伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

死してなお

2009-05-05 09:14:18 | 不思議な写真解説

私の感得によると、伊勢神宮外宮は、内宮が創建される可也
以前から伊勢の土着信仰の中心拠点でした。
太古の白山信仰の流れから来る、神宿る石柱が心御柱
(しん
のみはしら)として祭られているのですから。
伊勢神宮の神官は、大昔は特定の家系が代々世襲制で秘事
を受け継いで来ました。
その中でも古来より外宮を代表する神官
度会氏は、雄略天皇
により外宮が創建されたとし、外宮が内宮の食事係りの神様
とされる事に大きな不満を代々抱いていました。
そしてとうとう鎌倉時代の末頃、伊勢神宮の外宮こそが根源的
な太陽神を太古から祭り維持してきた「本当の皇太神宮」で
あると世間に大きく宣伝を始めました。
これがいわゆる「皇字沙汰文」(こうじさたぶみ)事件です。

度会家(わたらいけ)の中でも、
度会家行(わたらいいえゆき)
は特に大きな活動をしました。
度会家行は楠木正行と結託して挙兵し、尾張地方へ出兵しま
したが、楠木正行が関西で戦死したために、南朝政権による
日本統一の構想を断念し、伊勢神宮外宮に帰りました。
家行の南朝方への偏った行動は、幕府からの挙兵制止の
命令を無視した上での軍事行動の為に、これを北朝側から
糾弾され、伊勢神宮禰宜の役職を解任されました。
しかし、家行は南朝が正統皇室である事を主張して、北朝に
よる解任命令を認めないで、70歳を超える身でありながら
京都まで行って自ら反論しています。
普通の神官が取る行動としては、正気の沙汰ではありませ
ん。
天皇家の世襲争いに軍事をもって参加し、幕府の命令を無視
したにも関らず処刑されずに生き延びたのは、外宮の神様の
神意以外の何ものでもありません。畏るべき神力です。

今年の春、読者が外宮の参道で撮影した写真には、外宮神域
を今もなお巡回する度会家行の後ろ姿が撮影されました。
光の神人として今もなお外宮を守っていました。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (379)
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