日本のイスラーム (Islam in Japan)

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光のしずく (Drops of Light) 6

2011年02月23日 | ラスールッラーを知ろう 

 芳しい乳香

 

عرقه الشريف وطيب رائحته صلى الله عليه وسلم

  『預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)の汗とそのかぐわしい香りについて』

 

 كانَ مِنْ صِفَاتِهِ صلى الله عليه وسلم أنَّهُ طَيِّبُ الرَّائِحَةِ وَإِنْ لَمْ يَمُسَّ طِيباً، وَمَعَ ذلِكَ كانَ يَسْتَعْمِلُ الطِّيبَ فِي كَثِيرٍ مِن الأوْقَاتِ، لِيَسُنَّ ذلِكَ لأُمَّتِهِ فَيَتَّبِعُوهُ، وَلأنَّهُ حُبِّبَ إلَيْهِ الطِّيبُ، كما فِي الحَدِيثِ الذِي رَوَاهُ التِّرْمِذِيُّ أنَّ النَّبِيَّ صلى الله عليه وسلم قَالَ: ((حُبِّبَ إليَّ مِن دُنيَاكُم: الطِّيبُ والنِّساءُ، وجُعِلَتْ قُرَّةُ عَيْنِي فِي الصَّلاة)).

  

☆預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)の特徴のひとつに、

かの人はたとえ香水をつけていなくとも大変よい香りを放つお方であったというものがある。

とはいえ、彼が日頃から様々な機会によく香水を使われていたのもまた事実だ。

(彼自身は体臭隠しのために香水を使う必要は一切なかったし、むしろ彼の体臭は香水のようにかぐわしかったのだが、)彼に従う者たちのためにスンナ(習わし)とされたからであったと同時に、彼自身が香水を好まれたからである。

それはイマーム・アッティルミズィーが伝えるハディースにあるとおり。

『この世で私にとって好ましいもの、それは香水と女性です。

それから私にとっての目の涼しさ(大きな幸せ)、それは礼拝です。』 (p.24-25)

  

 

 

≪訳者のつぶやき≫

 ハディースの本文は、直訳すると、「皆さんのこの世で私にとって愛しくされたもの、それは香水と女性です。それから私の目の涼しさは礼拝の中とされました。」となる。「目の涼しさ(クッラトゥ・アイン)」とは、「至福・大きな幸せ」を意味するアラビア語独特の言い回しだが、実際見た目に感じる清涼感をイメージしてみると、その清涼感にともなう気持ちとして、「心地よさ」や「安らぎ」、「幸せ」が感じられるものである。

 

 「幸せ」は、心で感じるもの。あらゆるモノに囲まれ、健康に恵まれようとも、心が満たされなければ幸せは感じられない。逆にモノが乏しく、病に身体を蝕まれようとも、心が満たされれば、人は世界でいちばん幸せになれる。

 

 預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)は非常に簡潔な言葉で、「幸せの鍵」をお教えくださった。

 「香水」は、それを身につける自分はもちろんのこと、周囲の人間にも良い香りを与えてくれ、ひいてはそれが気持ちをも和ませてくれる。(ムスリマ姉妹の皆さん、香水の使用はご主人のためやご自宅での嗜みとするにとどめ、外出時にはお控えください)

 

 「女性」に象徴される愛情深さや献身的な奉仕精神、行き届いた気遣いや恥じらい等は、すべて人間が持つべき美徳としてアッラーとその使徒に愛され、評価されるものである。

 

『審判の日にしもべの秤にかけられるもので、良い性格よりも重いものはありません。』

(アブー・ダーウードとアッティルミズィー伝承)

 

とは、預言者さまのお言葉だが、「女性」は何よりも「母」として男であれ、女であれ、人が育つうえで最大の影響を与えうる存在であり、ほかにも「姉」や「妹」として、「妻」や「娘」として、男性は女性のもつ美徳を学ぶことで自らの性格を磨き、アッラーとその預言者さまに愛される「幸せ」を得られるというもの。

 

 女性はアッラーとその使徒がよしとされる「女性らしさ」を大切に、アッラーに生まれ持って与えられた天性(フィトラ)を失わないように、万一失ってしまった場合はそれを少しでも取り戻せるように努めることでアッラーとその預言者さまに愛される「幸せ」を得られよう。

 

 いずれにせよ、男が女を好み、女が男を好むのは、人間として至って健全な証であり、変に硬派を気取るのでもなく、変に照れてしまうのでもなく、堂々と「私は女性が好きです。」といったニュアンスのことを言われた我らが預言者ムハンマドさまに祝福と平安あれ。

 

 それから「目の涼しさ」、すなわち「えもいわれぬ幸せ」と評された「礼拝」…それは『礼拝は信徒にとっての昇天(ミウラージュ)』ともラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)が言われたように、万物を司る至高のアッラーとの面会の機会とも言えるものだ。先にも触れたように、私たち人間にとって「幸せ」はあくまでも心の問題なのであり、その心を一手にされる御方との絆を深める機会が幸せでなくてなんだろうか…。

 

 アッラーフ アァラム ワ アハカム。(よりよく知り、よりよく判断されるのは、アッラーなり)