いせ九条の会

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「下流」社会に押し込められたと感じる人たちの矛先/山崎孝

2007-03-09 | ご投稿
3月9日の朝日新聞は、モラレス・ボリビア大統領の6日の講演についての説明が掲載されていました。「新憲法で戦争を放棄する」と述べたことについて「軍隊をなくすことは考えていない。改革の一環として、社会的な問題に対処し、安定と主権を守るために保持する。戦争を仕掛けたり、他国に押し入ったりすることは放棄する」と説明。自衛のための軍は残す考えを示した、と報道しました。

安倍政権は、米国と価値観を共有するとしていますから、米国が行えば「戦争を仕掛けたり、他国に押し入ったりすること」の可能性は否定できません。

私は3月8日、モラレス・ボリビア大統領の講演を紹介した後で《中南米で「左派」政権がますます勢いづいている。日本よりひと足早く、90年代に導入された民営化や規制緩和などの新自由主義(ネオリベラリズム)経済で貧富の格差が広がり、庶民が「票」を武器に立ち上がった格好だ》という新聞の引用をし、経済で貧富の格差が広がりは日本も他人事ではなくなったという意見を述べました。日本でリベラルな方向の「票」ではなく、危険な方向に向かう可能性を秘めてきています。

「下流」社会に押し込められたと感じる31歳でフリーターをしながら物書きを目指している男性 赤木智弘さんの文章が「論座」1月号に掲載されて、4月号でそれへの反論がいくつか掲載されています。その中の社会民主党党首の福島みずほさんの文章を紹介します。(他の方の反論も勉強になります)

その前に、福島みずほさんの反論で触れる赤木智弘さんの文章の部分的な紹介をします。

(前略)しかし、世間は平和だ。北朝鮮の核の脅威程度のことはあっても、ほとんどの人は「明日、リストラされるかも知れない」とおびえているわけでもない。平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何一つ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。

ならば、私から見た「平和な社会」というのはロクなものじゃない。夜遅くバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらず働いて、明け方に家に帰ってきて、テレビをつけて酒を飲みながらネットサーフィンして、昼頃に寝て、夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト先に行く。これの繰り返し。(中略)ハロワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した職業とはほど遠いものばかりだ。安倍政権は「再チャレンジ」などと言うが、我々が欲しいのは安定した職であって、チャレンジなどというギャンブルの機会ではない。(中略)

戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。(以下略)

★福島みずほさんの反論

途中まで「フムフム」と納得しながら読んでいましたが、最後の方で「アレッ!違うぞなもし!」と絶叫したくなりました。赤木さん、悪いけどあなたは「丸山眞男」をひっぱたけません。(山崎註 軍隊は知識人や大学卒をそれ以下の学歴の人や庶民がひっぱたたいていた)「国家」によってあなたはひっぱたかれ、今と同じように人々はそのことに無関心なだけです。

赤木さんの「結局、社会はリストラにおびえる中高年に同情を寄せる一方で、就職がかなわず、低賃金労働に押し込められたフリーターのことなど見向きもしなかった」という一文は、まさにその通りです。

フリーターを女性やパートに置き換えてもいいかも知れません。女性や若者が、なかなか正社員になれない、差別される、労働条件が極端に悪くても「本人の努力が足りない」「甘えている」とされ、社会的な構造的な問題とは理解されてきませんでした。

1999年、労働者派遣法が改悪され、原則としてすべての業種について派遣が可能となりました。1997年から2004年の小泉政権下までに、正社員が400万人減り、パート・派遣・契約社員の人たちが400万人増えました。格差拡大も非正規雇用者の増加も若者のワーキングプアの問題も、労働法制の規制緩和をはじめとした政府の政策から生まれています。だからこそまさに私は、赤木さんの前半の文章にフムフムと納得したのです。政策として赤木さんらを「見捨ててきた」ことは確かです。しかし後半の「戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる」というのは、違うのではないでしょうか。

現代の戦争は、「非対称型」の戦争です。イラクで戦争をしているアメリカの本土が大空襲を受けることはありません。ベトナム戦争のように「徴兵制」をとれば、金持ちの子どもも戦争に行くわけですから、戦争が必然に「全国民」の問題となり反戦活動も活発になります。

しかし、「志願制」 のもとで戦争に行くのは、職のない貧しい地域の貧しい若者たちです。イラク戦争に、アメリカの国会議員の子どもは1人しか行っていません。マイケル・ムーア監督が「華氏911」で描いているのは、工場が閉鎖され、雇用の場がなくなった地域の若者が、「雇用を求めて」「奨学金を得るため」「資格をとるため」にイラクヘ行くということです。

内橋克人さんは『悪夢のサイクル』(文芸春秋)のなかで、ネオリベラリズムと戦争は親和性があると指摘しています。自由競争原理の強化、グローバリゼーションのなかでの資源の収奪と富の偏在とそれらの利権を求め、利権を維持する戦争は手を携えているのです。

私も格差の拡大と戦争への道は、コインの裏表だと考えています。かつて自民党の前幹事長が「フリーターはサマワへ行け」と発言しました。フリーターこそが、戦争へ行かされるのではないでしょうか。

憲法を変えて、自衛隊が海外で米軍とともに戦闘行為ができるようになれば、日本は戦争をしていても、その「被害」は直接的にすべての国民に平等に降ってはきません。

将来、徴兵制が敷かれるとしても、志願兵制が先でしょう。赤木さんは、「国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和」と書きます。

しかし、悪いけれど、戦争をすると決める政府と国会議員の人たちは、戦争に行きません。彼らは、戦争で苦しむことはないのです。

私は、劣化ウラン弾による健康被害に苦しんでいる、イラクに駐留した米軍の帰還兵に会ったことがあります。この元兵士の妻は、彼の帰国後に妊娠・出産したのですが、生まれてきた赤ちゃんには手がありませんでした。彼はこれは劣化ウラン弾の被害であるとして裁判に訴えています。イラクでは米兵の死者も増え、負傷者も増えています。

言うまでもなく、戦争は不条理、不公平なまさに「暴力」で、実に多くの人たちの命を奪い、傷つけていきます。ナチス・ドイツは、障害者、同性愛者、ロマと呼ばれる人たちやユダヤ人などを虐殺しました。「国家」にとって、弱い者や「異端」「邪魔なもの」が真っ先にターゲットにされたのです。

柳沢厚生労働大臣は、女性を「産む横械」と表現しましたが、戦時下においては女性はまさに「兵士を産む機械」であり、国民は 「駒」として扱われます。そして日本で真っ先にターゲットにされるのは、「フリーター」ではないでしょうか。

「平等な苦しみ」などあり得ません。ひっぱたかれるのは、丸山眞男などではなく、あなた自身であり、奪われるのはあなたの命であり、あなたの人生です。そして他国の人々の命も、奪っていきます。それでも「戦争への道」ですか?(以上)

★ 参考「世界」4月号「編集後記」岡本厚さんの言葉(抜粋)

不安定で、将来への希望の薄いこれらの人々は、特権に対して極めて強い反発を示す。「郵政職員がなぜ公務員でなければならないか」と叫んだ小泉首相が、2005年の総選挙で圧勝したのは、公務員が特権層に見えたからである。(中略)

「下流」に押し込められた人々のルサンチマン(怨恨、嫉妬、憎悪)は、マグマのように溜まり、噴出する機会を窺っている。それはある場合には北朝鮮、韓国、中国バッシングになり、ある場合には官僚、公務員叩きになる。特権には、官僚・銀行だけでなく、教師を含んだ公務員、テレビ・新聞などのマスコミ、大学、労働組合も入るだろう。そこから発せられるリベラルな言説は、内容に拘わらず、現状を肯定し保守するものとして、嫌悪と反発の対象となる。現実の複雑さや問題を粘り強く解いていくリアリズムの手法に耐えられない。(船橋洋一氏の言葉)が、事態をさらに悪化させ混迷させる。(以上)

日本の若者の気分や感情を理解するための一助になればと思い、以上の文章を紹介しました。社会に疎外感を抱いている人たちとは、このことを理解したうえで対話をする必要があると思います。