函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

親馬鹿!!

2009-11-09 | 歴史
「そなたは謙信公を超えている、そなたの義を
つらぬけばよい」
謙信を超えている~!!何処が~~
母親とはいえひいき目にも程があります。
親馬鹿もいいところ

兼続がいなければ何も決断出来ない景勝
決断したといえば訳の分からない義を盾に徳川
軍追撃を中止した事くらい
それとて後で悔やむ始末
普通の神経では中々言えない言葉です。
羞恥心の欠片も感じません
穴が有ったら入りたいとはこの事ですね

あれだけ景勝には内密にと言っておきながら、
今際の際とはいえ謙信の遺言が嘘だった事を告白
すね仙桃院。
年を重ねた割には人間が出来ていない様ですね
こんな親子と約束をした兼続やお船が少し気の毒
になってしまいます

ところで
いよいよ家康最後の戦いが始まりましたね
「国家安康・君臣豊楽」、因縁をつけたといえば
確かにそういう側面もありますが、豊臣を潰さぬ
限り徳川による支配が確立したとは言えないので
す。
見方を変えれば豊臣も因縁をつけられる様な事を
したとも言えます
どう見ても「国家安康・君臣豊楽」は拙いですよ

徳川を逆なでする様な文言を何故入れたのでしょ
うか??
僕には確信犯としか思えないのです

それはそうと、方広寺の一件では怪僧・金地院崇
伝らの謀だとばかり思っていたのですが、何故か
遠山某の仕業になっていましたね
北条→上杉→北条→徳川と大事件の前後に必ず重
臣の一人として登場する遠山
影の主役といった感じもします。
脚本家氏はよほど遠山がお気に入りな様ですね


話は戻りますが、方広寺の一件が無いとしても徳
川は次から次へと難題を突き付けて来た筈です
豊臣は一大名として生きるしか術がなかったにも
かかわらず、形の無い権威にしがみついた為滅亡
の道を歩むしかなかったのです
尤も
庶民にとっては戦乱続きの世が終わるのですから
願ってもない事ですが…

ようやく戦国時代が終わろうとしています
庶民の目からすれば織田でも豊臣でも徳川でも構
いません。
数百年続いた戦国の世を終わらせてさえくれれば
誰が天下人になっても…

太平の世ももう直ぐそこです

正宗の仲立ちで二代将軍・秀忠に謁見した兼続で
すが、よりによって家康が焦っていると秀忠に意
見するとは
陪臣が将軍に拝謁するのも珍しい事ですが、何を
勘違いしたのか?父である前将軍が焦っていると
発言するくだり…
僕には到底信じられないのです
まだ世が定まっていないとはいえ、征夷大将軍に
対する物言いではありません。
あまりにも現実離れしててかなりの違和感をおぼ
えるのです。
このドラマの主役とはいえ、もう少し史実に沿っ
た脚色をして欲しいものですね

ところで
方広寺の一件にも深く関わっていたとされる金地
院崇伝ですが、元を糺せばれっきとした武士なの
です
足利将軍の家臣、父は一色秀勝、源氏ですね。
江戸に幕府を開いた家康に招かれて家康の側近と
して使える事になります。
武家諸法度や禁中並公家諸法度の制定も崇伝だと
言われていますが、勿論、崇伝一人だけではあり
ませんが…

鎌倉幕府の官僚・大江広元と似たような感じもし
ますね
外交や法律を作るにあたってその才をいかんなく
発揮した崇伝ですが、家康の死後、その神号をめ
ぐりもう一人の怪僧・南光坊天海と対立する事に
なるのです
明神を主張する崇伝と権現を主張する天海の戦い
結局、天海が主張する権現に決定するのですが、
敗れた崇伝も僧録として権勢を振るい続けるので

黒衣の宰相と呼ばれる所以ですね。

来週は大坂の陣で真田幸村と対峙する様ですが、
徳川軍として戦う事の正統性をどの様に説明する
のでしょうか??
ディベートの達人兼続、上手く言いくるめるので
しょうが少しは期待をもって見てみようかとも思
っています
果たして兼続の義とは



サポグラ 11月号 のCMです





コメント (8)
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