自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

史上最高のスイッチヒッター

2018-02-10 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話
右打席でも左打席でも器用にヒットを量産するスイッチヒッターに憧れ、小学校5年生のとき左打ちの練習も始めた。(但し左打ちは習得できたものの、右打席の練習が疎かになり全く打てなくなってしまったが…)

NPBでは足が速く長打力の無い右打ちの選手が、一塁に近いなどの理由で出塁に有利とされる左打ちをするためスイッチヒッターに転向し、左打席では当てにいくようなイメージだったが、私が憧れたのは当時としては珍しい長打力も兼ね備えた阪急の松永裕美内野手だった。



NPBで長打力を兼ね備えたスイッチヒッターといえば、高橋慶彦(広島、ロッテ、阪神)、スティーブ・オンティベロス内野手(西武)、オレステス・デストラーデ内野手(西武)、ドゥエイン・ホージー外野手(ヤクルト)、フェルナンド・セギノール(NPBではオリックス、北海道日本ハム、東北楽天)、松井稼頭央 (NPBでは西武、東北楽天、埼玉西武)辺りが挙げられるが、子供の頃の史上最高のスイッチヒッターと言えば間違いなく松永選手だった。


一方、MLBでは、プラトーン・システムを積極的に取り入れるチームが増えて以降、限られた人数のベンチ入り選手を有効活用するためにスイッチヒッターが重用されるようになり、出場機会を増やすために転向するケースや、スイッチヒッターの強打者ミッキー・マントル(1951~1968年にプレー)の登場以降は、パワーヒッターでもスイッチヒッターに挑戦する選手が増えていった。1940年代から徐々に増えていったスイッチヒッターは、1990年代前半にはMLB全選手中で20%以上もの割合に達したこともあった。

そんな優秀なスイッチヒッターが揃ったMLBで今でも史上最高のスイッチヒッターと賞賛されているのが、ご存知「エディ・マレー」!のべ7チームを渡り歩きながら3255本のヒット、504本のホームランを積み重ね殿堂入りも果たした名選手である。私が初めて彼の存在を知ったのが最初のBAL在籍時末期。まさに彼の全盛期だった。

ボルティモア・オリオールズ時代



その後、LAD、NYMを経て1995年からCLEに移籍。

1984年シーズンオフ来日時の映像(0:28以降)


クリーブランド・インディアンズ時代



1994~1996年途中まではエディ・マレーはCLE在籍。2年半のみの在籍だったが、1995年に野茂さんがLADに入団し日本でもMLB観戦が容易にできるようになったので、もっとも印象深いのがこのCLE時代である。

1996年途中にBALに復帰、翌1997年ANA移籍、同年途中にLADに復帰し引退。奇しくも私が憧れた上記松永選手と同じ年に引退した。そして、2003年に野球殿堂入りを果たし背番号33はボルチモア・オリオールズの永久欠番に指定された。


昔の私と同様に、今は息子がスイッチヒッターに憧れ時々左打席の練習をしている。しかし、左右両方でそつなくこなすには人の倍以上、3倍も4倍も練習しないと成し遂げられないと高橋慶彦を指導した故山本一義氏と述べてらっしゃったらしいが、私も息子もそんな気概もなく…(苦笑)。両打席で打てるようになるだけでも難儀であるのに、これだけの実績を残した松永選手、エディ・マレー、その他多くの選手にはただただ感服するばかりである。