近代インドを代表する聖人の一人にラーマクリシュナが居ます。
彼は信仰を始めた幼少時から、縁により魔神を信仰しました。
殺りく・呪殺・死体を食らう黒き魔神と称される、インドの土着
信仰のカーリー女神です。
この世で人間の個人欲を叶える力が強いエナジー体を、人間
は霊験があると神様として祭るのです。
金銭欲・健康・色々な個人欲を人間に与え叶えさせる信仰
です。この様な信仰は必ず交換条件があり、代わりに大事な
何かを最終的に亡くします。
日本の新興宗教の様に正神を自称しながら、実際は背後が
魔物である事よりも、事前に正直な説明をしているインドの
信仰は良心的です。
定期的に神前で、動物を血しぶきが飛び散る方法で惨殺する
生贄を要求する魔神です。 大昔は最下層カーストの人間が
生贄にされていたと感じます。
この願望を叶える魔神にラーマクリシュナが願った事は何か?
それは、「神様の姿を見せて欲しい」でした。
紆余曲折を経て、彼は最終的には魔神(幽界存在への信仰)
を通じて上位の神様と通じ、最後には根源なる名無しの母性
存在にも観応したのでした。
つまり、間違った信仰をしていては本物の神様に通じる事は
できないのか? と言う問題が現代社会にもあります。
答えは、非常に「難しい」です。
ラーマの様な霊性の無垢な天才が、この世の庶民が欲しがる
願望を一切捨て去って(一般人の望む幸福はないです)、追求
して彼は祈願した願望を叶えました。 そして、50歳ほどで癌
により他界しました。
この様な癖の有る信仰は、自分以外の霊的磁気の干渉により
効果が得られるが、やはり完全では無くハイリスクであり、
最後が良くありません。
根源を垣間見たラーマの魂は、神界に在るのは確かですが、
ラマナ・マハリシの様に人類の共有意識までの昇華を果たして
はいません。 ラマナの場合、信仰対象は山の自然精霊と
内在する自己の魂でした。
一般人が社会生活を営みながら、幽界教団の中で精進して
自己の内在する慈悲心を発露させるのは、出来ない事では
ないでしょう。 しかし、迷いの霊的磁気ハンディを受けながら
依存と心配心により非常に難しいです。
魔物の磁気に巻かれながら安定した心境を維持するには、
深部まで魔物に染まった場合の安心感か、御神体よりも自己
の良心を信じ切れた場合かです。
信仰とは、強制的な決まりや金銭強要が無いほど、癖の無い
無垢な信仰に成ります。
一番癖の無い信仰は、「既に在る」自分の心の神様に向かう
信仰です。 雑多な日常生活の中でも、何時も内在神と一緒
です。自分の心の動きを観察するだけでも、余計なイライラ
磁気は軽減し始めます。
とは言いつつも、人間は弱いものです。
肉体を持ちながら私達は国土の上に住んでいます。
この国土では、一番癖が無く霊的影響力を持つ土着神が
天照太御神と国常立太神である事は確かです。
二つの親神への感謝の心を維持しながら、内在する神様を
意識する自分自身で行なう信仰は、物心共に正しく作用し
ます。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
彼は信仰を始めた幼少時から、縁により魔神を信仰しました。
殺りく・呪殺・死体を食らう黒き魔神と称される、インドの土着
信仰のカーリー女神です。
この世で人間の個人欲を叶える力が強いエナジー体を、人間
は霊験があると神様として祭るのです。
金銭欲・健康・色々な個人欲を人間に与え叶えさせる信仰
です。この様な信仰は必ず交換条件があり、代わりに大事な
何かを最終的に亡くします。
日本の新興宗教の様に正神を自称しながら、実際は背後が
魔物である事よりも、事前に正直な説明をしているインドの
信仰は良心的です。
定期的に神前で、動物を血しぶきが飛び散る方法で惨殺する
生贄を要求する魔神です。 大昔は最下層カーストの人間が
生贄にされていたと感じます。
この願望を叶える魔神にラーマクリシュナが願った事は何か?
それは、「神様の姿を見せて欲しい」でした。
紆余曲折を経て、彼は最終的には魔神(幽界存在への信仰)
を通じて上位の神様と通じ、最後には根源なる名無しの母性
存在にも観応したのでした。
つまり、間違った信仰をしていては本物の神様に通じる事は
できないのか? と言う問題が現代社会にもあります。
答えは、非常に「難しい」です。
ラーマの様な霊性の無垢な天才が、この世の庶民が欲しがる
願望を一切捨て去って(一般人の望む幸福はないです)、追求
して彼は祈願した願望を叶えました。 そして、50歳ほどで癌
により他界しました。
この様な癖の有る信仰は、自分以外の霊的磁気の干渉により
効果が得られるが、やはり完全では無くハイリスクであり、
最後が良くありません。
根源を垣間見たラーマの魂は、神界に在るのは確かですが、
ラマナ・マハリシの様に人類の共有意識までの昇華を果たして
はいません。 ラマナの場合、信仰対象は山の自然精霊と
内在する自己の魂でした。
一般人が社会生活を営みながら、幽界教団の中で精進して
自己の内在する慈悲心を発露させるのは、出来ない事では
ないでしょう。 しかし、迷いの霊的磁気ハンディを受けながら
依存と心配心により非常に難しいです。
魔物の磁気に巻かれながら安定した心境を維持するには、
深部まで魔物に染まった場合の安心感か、御神体よりも自己
の良心を信じ切れた場合かです。
信仰とは、強制的な決まりや金銭強要が無いほど、癖の無い
無垢な信仰に成ります。
一番癖の無い信仰は、「既に在る」自分の心の神様に向かう
信仰です。 雑多な日常生活の中でも、何時も内在神と一緒
です。自分の心の動きを観察するだけでも、余計なイライラ
磁気は軽減し始めます。
とは言いつつも、人間は弱いものです。
肉体を持ちながら私達は国土の上に住んでいます。
この国土では、一番癖が無く霊的影響力を持つ土着神が
天照太御神と国常立太神である事は確かです。
二つの親神への感謝の心を維持しながら、内在する神様を
意識する自分自身で行なう信仰は、物心共に正しく作用し
ます。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
読者のコメント欄には、大いなる学びが有りますので必読です。
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早く垢が落とせますように。
最近、本当に太陽に当たると疲れます。なるべく陽に当たらないように心がけています。
運動会シーズン到来で子供達も炎天下の中での練習が大変そうです。
今日も生かして頂いてありがとうございます。
おとつい、体が鉛のように重く何をするのもおっくうでした。ここ3~4日体のつらい状態が続いてました。
今日あたりから何か峠を越したような感じがあります。
こうやって一山ふた山越えつついくものなのかなぁと感じる今日この頃です。
生かして頂いてありがとう御座位ます
死因は、腹膜炎、肺炎、心不全 などソ-スにより様々です。
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009051900911
大変しっぽ君研究者翻訳本など、著書で勉強させていだだきました。
最近はベンジャミンさんへの攻撃が激しかったです。
詳しくは存知ませんが、魔物に取り巻かれながら、ご自身を貫かれ、行き切られた。と、、。
ご冥福をお祈りします。
生かして頂いて有難う御座位ます。
神社参りもして部屋に神棚も置き、陰陽道もして、四国巡礼も毎年行い、インドにも頻繁に行って、中国にも年に何度も行っていました。
もう何でも有りな人物でした。
生徒にもお百度をさせて、京都伏見の千本鳥居のお山にも願掛けで登らせて。。。
最初は良心的でしたが1度倒れて意識不明になり生還してから人が変わってました
急に蛇や狐、ムジナなどが憑いていると言い出し先祖から守られていないから自分を信仰するように言われました。今考えると、魔界の人間になったのはその時からだったのかも知れません。
先祖から守られていない。可哀相な存在。と言われて気落ちしたのが20才の時です
伊勢白山道さんの先祖想起をしている今では恥ずかしいです
同じ土地に住んでいて今でも、道で会うのではないか。と思うと怖くなる時があります。
もう2度と関わりたくないです。
私も今まで沢山お願い事をしてきました…恐いですね…
リーマンさんに質問です。うちの亡くなった祖母は養女にもらわれ、自分の産んだ息子(私の父親)を養母の養子にしました。父も亡くなってますが、今だに仏壇には養母、祖母、父と並んで居ます。この場合、養母側の先祖も供養してる事になるのでしょうか?
このままでいいのか、心配です。祖母の本来の身内等とは全く関わりありません…
ご回答くださるとうれしいです。
生かして頂いてありがとうございます。
2009-05-20 00:27:09
(リーマンさんからのお答):・・実際の治癒の効果は、息子さんの内在神と先祖霊の御蔭です。それを他人の御蔭としてはいけません。
>お忙しいところ、お返事をいただきましてありがとうございました。もちろん、内在神とご先祖さまの御蔭かとは思いますが、その方に出会わなかったら、息子は今でもアトピー&その後は喘息だったことと思います。だから、その方にとても感謝しています。(引用)
リーマンさんから御返事を頂いて、どのように受け止めるかは、御自分次第です。他からとやかく言うことは無意味ですが、過去記事を繰り返して読んで、三本線香の供養も続けてくださいね。
>三本目の線香の時「その他、諸々の霊の皆々様方…」のとき、供養者に縁ある霊に届くとのことですが、それではなぜ「その他、諸々の縁ある霊の皆々様方…」と言わないのですか?(引用)
リーマンさんからお答があるか分かりませんが、感想を。とても強い、縁のない、他の供養の必要な霊に来てもらったら困るという、排除する気持ちを感じました。自分に不利なことが起こるのは困る、損はしたくないと、恐いのかも知れませんね。この気持ちが溶けると色々なことが変わってくるのでしょうね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます