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クリスチャンとムスリムの対話

クリスチャンとの間にあったやり取り

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RE:聖書の矛盾を日本語で

2007-05-28 18:47:11 | かぼちゃさん 2007,3,24~
かぼちゃさん&牧師さん → <イスラームの本>

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こんにちは、数字に弱いにも関わらず、理数系の学科に進んだかぼちゃです。おそらく、キリスト教以外の宗教を信じても、数学に弱いところは変わらないでしょう・・・かといって、文系が得意なわけでもないので、唯一使用可能な日本語もたまに不自由で、周囲を混乱させます(笑)
 それでも、中学・高校時代は、受験のためにいやいやながらも必死で数学・生物・化学を勉強しました。もう忘れちゃったけど☆
 宇宙が6000年前に誕生したことが信じられない以前に、宇宙がいつ誕生したのかなんて、想像もつきません。生物の授業で習ったことあったっけ・・・?あっても、もう忘れちゃっただろうなあ(笑)・・・へえ、そうなんですか、宇宙って6000年前に誕生したんですね。あ、でもサラさんは違うと・・・いつ誕生したのでしょうねえ

そんな、不自由な日本語ですが、精一杯がんばって生きていこうと思います!

聖書とは、私たちが神について知らなければならないこと、つまり信仰、人が信じなければならないことは何か。そして、神が人に何を求めておられるかを知るためのものです。(テモテⅡ 1:13、3:16)
 「聖書は神の言葉」と書きました。ある日天からポイッとふってきた・・・とてもすてきで楽しいお話ですが、実は違いますヨ
聖書は、その時代に生きていた人を通じて書かれました。ですから、違うところが出てくるでしょうね。
 「神が関与してかかれたのに、なぜそうなるのだ」と言われれば、おそらく神にとってどうでもいいことだったからでしょう。上に述べた目的に外れなければいいわけですから。ただ、神と悪魔が違うものだということは確かです。「なぜ、そう言える?」と問われれば、「そりゃ、そうでしょう?」としか言いようがありません(笑)
主 は再びイスラエルに向かって怒りを発し、
ダビデを感動して彼らに逆らわせ、「行ってイスラエルとユダとを数えよ」と言われた。
〔サムエル記下 / 24章 1節〕

時にサタンが起ってイスラエルに敵し、
ダビデを動かしてイスラエルを数えさせようとした。
〔歴代志上 / 21章 1節〕
「主」か「サタン」か、大違いです。
サタンも神であるとするキリスト教会もあるそうです。
それで、今気付いたのですが、かぼちゃさんのように「聖書には間違いがない」と言うキリスト教徒が、この2つの両方共を真実であるとして、「サタンも神である」ということにしたのかもしれませんね
 この箇所がなぜ違うのか?おそらく違う人が書いたからでしょう。 
悪魔を崇拝している宗教は、古くから確かにあるようです。あまり、公にする人はいませんけど・・・つまり、かなりイカガワ系の宗教です。ちなみに、悪魔崇拝の礼拝を「黒ミサ」と呼びます。キリスト教とは、異端もなにも全くの別もんです。個人的趣味で、悪魔崇拝や魔術についてはかなり興味があるのですが・・・「だったら、民族学科にでも入ればよかったじゃん!」と思ったりもする今日この頃です。私の人生が矛盾しまくり?
 「聖書に間違いは無い」・・・その言葉の意味は何でしょう?何の間違いでしょう?数字の間違い?つまり歴史についての間違いですか。また、生物化学的な間違いについても指摘しておられましたね?
 もう一度書きます。聖書は生物、化学、歴史を正確に伝えるためのものではありません。
「神の言葉なら、あらゆる方面から読み取るべき」と書いておられましたね、では、「神が何を人に伝えたいのか」という方面から読み取ってみてください。それが、神が聖書について、人に求めておられることです。
それが信じられるという証拠は?・・・nothing!じゃあ、なぜしんじるのか?神様がそのように導いてくださったからです。
 また、英訳の聖書などと数字の上で違いがあったことの「原因」は、おそらく「写本」が違うからでしょう。ちなみにイスラエルに行った時、発掘された写本を見たことがあります。何てかいてあるのかもちろん分かりませんでしたが・・・写本て、色々な人が書き写したものがいっぱいあるんですよ、でも、長い歴史の中、印刷の技術も無かったのに、これほど正確に書き伝えられた書物も珍しいですよね。神の成せる業でしょう。

 モーセやソロモンは、社会的に人を裁く権能を授かりました。日本の裁判官にも与えられていますね。ですが、イエスには天と地の一切の権能を与えられています。もちろん、人を死刑にする権限も。そうなさらなかっただけです。許す権限もお持ちでしたから。
「私もあなたを罪にさだめない」(ヨハネ8:11)、「あなたの罪は許された」(ルカ7:48)とね。

ヨハネ5:30の他にも、疑問に思われている箇所があるようですね。また、私の述べた中にも「良い教師」=「神」と主張していると勘違いなさったりしておられるようです。
  もう一度、全体を通して、相手が何を伝えたいのか、主張したいのかを考えながら読んでみてください。聖書についてもです。
 どうやら、サラさんは会話の1部1部を分けて考えておられるように感じます。そのように解釈していけば、分かるもんも分かりません。言語表現には限界がありますから・・・。全体を通して、何を言わんとするのかを知ることが大切かと思います。会話、やりとりとはそういうもんです。Communicationとは意志伝達です!
 例えば、ここではイエスは、「神に反した行動をとっている」と非難されていますね、それに対して、「神の意志である」と主張しています。では、「私の意志ではない」ということについては、イエスは嘘をついたのか?!と問われるかもしれません。もしくは、イエスは「自分と神の意志は一致しないのだ」と言っている、と言われるでしょうか?もー、
そこだけ見るからですよ。
 言葉には色々な意味があります。同じ言葉でも、伝えようとしていることが違う場合が多々あります。・・・それにしても、神とイエスの意志が一致しないなんて、変な話・・・(つまり、神の望んでおられることをイエスは望んでいない)

私がイスラエルの肩をもっていると思われているかもしれません。はっきり言って、そうしたいところです。なぜなら、ユダヤ人は神に選ばれた民だからです。ユダヤ人を祝福するものは祝福され、呪うものは呪われる、と。
 しかし、だからといって、ユダヤ人のすることは全て正しいとは言えません。だって人間ですから。聖書の中でも度々間違いを犯して、神に裁かれていますでしょ?
 ユダヤ人が100%、アラブ人が100%正しいわけでも、悪いわけでもない、と思っています。以前、「詳しくは知らない」と述べました。しかし、人間の争いというのは大方そういったものです。
 アラブ人は、イサクの兄弟イシュマエルの子孫と聞きました。なのにどうしてこんなことになるのか、悲しくなります。早く和解できる日が来ればいいのにと思います。



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