質問・私は介護の仕事をしながら瞑想や修行を続けています。
以前インドのプーナで、著名なあるマスターのもとタントラを含めた様々なワーク行ってきました。
あなたの話を聴くと、肉体にいた頃のマスターがそこに臨済するかのように感じます。
私は未だに人に愛されたい、認められないという強いカルマから抜け出せません。
それはタントラワークを行ったことで、男性恐怖症がなくなっても変わりません。
叡空・タントラがなぜ禁断の修行と言われ空海やチベット密教の活仏マスターたちですら、シークレットワークとし教えを拒んでいるのか。
それは、高度な意識集中力と何よりハートに『自分以上に相手を大切に想う「強い愛と祈り」』が常に在る資質がともに必要だから。
タントラは知性、思考センターの偏りを『本能センターの力』で解放する。
だから文明社会の先進国で、条件付けされ、束縛され続けた知性タイプほど『性的快感による解放感』は大きくなる。
同時に、ハートに愛がないタイプにとって、それは『本能を強める動物』へと堕ちる道となる。
抜け出せない「欲望の泥沼」にはまる。
プーナにおけるタントラワークは『複数の相手と交わい行われた』ものと伝え聞く。
ゆえに、そのマスターは『反逆の仏陀』と呼ばれる一方で、セックスグルとも呼ばれたのだろう。
それは一面を捉えた見方であり、人類にとっての実験ワークかもしれないが。
真実の意図は、大いなる存在のみが識るところだ。
あなたはタントラの意味を理解していなかった。
それは『自分以上に大切に想う相手への「祈りの行為の結晶」』だから。
特に相手の男性のハートに『自己を超えたあなたへの深い祈り』と『愛の結晶化』が生じていなかったら。
それは、「ストレスと欲望の捌け口」であり、単なるセックススポーツで終わるだろう。
寂しさを抱えたハートには「依存症の危険」さえ伴う。特に女性は。
あなたは「人に認められたい、愛されたい」と思い続けている。
それは「人として自然な本能」だ。
何一つ否定することも、「その思いで苦しむ」こともない。
深刻にならず、常に笑い飛ばし、それすら楽しみなさい。
また『いつものマインドトリックに引っかかっている自分』を。
人は『自分について考えている限り自分を超えられない』。
問題や苦しみを「考えた時」に、人は何とか『自分の力で問題解決』しようとする習性があるから。
これが『思考で思考を超えさせよう』とするマインドの罠であることに気づかずに。
あなたが人に愛されたいならそれでいい。
まずその『自己の思いを認め』苦しみを感じ生き続けてきた「健気なハートを愛しなさい」。
決して一切の想いを否定することなくハートに在る愛に向かって、ただ『祈り』なさい。
そして、あなたの両親や家族、恋人
あなたの周囲で優しさの花束を携えて微笑み、これまでにあなたを助けてくれた『愛在る存在』に意識を向けなさい。
そこには損得、利害を超えた『利他を想う無条件の愛』の存在と行為が在り続けたのだから。
あなたの周りに『自己を意識しない愛』と行為が満ち溢れていたことを識る時。
そこに『在った愛』があなたの癒しとなるだろう。
感謝の祈りとともに『愛の源泉に触れる』ことになる。
『そのままで常に在る』ものを識るのが愛の錬金術だから。合掌
以前インドのプーナで、著名なあるマスターのもとタントラを含めた様々なワーク行ってきました。
あなたの話を聴くと、肉体にいた頃のマスターがそこに臨済するかのように感じます。
私は未だに人に愛されたい、認められないという強いカルマから抜け出せません。
それはタントラワークを行ったことで、男性恐怖症がなくなっても変わりません。
叡空・タントラがなぜ禁断の修行と言われ空海やチベット密教の活仏マスターたちですら、シークレットワークとし教えを拒んでいるのか。
それは、高度な意識集中力と何よりハートに『自分以上に相手を大切に想う「強い愛と祈り」』が常に在る資質がともに必要だから。
タントラは知性、思考センターの偏りを『本能センターの力』で解放する。
だから文明社会の先進国で、条件付けされ、束縛され続けた知性タイプほど『性的快感による解放感』は大きくなる。
同時に、ハートに愛がないタイプにとって、それは『本能を強める動物』へと堕ちる道となる。
抜け出せない「欲望の泥沼」にはまる。
プーナにおけるタントラワークは『複数の相手と交わい行われた』ものと伝え聞く。
ゆえに、そのマスターは『反逆の仏陀』と呼ばれる一方で、セックスグルとも呼ばれたのだろう。
それは一面を捉えた見方であり、人類にとっての実験ワークかもしれないが。
真実の意図は、大いなる存在のみが識るところだ。
あなたはタントラの意味を理解していなかった。
それは『自分以上に大切に想う相手への「祈りの行為の結晶」』だから。
特に相手の男性のハートに『自己を超えたあなたへの深い祈り』と『愛の結晶化』が生じていなかったら。
それは、「ストレスと欲望の捌け口」であり、単なるセックススポーツで終わるだろう。
寂しさを抱えたハートには「依存症の危険」さえ伴う。特に女性は。
あなたは「人に認められたい、愛されたい」と思い続けている。
それは「人として自然な本能」だ。
何一つ否定することも、「その思いで苦しむ」こともない。
深刻にならず、常に笑い飛ばし、それすら楽しみなさい。
また『いつものマインドトリックに引っかかっている自分』を。
人は『自分について考えている限り自分を超えられない』。
問題や苦しみを「考えた時」に、人は何とか『自分の力で問題解決』しようとする習性があるから。
これが『思考で思考を超えさせよう』とするマインドの罠であることに気づかずに。
あなたが人に愛されたいならそれでいい。
まずその『自己の思いを認め』苦しみを感じ生き続けてきた「健気なハートを愛しなさい」。
決して一切の想いを否定することなくハートに在る愛に向かって、ただ『祈り』なさい。
そして、あなたの両親や家族、恋人
あなたの周囲で優しさの花束を携えて微笑み、これまでにあなたを助けてくれた『愛在る存在』に意識を向けなさい。
そこには損得、利害を超えた『利他を想う無条件の愛』の存在と行為が在り続けたのだから。
あなたの周りに『自己を意識しない愛』と行為が満ち溢れていたことを識る時。
そこに『在った愛』があなたの癒しとなるだろう。
感謝の祈りとともに『愛の源泉に触れる』ことになる。
『そのままで常に在る』ものを識るのが愛の錬金術だから。合掌