函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

龍馬伝、切腹した亀弥太!!

2010-06-14 | 歴史
愛の蛍、何か演歌の題名のようなタイトルでしたね

友人に対する愛、恋人に対する愛、妻に対する愛、全ての
人間に対する愛、色々考えるとタイトルには深い意味があ
るのかも知れません

何れにしても池田屋事件に加わっていた望月亀弥太の事が
勝海舟の操練所存続にはかなりの痛手になったようです
操練所はこの後一時閉鎖となりますが、何も亀弥太一人の
責任では…
幕府の中の保守的考えを持った役人にとって海軍という今
まで見た事も聞いた事も無い物を存続させる事をよしとし
ない人も大勢いた筈です
いつの時代も守旧派はいるものです

望月亀弥太の死を嘆く龍馬ですが、龍馬の師・勝海舟もそ
の死にあたりかなり落胆していたと伝えられています
海舟も亀弥太の能力を高くかっていたのでしょうね。
ドラマではチョイ役の様な扱いの亀弥太ですが中々の人物
だったのは間違いないようです

悲しんでいる龍馬に対し『己の道を貫いたんだから褒めて
あげてべきじゃないの!』と言ったお隆。
自分の父を始め数々の攘夷派志士の死に接してきたお隆に
すれば、そうでも思わなければ…
龍馬に言った言葉はもしかすれば自分に対して言った言葉
なのかも知れません

尊王攘夷思想に傾倒していた亀弥太ですが八月十八日の政
変の後出された土佐への帰国命令に背き脱藩、長州藩の藩
邸に潜んでいたらしいのです
その時に長州の過激な尊王攘夷派との関わり合いが出来た
のでしょうね。

池田屋事件の時は何とか池田屋を脱出したそうですが、幕
府側の藩兵に囲まれ重傷を負ったようです
深手を負いながら長州藩の藩邸まで辿り着いた亀弥太です
が、何と頼りにしていた長州藩が拒否
行く場所を失くした亀弥太はやむなく長州藩邸前で切腹し
たと言われています
長州藩といえども尊王攘夷過激派による天皇をまき込んだ
謀議に表面上加担する訳にはいかなかったのでしょうか??

龍馬は明治二十四年に正四位の官位を明治政府から賜って
いますが、龍馬から遅れる事五年・明治三十一年、亀弥太
も従四位の官位を賜っています。
この事だけ見ても一介の過激な尊王攘夷派浪士ではなかっ
たようですね



サポグラ 6月号 のCMです






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