函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

平清盛、富士川の戦い!!

2012-12-04 | 歴史

平家軍7万、源氏軍20万とも言われていますが、かなり誇張された

数字のようです

九条兼実が書いた玉葉によれば平家軍は4千騎ほどいたそうですが、

脱走兵もかなりいて1200騎ほどまで減っていたとか??

この年西日本では飢饉があり食料の調達もままならない状態で富士

川に布陣した平家軍ですが、戦う前から兵の殆どが戦意を失っていた

とも言われているのです

清盛が派兵を決めてからの動きも遅すぎます

武士の集まりもかなり悪かったのでしょうが、富士川に布陣するのに1

か月近くもかかっているのですから驚きです

ドラマでは吾妻鏡に書かれている水鳥の羽ばたく音を敵軍の夜襲と間

違って総崩れになったと言う説をとったようですが、実際は水鳥のせい

ではなかったようですね

たまたま増水していた富士川、いつ洪水に襲われるか分からない極限

状態で奇襲をかけられたのですから総崩れとなったのも仕方ありません

何れにしても兵の士気、軍勢の数、どれをとっても平家軍の方が劣って

いたとしか思えません。

平家の最高司令官・清盛ですら自軍の全容を把握出来ない状態だった

のかも知れませんね

 

伊藤忠清が言っていたように平家はもはや武士ではなくなっていたので

しょうか??

『平家はもはや武門ではございません。殿ご自身も、もはや武士ではあ

ません。殿が目指した武士の世は、武士のままでは作れぬものでした。』

清盛が作り上げた平家政権ですが、忠清にとって武士の世ではないと言

いたかったのでしょうね。

公家化した平家の人々、気がつけば民からも武士からも見放されていた

事を清盛は感じていたのでしょうか??

命懸けで諫言した忠清に向かって刀を振り下ろそうとする清盛、しかし清

盛にはもはや刀を振り下ろす事も出来なくなっていたのです

老いた清盛と錆び付いた宋剣、平家衰退への暗示とも読み取れます

 

ところで

頼朝と義経の対面ですが、感極まって号泣していた弁慶一人だけ浮いて

いた感じがしましたね

感激の薄いご対面だったのでは…

頼朝と義経、兄弟でなければ殺す事も殺される事も無かった二人ですが、

身内同士での殺し合いを繰り返してきた源氏の血が二人に流れているの

です

頼朝の同母弟・希義も流されていた土佐で挙兵したようですが、戦いに敗

れ亡くなります

おそらく生きていても義経と同じように頼朝に疎まれ殺されていた筈です。

優れた人物であればあるほど頼朝にとっては邪魔者となるのです。

血が近いほど猜疑心が増すのでしょうか??同母弟であればなおさらか

知れません

 

それが源氏の血なのでしょうかね

 

 

 

 

コメント
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