雑誌「新建築」4月号に磯崎新、吉村益信らの座談会が載っていた。磯崎の処女作は大分県医師会館とされているが、実はその数年前に、吉村が彼のアトリエ兼住宅の設計を磯崎に依頼しており、この「新宿ホワイトハウス」が本当の処女作とも考えられる。大分市アートプラザのオープン記念で磯崎がその様な話をしていたが、その経緯なども詳しく書かれており、興味深かった。それにしても、アートプラザオープン時の特別展示「ネオ・ダダ展」は、吉村らの前衛的な作品が集められており、素晴らしいものだった。個人的にはフランスの近代美術館を上回る感動だった。
「新建築」の座談会の数週後、吉村さんは逝去されたそうだ。謹んでご冥福をお祈りしたい。私の母と吉村さんは上野ヶ丘高校時代の同期で、休み時間に母は吉村さんにスケッチされていたらしい。当時のスケッチが残っていたら家宝にしたいが、あるわけはないだろうな。
なお、雑誌の記事中に大分県医師会館の写真があるが、旧館と新館の記述が逆です(右側の楕円形の建物が旧館)。ブログで先日紹介した県医師会館のビデオは、まだ旧館しかない時代のものです。
「新建築」の座談会の数週後、吉村さんは逝去されたそうだ。謹んでご冥福をお祈りしたい。私の母と吉村さんは上野ヶ丘高校時代の同期で、休み時間に母は吉村さんにスケッチされていたらしい。当時のスケッチが残っていたら家宝にしたいが、あるわけはないだろうな。
なお、雑誌の記事中に大分県医師会館の写真があるが、旧館と新館の記述が逆です(右側の楕円形の建物が旧館)。ブログで先日紹介した県医師会館のビデオは、まだ旧館しかない時代のものです。