函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主の趣味と感じたことの
日記です。

大納言、豊臣秀長!!

2007-01-28 | 歴史
最近読んでる小説。勿論歴史小説なのだが



堺屋太一【元経済企画庁長官】の書いた豊臣秀長

何が凄いって、この本一冊105円〔税込〕何です



実は、この本、二年位前にBOOK OFFで購入したものです

安いと思いませんか

結構、掘り出し物が有るんですよ

そうそう、肝心の小説の方ですが、羽柴小一郎秀長

という人は、生涯補佐役に徹しきった人なのです。

有名な、小牧長久手〔家康と秀吉が戦った〕の戦いの後は

ほとんど秀長が秀吉の変わりに戦っているのです。

紀州の根来〔ねごろ〕や雑賀〔さいが〕の僧走
四国の長宗我部〔ちょうそかべ〕や九州征伐など
たった三年で平定したのは全部秀長のお陰です。

秀長は生涯のうち百回以上戦ったそうですが、一度も
ミスを犯した事が無かったそうです。

これって凄いですよね!!

秀吉の陰に隠れ、血縁だけで出世した訳ではないのです

秀長は、味方の力に合った戦い方をしたそうです。

何故それが出来たのか??

それは、この当時の武将のほとんどが功名や
名声を求めたのですが、秀長にはそれが全く無い!!

補佐役に徹しきったのである。

兄である秀吉のため、羽柴家存続のための一念なのかは

戦国という時代は、親兄弟までも平気で殺しあったのに

この兄弟は稀有な関係だったと思う。

秀長が四国平定から戻ると、紀伊・和泉70万石の
大大名になる。おまけに従三位〔じゅさんみ〕参議だ!!

従五位の徳川家康よりはるか上の位である。

ちなみに、この時から豊臣秀長を名乗るのである

いくら偉くなってもこの人の仕事は変わらない

新しく台頭してきた文治派の高飛車な態度を叱りながら

結局、古参の武将に新しい規則を守らせた。

要するに、正しい事を言った者を叱り
叱られた文治派を見て、古参の武将は溜飲を下げる。
利口な文治派は結果的に規則を守らせる
秀長を頼りにする。

なんと抜群な調整力でわないか

その後秀長は大和・河内・和泉の一部を加え
114万石の大名となり位も権大納言となる。

秀長は兄の秀吉と違い生活は質素で地味だったそうだ。

自らの功績を伝える記録も残そうとしなかったし

面白いエピソードも全く残っていない!!

恋の話も無ければ子供も無かったのです。

結局、全てを兄である秀吉の築いた統一国家を
残す為だけに、一生を捧げたのです。

豊臣家が二代で滅んだのも当然のことかも知れません。

歴史にもしもは無いと言いますが、秀長が長寿だったら

家康も迂闊に手を出せなかったはずです。

言い切っても良いが秀長がいなかったら

豊臣政権は出来なかったと思います

余談になりますが、秀吉と秀長は異父兄弟と言われてましたが

どうも、父も同じみたいなのです

秀長は母の大政所〔なか〕と竹阿弥〔秀吉の義父〕の子供だと

言われてきましたが、年代的なずれが有るのです。

多分元の名前が小竹〔こちく〕と行ったので

竹阿弥の竹お取って名前を付けたと思ったのではないか!!

意外と真相はこんな所に有るのではないでしょうか

















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2 コメント

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こんばんは (arazaran)
2007-01-28 21:13:41
秀長の話おもしろかったです。
あまり知りませんでした。

関が原のときはどうしたのでしょう。

徳川幕府まで生き延びたのでしょうか。
Unknown (iseっち)
2007-01-28 23:50:46
秀吉より先に亡くなったので、関が原の戦い

には、当然出られなかったわけです。

もし、秀長が生きていたら関が原の戦いは

絶対に無かったと思います。

もしかすると、前田利家より数段上の

存在感のある武将だったと僕は思っています。

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