・・・今週の日記・雑記から
1月16日(火)
大相撲三日目、テレビの正面解説は元・小結両国の境川親方 ~ 書いて気づいた面白さ、境川は隣接する国の境界線を為すので境川と呼ぶ。たとえば桜美林大学の近くを流れる「境川」は相模と武蔵の国境、それが県境に継承され、神奈川県相模原市にある淵野辺駅からの通学路は、境川を越えて東京都町田市の桜美林キャンパスへ向かっていく。いっぽう、両国はまさしく「二つの国」の意、両国という四股名の力士(過去9人いたという)が境川を襲名するとは限らないから、この一致は面白い。
それはさておき、かねて思っていたことを境川親方がすっきり明言してくれた。曰く、白鵬の立ち合いが批判されているが、「カチアゲが品位を損なう」というのは当たっていない、白鵬のは「ひじ打ち」であって(そういう技は相撲にない)カチアゲではない、それを混同して「カチアゲがよろしくない」などとは言ってほしくない云々と。
やっと、ようやく、角界の人からその指摘が出た。何でもっと早く誰かが言ってくれなかったのか。
本来のカチアゲは豪快で胸のすくものだ。脇を締め肘をたたんだ状態で体当たりし、当たった瞬間に肘を強く撥ね上げる。力強い立ち合いの技で、タイミングよく決まるといっぺんに相手の体が浮き上がる。相撲の基本は下から上へ押し上げるところにあり、カチアゲは見事にその理に適ううえ、当たるまでは肘をたたんでいるから相手の体に無用の打撃を与えない。はじめから肘を前に出して相手の顔面を強打する白鵬の「技」はまったく別物で、これを放送などでカチアゲと称してきたことが間違いの始まりである。
突っ張りとは異質、単純な体当たりとは一味も二味も違った立ち合いの妙技、力強いが粗暴にあらぬカチアゲという技は、簡単ではないのだろう、今どき見ることが少なくなっている。白鵬が張り手・ひじ打ちを注意されて立ち合いに悩んでいると聞き、それなら本来のカチアゲにシフトチェンジすればいいのにと僕などは思った。四股とすり足で下半身を鍛え上げ、反射神経も抜群の白鵬ならきっとものにするに違いなく、それでまた新境地が開けるのではないかと。
思っている傍から白鵬、今場所初黒星。結果はともかく、立ち合いの恐怖感から解放されて相手力士らがのびのび取っているように見え、菊池寛の『形』という短編のことなど思い出す。
それにしても重ねて思うのは、これほど明快なカチアゲの理非をなぜ今日の今日まで誰も口にしなかったかということだが、外の人間に分からぬ事情も内にはあろう。ふと気になって、現役中はあまり注意を払わなかった境川親方という人物をネットで引いたら、次のようなエピソードが出てきた。
<部屋の旅行で訪れたサイパン島バンザイクリフで、ガムや落書きで汚されている慰霊碑に「これを見て、日本人は誰も怒らないのか」と急遽旅行の日程を変更し、洗剤とブラシを買い込んで弟子と一緒に汗だくになりながら、きれいに磨き上げた逸話がある。また、ロサンゼルス巡業で担当親方として米国に先乗りした際、土俵ができていないのに現地作業員がまともに働かずさっさと引き揚げようとするのを見て、「日本は戦争には負けたが、魂や精神まで負けた訳ではない」と怒鳴りつけ、通訳にその内容を直訳するよう求めたこともある。厳しい稽古が終わった後、出撃していく特攻兵が家族に宛てた手紙を弟子たちに聞かせることが何度もあった・・・> (Wkipediaより、字句改変)
なるほど男気の人である。1962年、長崎市生まれ。慰霊碑の件、同島における戦没者遺族としても感謝に堪えない。こんな人だから、あたりまえのことをあたりまえに口にできたのだろうな。
Ω
どのエピソードも、筋が通っていてカッコイイですね。同郷の同世代の者として、誇らしく思います。
私も残りの人生は、信念を持って行動しようと思います。自分の言動がどう人の役に立つのかを考えて行動したいです。
まさに、エピソードそのままの親方でした。
弟子に対する接し方は、厳しく、そして愛情あふれる指導でした。
稽古見学に来ている縁もゆかりもない人にも、年配で足の悪い人がいれば「しゃれた椅子は、ないよ。」ちゃんこ番している裏方に「ビールケース持ってこい」とビールケースに座布団を引いて座らせてました。
お世辞にも口が良いとは、いいませんが気の使う方だと思いました。
先生のブログに感謝したくコメント記入させて頂きました。