いせ九条の会

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日中友好に命をかけた 岡崎嘉平太氏/山崎孝

2007-03-21 | ご投稿
私はNHKのテレビ番組「命をかけた日中友好 岡崎嘉平太」を見ました。この番組に関連して述べます。番組案内は次のように述べています。

1972年に日中で国交が正常化する時、周恩来が「わが国では水を飲む時には井戸を掘った人を忘れない」と謝意を伝えた民間人、岡崎嘉平太。隣国中国との国交断絶状態を憂い、貿易という場を利用した交流を発案し、国交樹立へとつなげた“陰の立役者”である。

戦後の日本は台湾政府と国交を持ち、共産主義・中国に対してアレルギーがあった。その中で岡崎は、アカ、反体制財界人という批判を浴びながらも「相手を知ること」「相手の立場に立つこと」を信条に日中のパイプ作りに奔走した。特に周恩来とは、18回におよぶ会談を通じてアジアの安定と共存を語り合い、信頼と友情を深めていく。

国交正常化の後は日中青年研修協会を設立、留学や研修を通した“人の石垣”を築きあげることに情熱を傾けた。訪中100回、「信は縦糸、愛は横糸」と唱え続けた岡崎は、現在も中国で最も尊敬されている日本人の一人である。「日中の不幸な歴史は、数千年の交流の中でわずか数十年。これから子々孫々の未来があるのです」

番組では、日中の懸け橋として生涯、走り続けた岡崎の姿を追い、相互不信が心配される今、その遺志がどう受け継がれているのかを描く。(以上)

「貿易という場を利用した交流を発案」とは、日中が国交のない中で中国政府が保証した中国の寥承志事務所と高崎達之助事務所が協定を結び、日中の貿易と人的交流の促進を図ったことを指します。中国の政府要人とも話し合う窓口の役目も果たします。この両国の貿易をLT貿易とか覚書貿易と言っています。岡崎嘉平太氏は外務省にこの覚書事務所に人材の派遣を頼みましたが断られ、通産省と何べんも交渉して人を派遣してもらいました。

1966年に羽田沖墜落事故、松山沖墜落事故と航空事故が相次ぎ、政財界の一部から「社長が日中問題に首を突っ込んで、社業に専念しないから安全対策が疎かになるのだ」と当てこすりめいた批判を受けるようになります。経団連会長石坂泰三氏からも辞任勧告を受けるに至り、翌1967年社長を辞任します。

岡崎嘉平太氏が、社長に就任した頃の全日空は名前こそ壮大ではあるが、実態は地方零細航空会社の寄せ集めで会社存続すら微妙な状態であった。岡崎は会社を一つにまとめつつ、極東航空や藤田航空を合併し規模を拡大させ、運輸省とたびたび衝突しながらも国内線航空会社としての地位を確立させています。

全日空社長を辞任するときに、「全日空の経営は自分でなくともできるが、日中問題は国家の将来にかかわる問題であり、自分に代わるものがいない」と語っています。歴史を見据えて現時点で何が大切なのかを教えてくれる言葉です。

番組が「命をかけた」といったのは、安倍晋三氏の祖父と兄弟であった佐藤栄作氏が、台湾国民党政府と手を結び反中国政策を推し進める中で、右翼たちが岡崎嘉平太氏を国賊と罵り、自宅に脅迫電話を頻繁にかけてきて、警察官が自宅を警護するようにもなりました。周恩来は岡崎嘉平太の長男彬氏に「友情のために自分の生死をかけるような人を本当に信用する」と語ったといわれます。

1972年9月、周恩来首相が「わが国では水を飲む時には井戸を掘った人を忘れない」の言葉は、田中首相と周恩来首相が日中国交回復の調印式をする2週間前に、岡崎嘉平太氏が中国に訪れないことを知り、周恩来首相は急いで岡崎嘉平太氏を訪中させるように日本側に頼み、調印式より前に周恩来首相が岡崎嘉平太氏ら国交回復に尽力した日本人を歓迎する席で述べた言葉です。「わが国では水を飲む時には井戸を掘った人を忘れない、という諺があります。まもなく田中総理が来られ日中は国交正常化をしますが、田中総理が来られたから国交を回復するのではありません。長い間困難な時期に日中友好に努力をされた方々があったから今日正常化が出来るのです。岡崎先生、松本先生、あなた方もその一人です」

信義を重んじる中国人の言葉です。岡崎嘉平太氏も「刎頚の交わり」だと思っていました。

岡崎嘉平太氏がよく述べていた「信は縦糸、愛は横糸」の言葉は美しい人の世を築こうとする言葉で、お互いを信頼しあい、愛情をもって交際することをいいます。この言葉は一般的な人間関係はいうに及ばす、特に外国との交際で大切にしなければならないと岡崎嘉平太氏は思っていました。この心こそ「美しい国」をつくる源泉だと思います。けっしてひとりよがりな民族の誇りを誇示することではありません。

1971年、国連における中国の代表権が台湾国民政府から中華人民共和国政府に変わります。ニクソン米政権はベトナム戦争の泥沼化やドル危機に直面して、アジアに対する過剰介入を避ける方針を打ち出し、そのためには中国との和解が必要になると考えます。1971年7月、キッシンジャー大統領特別補佐官を訪中させ、ついで1972年2月にニクソン大統領が訪中して米中の国交正常方向への足がかりを得ました。日本政府は米国に出し抜かれた格好になりました。

現在、米国はイラク戦争の泥沼化に苦しみ、中東にはイランも含めて大きな注意を払わなくなり、余力がなくなりアジアに対しては対話路線を取り始めました。そのような状況のもとで米朝国交正常化の気配すら窺われます。日本も米国に出し抜かれないようにすべきだと思います。

周恩来首相が岡崎嘉平太氏らに述べた「日清戦争以来、日本は我が国を侵略し、人民を苦しめてきた。我々は深い恨みがある。しかし、中国と日本の間には2千年に亘る友好の歴史がある。戦争の歴史はわずか数十年に過ぎません。我々は日本に恨みを持っていますが、忘れようと努力しています。これからは日中が力を合わせて、アジアを良くして行きましょう」の言葉は、正に歴史の大局を見据えた言葉だと思います。この言葉を日本の政治指導者にかみしめてほしいと思います。中国の人たちにかつて与えた恨みを思い起こすような言動はしてはいけないと思います。これも日本人が大切にする「信義」の一つだと思います。

周恩来首相は、日本には中国人民を苦しめた日本軍は存在しない。戦争の賠償を求めれば日本人を苦しめることになると考えて、国交正常化に当たり戦時賠償金を請求しないと語っています。この言葉も日本人は留意しなければならないと思います。自民党新憲法草案では「自衛軍」という軍隊を持とうとしています。