伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

捨てる財産に悩むな

2009-12-18 10:30:06 | Weblog
よく皆さんは、「どちらの道に進めば良いか?」と悩まれます。
答えは、簡単です。 「良い道などは無い」のが、この世です。
どの道に進んでも、それぞれの道での苦労や悩む事が必ず在ります。今の時点では、気付けない問題が在るものです。
そもそも短い人生そのものが、「成長の為のショック刺激」が起こる様に出来ています。現実界の法則として在ります。
2500年以上前に生まれた釈尊も、「人は世(よ=夜)に生まれたからには、生(性)・老・病・死の悩みからは逃げる事が出来無い。だからこそ、闇の中で『明るく生きる事』が出来れば輝けるのだ」と私に伝えます。
選択を悩むのは、何故か? 失敗を恐れるからです。
だから、最初から失敗も有り得るだろうと「覚悟」して選択できる物は、良い選択です。許容範囲なのです。生きているだけでも有り難いと言う自覚が既に在る人は、許容範囲が広がります。思い切った行動も出来るでしょうし、冷静な判断も出来ます。

ただ、皆さん、これだけは心に入れて置く事です。
この短い人生で、どんなに金銭的に成功しようが、楽な仕事で人生を終えようが、この世だけのツマラナイ事なのです。現実に、それを手にしている人は、決して満ち足りた顔はしていません。直に終わるドラマの一場面に過ぎないのです。全てこの世に捨てて行く物事なのです。
あなたの魂の深奥では、直ぐに終わる物を欲してはいません。だから何を得ても満足はしないのです。
自分の魂が欲する物は、他所から「得る」物では無く、他に「与える行為」を、この世で欲しているのが真相です。
子供を育てると幸福を感じる。植物に毎日水をあげて成長を楽しむ。知人が苦しんで居れば心配に成り、自分が出来る事をしたく成る。これらの行為は、自分の魂の深奥が望んでいる事なのです。この様な「行為」が因縁と成り、あの世にも持参出来る財産なのです。
この世に捨て置く財産よりも、次の世に持参できる「行為」の財産が本当に価値が有ります。もちろん、この世での悪い「行為」も、あの世に持参する負債と成り、持って行く事に成ります。
自分が苦しい中でも自分を世に生み出した先祖霊の中に、もし苦しい人が居れば気の毒に思い、先祖に感謝をする「行為」をする。これは、自らの慈悲による行為です。
もし、苦しんでいる先祖などは居なくても、感謝だけをする限りは何も問題はありません。先祖霊が苦しんで居るのか、楽しんで居るのか、先祖霊など初めから居ないのか、自分には分から無いけれども行う。「分からない中でも出来る」からこそ本心であり価値が在るのです。
これは、本人の慈悲からの「行為」なのです。あの世に持参できる財産と成ります。
慈悲=神です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

応援して下さる方は、この3箇所をクリックして下さい。
携帯からクリック出来ない場合は、
http://www.geocities.jp/poriporry/m/ 
クリックして現れるランク一覧の中から伊勢白山道を押してね。
初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (543)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする