ex-Chaplain Sheik Yusuf Estes
元チャプレン ユーサフ エスタス師
私の家系はイギリス系アメリカ人、アイルランド人、ドイツ人の出で、WASP (ホワイト アングロ・サクソン プロテスタント) と呼ばれるものでした。家族がテキサス州に引っ越したのは1949年で私がまだ小学生だったころだったので、私の言葉はすぐに ヤンキー訛りから テキサス訛りに変わりました。"youse guys" と言う代わりに "Ya'll" と言い、"Waz up?" の代わりに "Howz ever thaang?" と言うことも覚えました。また、"Johnny cakes and beans" の代わりに "Corn bread 'n bains" を食べることも。
私はオハイオ州に生まれ、テキサス州で育ち、教育を受けました。マーケティング企業家として成功を収め、キリスト教の牧師もしていました。信仰の篤い家族で、両親や親戚はみな 「よいキリスト教徒」 でした。どういうことかと言うと、基本的に、かなり特別な機会でもない限りはアルコールを飲まず、教会でするビンゴゲーム以外はギャンブルもしない、キリスト教徒です。宗教は実に私の生活の一部でした。神を心から信じ、神の言葉として聖書を信じていました。他の子どもたちが 「学校ごっこ」 や 「ケイドロ」 をして遊んでいる一方、私は時々 「牧師ごっこ」 をしたものです。今でも、ダグ ヒドマンくんの家の庭に立って行った初めての説教を覚えています。 「神の道を知らなければなりません。そしてその道にとどまるのです。」 (それが私が言った全部です。それ以上は考えられませんでした。)
父方も母方もみな同じプロテスタント系キリスト教の同じ宗派に属し、熱心な信徒でした。みな教会学校や説教を聞きに日曜日の朝に教会へ行くのが好きでした(みな長い説教は好きではなかったかもしれませんが)。それからもちろん、イースター、クリスマス、ハロウィーンのなどの特別なイベントやパーティも、むかしはいつも生活の一部でした。私たちの教会は元々は 「クリスチャン・チャーチ」 とだけ呼ばれていましたが、私が10才か12才くらいの時に教会は二つのグループに 「分かれ」 たので、私たちは自らを 「キリストの弟子派」 と呼ぶようになりました。
私の父は牧師に任命されていましたが、教会学校長を務めたり、キリスト教学校の基金を集める活動を始めたりと、その他の活動にも精力的に参加していました。父は聖書や聖書翻訳の 「プロ」 でした。私は父のお陰で、聖書には様々な版や訳や種類があることを知りました。 ローマ皇帝 コンスタンティヌスの時代 (325 C.E.頃) にはキリスト教に多神崇拝が導入されていたことも父に教わりました。 「実際のところ神は聖書を書かれたのでしょうか」 と聞かれれば、大方の牧師と同じく父も 「聖書は神から霊感を受けた人間の言葉です」 と答えていました。それが根本的に意味しているのは、人間が聖書を書いたということですが (霊感を与えられたにせよ、人間は人間です)。間違い、削除、改竄があるのもうなずけます。長い歳月の間にそういうものがあちこちにこっそりと入り込んで散らばってしまいました。父はこう付け加えていました、 「それでも、神の言葉です。人間に霊感を与えられたのです。」
(訳者注: 2008年現在 2,454言語、英語だけでも450以上の版がある ページ下部に参考リンク)
神はいつも私の頭にありました。私は12才の時に 「聖霊」 の中に 「バプタイズ」 されました。 (訳者注:聖霊のバプテスマ・・・教派により解釈の違いがあるが、 「水によるパプテスマ」 と区別して使われる) 牧師 (元ユダヤ教徒でイエスを受け入れた方でした) さえも私の真剣さと、本気でキリストに従う者になろうとする意気込みには驚いていました。私はしょっちゅう、神について考え、神は私たちに何を望んでいるかを考え、第一に神はどうして私たちを創造されたのかと考えていました。 ほかの物事に注意を払っていなければいけない時に神についての 「空想」 にふけってしまうこともよくありました。ガス台でお鍋に火をかけている時や、学校で先生の話を聞いているときに。机の上に突っ伏して、 「死んだらどうなるのだろう」 「天国はどんなだろう」 「神の天使や悪魔に会うことはできるのだろうか」 と考えをめぐらせることも時々ありました。
子どもの頃はそんな考えによく心を奪われていましたが、大きくなるにつれてそんな追求をすることも減っていき、友だちの影響を受け始めました。こういう疑問や考えを口にすると周りの子どもによくからかわれたので、自分の中だけにしまっておいたほうが良さそうだと分かりました。それでも構いませんでした。神のことを考えながら一人になるのは好きでしたから。
大人になって多くのビジネスも持つようになる頃になると、自分は 「牧師」 にはなりたくないのだということが分かってきました。偽善者になることを怖れていました。自分自身でも本当はよく理解していないことに人々を招くことになると思ったのです。私は主を受け入れていましたし、真のクリスチャンであると自分で思っていましたが、それと同時に神が唯一でありながらまた 「三つ」でもあるということが解せずにいました。もし神が 「父」であるなら、どうしてその同じ神がまた「息子」 となりえるのか。 さらには「ホーリー・ゴースト」のことも (後にそれは 「スピリット」 と呼び名が変えられました) ありました。でも一番の疑問はいつも同じ、「どうすれば 3 と 1 が等しくなるのか。」
何年もの間、神のことを 「悟ろう」 といろいろな方法を試みました。仏教、ヒンドゥー教、形而上学、道教、キリスト教のほかの宗派、ユダヤ教、などについて正しいかどうか調べたりしました。もっとも興味を引いたのはグノーシス (キリスト教神秘主義) とカバラ (ユダヤ教神秘主義) と形而上学 の融合でした。それは実際は汎神論 (人間を含む被造物すべてが神の顕現であるとする思想) の形の一つで、今日の神秘主義スーフィ と似たようなものです。しかし、私はこの概念には強い嫌悪感がありました。自分自身が 「神の一部」 であるなどとは考えたくもなかったからです。
神には穢れはない。神は完全であられる。神はすべてを知り、万物をご存知であられる。それなのに、どうして他の牧師が言うように 「ある意味では私たちはみな神なのです」 と皆の前に立って言うことができましょうか。聖書に次のようにあります、
わたしは言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子 だ。しかし、あなたがたは人のように死に、もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」。
[詩篇 / 82篇 6-7節]
また、
イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である 』と書いてあるではないか。
[ヨハネによる福音書 / 10章 34節]
使徒サウロ (パウロに改名) による書にみられる理屈には律法や旧約の決まりを元から覆してしまうような文言がたくさんあります。サウロは、「許可されている」 「禁じられている」 とするのは、信徒が物事をどのように理解するかの問題であるとしています。私が1953年から持っている イングリッシュ標準改訂版 によると、ローマ人へのパウロの手紙にはこうあります。
(訳者注:日本語訳は日本語口語訳聖書より)
わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
[ローマ人への手紙 / 14章 14節]
また、同じ手紙に、
それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。 神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。
[ローマ人への手紙 / 14章 16節]
このように言って、パウロは旧約の律法全体を無効にしています。しかし、同じ版の聖書の新約第一書では、聖パウロとはまったく反対のことをイエスが説教されているのを私たちは読むことになります。
わたしが律法 や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
[マタイによる福音書 / 5章 17節]
したがって、ローマの信徒に宛てた手紙の中のパウロの証言では、パウロはこれらの律法の最も小さいいましめを破ったどころか根本的にその全部を破ってしまったことになります。そして、それが悪いと考えないのならば、悪くない、という理屈をつけてすべてを正当化してしまいました。
私はこの言葉には問題があるのではないかと感じ、旧約にある律法にできる限り従うことを決心しました。それはつまり、豚肉を食さない、割礼を受ける、婚姻外交渉を行わない、姦淫しない、(日曜日ではなく)土曜日に礼拝する、そして中でも最も重要なこと、創造されたものはいかなるものも崇拝しない、ということです。それは次の節を直接受けています。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
[出エジプト記 / 20章 3-6節]
ただ唯一の神がおられるのみであるということは、もっともであるように私には思えました。かれが万物を統率し、パートナーはない。かれだけが崇拝に値するためで、崇拝されるのはかれだけでなければならない、と理性もそれを要求していました。そして、神であるので、かれが決まりを設け命令を与えるのでなければなりません。そうすると、誰がかれを愛しているか、誰がかれの掟に従っているかが明らかになります。
私は長い年月、この問題を考えないようにしていましたが、年齢も50に近づいてきて、主のために何かをする必要がありました。自分のためのことはすべて成しましたから、主のために前進することを考え、自分の宗教について真剣になってもいい頃でした。それで国内各地やメキシコで伝道や説教をしていた友人たちに加わろうと決めました。私たちは共に旅し、共に主を賛美し、「聖霊(スピリット)」を分かち合い、 「聖霊(スピリット)が導く」 ところへ向かいました。仲間の一人はとても大きな十字架をいつも肩に担ぎ、または道路に引きずって歩き、立ち止まる人には小さな「ミニ聖書」を配ったりしていました。希望を失った人やお金や仕事がない人のところへ行って、食べ物やお金、援助の手を出しながらキリスト教のメッセージのもとへその人たちを招くのは楽しいことでした。私はどこへ行くにも聖書を持って行き、さっと取り出しては「メッセージを説き」始めたものです。
私は「生まれ変わり」ましたので、「キリストの光の下にいる」必要がありました。「メッセージを分け合う」必要がありました。ただ一つの問題は、
「そのメッセージは何か」
ということです。
ああ、もちろん、これを読んだ「生まれ変わった」 人たちが何と言うかは知っています。 「イエス・キリストの救済のメッセージ」 「イエスはあなたの罪のために亡くなられた」 「イエスは罪の贖いの代価を払われた」 「イエスは神の子」 「イエスは主である」
そう言うのはわかっています。
私自身そのメッセージを説き、ほかの人がそうであるように分かっているつもりでいました。問題は、別の牧師が「駐車場に車といっしょに脳みそを置きっぱなしにして思考停止しないように」 と言うのを聞いたときです。
それから、そのとても重要な問題について、自分の宗教について本当の事を考え始めました。すると浮かんできました、
誰も答えたくない質問が -