人間の人生のハンディに成る物として、色々な意味での「硬さ」が根底に在ります。心の硬さ、肉体の硬さ、どちらもトラブルを呼ぶ前兆です。
自分の心が硬く成っていますと、他人から少しでも嫌な事を言われると、よく響き悪影響を受けます。自分を良く見せたい自我が、自分の心を縛っているから硬く成るのです。
肉体も凝(こ)りが出来ますと、それは万病の元です。血流が悪く成って循環が落ちているサインです。凝りは、肉体の異常を知らせてくれているのです。「このままではダメだよ」とね。
相談者の肉体を霊視しますと、癌は硬い固まりに観えます。肉体が凝り固まって行くのが、癌のイメージです。
心の硬さは、肉体の硬さと連動しています。頑固な人は、腫瘍系の病気に成りやすい傾向が実際にあるので注意しましょう。
この世は、心身共に柔らかく生きる事に、幸福に成れる秘訣が在ります。柔軟な心は、気持ちと肉体を強くさせます。
「柔軟力」を育てる事が、この世を行き易くするカギかも知れません。
初めて伊勢神宮外宮において、神恩感謝(しんおんかんしゃ)の奉納をさせて頂いた時、とても驚いた事がありました。
それは、神官が上げる祝詞の奏上でした。大祓詞(おおはらえのこと葉)を、語り掛ける様に優しく奏上された事でした。
まさに脱力した感じで、小川の優しい水流の様でした。畏(かしこ)まる私の肉体を溶きほぐしてくれました。
神官には、祝詞を上手く聞かせよう、奏上しようと言う力(りき)みがまったくありませんでした。
古語に言祝ぐ(ことほぐ:喜びやお祝の言葉を述べる事)と言う表現がありますが、外宮の神官の祝詞はまさに言祝ぎの祝詞でした。心身共に「ほぐ」してくれました。
古神道では、悪霊の発生を「凝り固まる」事から起こると表現します。自分の心が色々な物事に、こだわり凝りだせば注意をしましょう。
まあ人生には色々と在りますが、1つ1つほぐしながら緩(ゆる)やかに歩いて行くのが最善な道です。
*写真は読者が昨日、伊勢の伊雑宮において写したものです。
非常に珍しいですが、古代の銅鏡(どうきょう)の鏡の紋様のような模様がハッキリと写り、円周が光っています。
これは、天照太御神に仕える眷属神です。神様が鎮まる御宮を守っています。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。
私は、ここ十年近く、ダンス三昧の生活してたのですが、ダンスで、心と体が柔らかくなっていたので、白山道精神もスーッと自分の中にしみこみました、
頭の固い人は、新しいものは受け付けず、
偏屈になるばかり、身体も、ゆがんだまま固まって、あっちが痛いこっちが痛いといっています。
今は、白山道を学ぶことで自分が根付き初め、ますます行動力が出てきて、葉の様に人生が広がってきているような感じがします。有難いことで感謝です!もっと自身の木を太くしっかり
沢山の葉を茂らせ社会の役にも立ちたいです。今後ともよろしくお願いいたします!
読んでいて昨日の母とのやりとりを思い出しました。まさに「自分を良く見せたい自我が、自分の心を縛っているから硬く成るのです。」の状態でした。反省。
短冊のことでお聞きしたいのですが、数週間くらい前、短冊を手で握り締めてぐしゃぐしゃにする夢を見ました。その後目を覚まし、朝の三本供養をしたときにまじまじと見ますと短冊にうっすらシミのようなものが出てきています。おそらく湿気か何かだと思いますが、文字も自分で「もう少しうまく書きたいかな」と思い近いうちに書き換えようかなと思っています。(只今練習中)
お聞きしたいのは①夢を見た原因に何か意味があるのか?ということと、②「短冊の状態が自身に反映される」というのが短冊の固定だけでなく文字のバランスとかそういうのも反映されるのでしょうか?
それともそんなこと関係なく「先祖の為」の供養との観点から個々が判断して続けていけばそれでよろしいのでしょうか?
今日も,生かして頂いてありがとう御座位ます
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ
今朝夢を見ました。
電車の中でヨチヨチ歩きの男の子が迷子になっていて私の席の隣に座らせて親御さんが探しにこられるのを待っていました....おかしいね...っと言いながら抱っこした私は「あっ。赤ちゃんの感触だ....ちっちゃい,,,,」
親御さんが来られないまま目が覚めておりました。
私には息子2人と娘がおります。2人の息子の後に宿った命を親の勝手な理由で生んであげませんでした。
それから何年も経っての妊娠。その妊娠中に一歳ぐらいの「男の子」が本を読んでいる姿を夢で見て、「次に生まれてくる子も男の子なんだろうな。。。」と思っていました。 妊娠中に転んで顔面骨折。。大手術を大変な思いで受けました。
今朝起きてから、「夢の赤ちゃんはあの時に夢で見た赤ちゃんじゃないかしら。。妊娠中に見たとき以来男の子の夢は見ていないし、今日はしっかり抱っこもして重みも感触も自分で確かめていたなんて。。」
何年も親から忘れられていたことにきっと寂しい想いをしていたのだろうとおもうと.....
これからも先祖供養をさせていただこうと心から思いました。
生かしていただきまして ありがとうございます。
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ
どうか再考をお願いします。
リーマンさんが「過去記事をコメント欄も含めて読んでください」とお話されることがありますよね?
その辺りも含めて「ここは過去記事だから自分のあれこれを何かもかも書いてもよいのだ」という思い込みは止めて頂きたいです。
できるだけ、記事に沿ったコメントをするのが読む側の礼儀ではないでしょうか。
感謝の思いを向ける先はコメント欄ではないと思います。家事はしっかりなさっているのでしょうか。疑問です。