いせ九条の会

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街に出るとき、実力的な部分を置いて出るわけではない/山崎孝

2008-02-23 | ご投稿
「マガジン9条」の投稿欄で知りましたが、沖縄の中学生が米兵から暴行を受けた事件に関して、保守層から自己責任を問う意見が出ているといいます。

普通の感覚から言うと、少女は8時30分の時間帯で事件に遭い、事件が始まった場所も人で賑わう普通の繁華街でありました。これでどうして自己責任を問われるのかわかりません。

先月7日にも普天間基地所属の米兵による強盗致傷事件が起きています。問題の本質は戦場とつながっている在日米軍基地の存在にあるのは明白です。米兵は軍事訓練を受けるだけでも普通の人が持つ人間性を奪われていって鬱屈したものを抱え込んでいます。これについての元海兵隊員の話を紹介します。(2月24日付「しんぶん赤旗」日曜版より)

かつて海丘ハ隊員として沖縄に駐留していたことのある、アレン・ネルソン氏が、神奈川県横浜市で開かれた集会(16日)で、「なぜ『米兵』は人を殺せる心を持つのか」について語りました。

 海兵隊に入ると、まず教えられるのは、考えるな、命令に従えということだ。18、19歳の若者に、毎日教官が「お前は何をしたいか」と聞く。

「キル(殺す)」と答える。

 「聞こえないぞ」

 「キル」

 そしてこのうえなく大きな声で「キル」と叫ぶ。これが海兵隊員になるということだ。

 私が沖縄のキャンプ・ハンセンに来たときは、昼間は演習し、夜はシャワーを浴びて街に出かける。目的は三つ。一つは酒に酔うこと。二つにケンカをすること。三つ目が女性を探すことだ。街に出るとき、実力的な部分を置いて出るわけではない。

 兵士の暴力的な事件が明らかになると、司令官はすばやく謝罪する。しかし、心の奥底では喜んでいる。戦場に行く準備ができていると判断するからだ。