★笑顔で接することなど些細に思える善行
イスラーム
アブー・ザッルはアッラーの使徒が次のように彼に語ったとして伝えている
善行の内でどんなささいなことであっても馬鹿にしてはいけない。
たとえばあなたが兄弟に出会った時に笑顔で接するといったことであっても。
(『サヒーフムスリム』より)
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マスルークは次のように伝えている。
私はアーイシャにたずねた 「預言者にもっとも愛された行いはどのような行いですか。」
彼女は答えた、「規則的、継続的に行われるものです。」
私は言った、「夜は何時に(タハッジュド、夜間の礼拝のために)起きていたのですか。」
彼女は言った、「(夜を三等分した時の最後の1/3)雄鶏(の鳴き声)を耳にすると起きたものでした。」
(『サヒーフブハーリー』 8巻 76-468 より)
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アーイシャは次のように伝えている。
アッラーの使徒にとってもっとも好ましい行為は、行為者が連続的に、定期的にすることでした。
(『サヒーフブハーリー』8巻 76-469 より)
仏教 和願施。笑顔が施しになるというのがあります。
また、法句経の第九品一二二には、
「その報い よも
われには来らざるべし」
かく思いて
善きことを軽んずるなかれ
水の滴
したたりて
水瓶をみたすがごとく
心ある人は
ついに善をみたすなり
(現代語訳)
「私にはとても善の報いはこないであろう」
こう心にいだいて、善を軽々しく考えてはいけない。一滴、又一滴、水がしたたってついに水瓶をみたすように、
賢い人は少しずつ、少しずつ、善をつみかさねて、ついに善をみたすにいたる。
(講談社学術文庫の友松圓諦訳、『法句経』より)
と、いうのがあります。
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