りをつけて、他の民を選ばれたとお考えのようですね。
神様は約束を守る誠実な方です。アブラハムとの約束は今も守っておられます。破ることはありません。聖書の中でも、神様が約束を破ったことがありますか?確かに、ユダヤ人はイエスを受け入れなかったため、罰をうけました。しかし、イエスの教えを異邦人に伝えたのはユダヤ人です。予言どおり、多くの異邦人が救いに与りました。そしていつか、必ずユダヤ人がイエスを受け入れることができる日がくると信じています。
私は彼女を祝福し、彼女によって男の子を与えよう。私は彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。
創世記17:16~
いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサクと名づけなさい。私は彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。
イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、私は彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は12人の首長の父となろう。私は彼を大いなる国民とする。しかし、私の契約は、来年の今頃、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。
創世記17:19~
ちなみに、次男イサクが犠牲に捧げられるところだったという話は書き換えられたことが明らかなところです(オリジナルではイシマエル)。そのことをキリスト教徒に伝えましたら、それについて確認され、その箇所はおかしい、聖クルアーンの方が正しいとおっしゃいました。)
そのキリスト教徒の方が誰なのか、私は知りません。なぜ書き換えられたことが明らかなのかも、オリジナルが何なのかも。
私が聞いたのは逆です。犠牲に捧げられたのはイサクであるが、ムスリムの方はイシュマエルだと主張する、と。先ほども書きましたが、キリスト教徒が皆同じ考えだと思わないでください。私もイスラム教徒の方が皆同じ考えだとは思っていません。他の宗教についても言えることですが。
まあ、それはどうでもいいとして、(どうでもいいですって?!と、怒られるかな?あんまり一言一句に固執しないでくださいネ、深い意味はありませんから・・)上記のように、「永遠の契約」をイサクと結ばれました。
ちなみに、ハガルにイシュマエルが産まれたことはごく自然で当たり前のことです。だって、子供を産むのに必要な条件はそろっていたはずですから。しかし、サラに子供が産まれたことは、奇跡です。
預言書の所ね、失礼ですが、預言書って、考え方の違う人によって、どんな風にでも解釈できちゃうところがあるので、あまり説得力に欠けるんですよね・・・