倭人が来た道

謎の民族文様が告げる日本民族の源流と歴史記憶。

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第6章 信仰的精神性が息づく民族文様

2012-11-07 10:29:10 | 第7章 信仰的精神が息づく民族的文様文化
 古代日本の装飾古墳にみられる文様が、どうやら、中国の少数民族・苗族の伝統文様にみられるらしいというところまで迫ってきた。それは、古代人の暗号でもメッセージでもなく、彼らが神と崇める蛇をあしらったものだった。これらが長江流域から日本列島に直接もたらされたとする私の推察を裏付けるために、古代の中国と日本列島における「信仰的精神性が息づく民族文様」の視点でみつめてみよう。これが実に多様で、古くから広範囲に浸透していた事実に驚かされる。
 
●中国にみる伏義・女媧文



①上:良渚文化の動物形玉器。
 豚をあらわしたと思われるが、初歩的な連続双極文と蕨手文が刻まれている。ただしこの文様の場合、日本の装飾古墳にみられる弧帯文の要素を含んでいるように見受けられる。(東京国立博物館収蔵)Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
②下:良渚文化の玉飾り。   
 逆台形状の下半分には外周にはみごとな双極文と二頭うず文飾りによって獣の顔を描き、上方部には逆台形の巫女の顔が描かれている。(写真提供:中国古美術 太田)



③右:殷代の鐃(にょう)。湖南省寧郷市老糧倉出土。
 中央には饕餮(とうてつ)文、その両目および上下をうず文飾りがある。長江中流域などの鐃(にょう)は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。大型の鐃は山の斜面や頂上の穴に埋めた状態で発見されることが多い。(これが日本の銅鐸祭祀につながっているようで、銅鐸の故郷も長江中流域にあるようである)。(写真提供:考古用語辞典)
④左:殷代の銅冑(どうちゅう)。
 みごとな金銀緑松石象嵌が華麗に施されている。大きな饕餮文と、正面と脇に二頭うず文飾りがあるほか、細部に細かいうず巻き文があしらわれている。(写真提供:中国古美術 太田)



⑤右:盤蛇(ばんだ)型の金帯鉤(きんたいこう=ベルトのバックル)
 1匹の大きな蛇がとぐろを巻いており、その背中に4匹の小さい蛇が乗っている。さらにとぐろの間では、2匹の小さい蛇が遊んでいる。長く使用されたもののようですり減っているが、蛇の隙間を双極文で埋め尽くしているのが分かる。(写真提供:考古用語辞典)
⑥左:人頭鳥身像 。殷周代・四川省三星堆遺跡出土。
 三星堆遺跡から出土した三号神樹に属する一部分。(向かって右側に大きな蕨手文が確認できる)。人頭鳥身が蕾の上に立ち、翼を広げている。(写真提供:考古用語辞典)



⑦右:戦国~前漢代の青銅銀錯(ぎんさく)剣。
 剣身全体を菱形ウロコ文の銀錯(ぎんさく=銀象嵌)で飾っている。まさに剣身を霊力を秘めた蛇身にみたてたものだろう。非常に美しい剣である。(写真提供:中国古美術 太田)
⑧左 :前漢代の雲気文(うんきもん)瓦当(がとう)。
 二頭うず文をあしらった瓦当。同品は始皇帝陵からも出土しており、裏面には「昭和53年4月15日 兵馬俑坑ニテ秦阿房宮瓦」と朱書きがある。(著名な中国文学者・上村幸次氏の旧蔵)。(写真提供:中国古美術 太田)


●日本列島にみる伏義・女媧文
 新石器時代の長江流域に発した伏義(ふくぎ)・女媧(じょか)をあらわした蛇文が、殷・周・秦・漢と中原文化に浸透してきた事実を確認したが、今度は日本列島の縄文時代から弥生時代・古墳時代に同じ文様文化が存在した事実を確認する。驚くべきことなのだが、弥生以前の縄文時代には、すでに長江流域からの人と文化が北海道まで及んでいたことが分かる。


①鹿児島県国分市の上野原(うえのはる)縄文遺跡出土の土製耳飾り。のちほどご覧にいれる隼人楯(はやとたて)にそっくりの双極文が刻まれている。また、同遺跡からは首回りに双極文を刻んだ 壺型土器も出土している。(縄文時代早期後半・約7500年前)。


②北海道室蘭市輪西町出土・縄文時代晩期の土偶。胸から肩にかけて、原初的な双極文と双脚輪状文が見える。腰回りには、明らかに滄源(そうげん)岩絵と同じ二頭うず文が確認できる。ここに見られる二頭うず文飾り、双極文、双脚輪状文が、偶然にも3種揃って苗族の蛇文を知らずして刻まれたとは考えられない。必然的に、長江流域からもたらされたのか、あるいはこの土偶を造った人が長江流域からやってきたのか。いずれにしても驚くべきことなのだが、弥生以前の縄文時代晩期には、すでに長江流域からの人と文化が北海道まで及んでいたことになる。
(重文・ 東京国立博物館所蔵)Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
 (のちほど触れるが、九州の南端で分岐した黒潮の北回り海流は対馬海流となり、日本海沿岸を通って津軽海峡を抜けて太平洋に出る。この海流が、長江河口からやってきた人びとを、東北や北海道まで運んだものと思われる)。


(重文・東京国立博物館所蔵)Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/

③宮城県田尻町恵比須田出土の縄文時代晩期の遮光器土偶。
 胴回りに蕨手文らしきうず巻き文が確認できる。背中には蕨手文の組み合わせパターンがみられる。
衣装をみると、貫頭衣を着ていたはずの縄文時代に、袖つきの上衣に脚絆(きゃはん)のようなものをつけている雰囲気がある。たぶん、女性が冠をつけて何らかの神に扮した象形なのだろう。(縄文人の衣装文化も、これまでに言われてきたような「貫頭衣」一辺倒ではなかったようである)。
 仮面の鼻づらが立体形の蕨手文であることと巨大な目から察するところ、瞼を閉じたカエルか蛇などに扮して仮面をかぶっているのかも知れない。



●遮光器説に異論
①土偶の目は遮光器ではない。遮光器であれば、下の現物写真(イヌイットの遮光器 wikimedia PD)のように、できるだけ光を遮るように最低限の切り込みで済ます。ところが土偶の目は、端から端まできっちり切り込みがいれられており、カエルか蛇が目をつぶったような状態をあらわしている。
②土偶そのそのは明らかに人で、乳房と陰部をさらけ出しているように見える。現実問題として、遮光器をつけるような厳寒の状況下で、素肌を部分的に丸出しにすることはあり得ない。
③縄文研究者として知られる小林達雄氏によれば、土偶は精霊を偶像化したものだろうとのことである。「縄文草創期・早期・前期の土偶は顔がない。その理由は精霊の顔を想像できなかったからだろう。顔や手足などが表現され始めるのは縄文中期以降なのだが、どれもみな人間ばなれした顔をしている」。私も氏のこの説に賛同して、土偶は豊穣や恵みをもたらす神(精霊)を形どったものと見るが、遮光器土偶もこの例に漏れないものとみる。

※遮光器土偶は女性が祭祀用の冠をつけ姿のようである。巨大な目から察するところ、目を閉じたカエルか蛇に見える。この遮光器土偶が実際の人間を表現したものとすれば、土偶がまとっている文様が文身(刺青)ではないことは確かだから、文様つきの衣服を身つけていることになる。衣服の柄文様となれば時代的には刺繍だろう。刺繍となれば、やはり長江流域の少数民族と密接につながる。
 「中国の刺繍の起源は古く、文献記録では舜の時代から存在し、考古学上は殷周代のものが確認されている。現存する初期の刺繍としては、周代(紀元前1122年~紀元前249年)のものがある」。現在、中国の4大刺繍は蘇繍(蘇州)・湘繍(湖南)・蜀繍(四川)・粤繍(おうしゅう=広東)で、中国南部に集中している。蘇州刺繍の起源は春秋時代まで遡るとされている。( 参考:東方ネット会社)
 この土偶がつくられたのは紀元前1000年から紀元前400年頃になるのだが、中国ではすでに刺繍が行なわれていた時代である。そうした状況と、土偶に施された長江流域の精神性を漂わせるうず巻き文から判断すれば、衣服に柄文様をつける知識か体験を持った人が長江河口からやってきたことになる。


④新潟県中魚沼郡津南町・道尻手(どうじって)遺跡出土の火焔(かえん)土器。
 いずれも、火焔土器特有のダイナミックさと力強さを感じさせる。いわゆる火焔と呼ばれる造形部分は実は火焔ではなく、蛇や動物などの信仰対象を形づくった可能性も考えておく必要がある。縄状に練った粘土を貼りつけて画いたと思われる、原初的なうず巻き文が確認できる。(写真提供:農と縄文の体験実習館「なじょもん」)


⑤右:仮面の女神。中ッ原遺跡出土(縄文中期後半・茅野市尖石〔とがりいし〕縄文考古館収蔵)。
 縄文の土器作者にも地域や場所によって技術の格差があったらしく、安定感のあるフォルム、デフォルメされた形、均一で浅めに刻まれた文様などをみると、この土偶はとくに優れている。
⑥左:縄文のビーナス。棚畑遺跡出土(縄文中期・茅野市尖石縄文考古館収蔵)。
 茅野市尖石縄文考古館から拝借したこの写真では見えないが、頭部裏側にうず巻き文がある。(写真提供:茅野市尖石縄文考古館)


⑦左:香川県出土と伝えられる弥生時代中期の大銅鐸。
 高床倉庫・もちつき・狩りなど様々な原始絵画が描かれた有名な銅鐸で、吊り手の部分に連続双極文と連続三角文(ウロコ文)が描かれている。
(国宝・東京国立博物館所蔵)Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
⑧右:滋賀県野洲市・大岩山出土の弥生時代後期の大銅鐸。
 吊り手の部分に 二頭うず文飾りがあしらわれている。
(重文・東京国立博物館所蔵)Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/


⑨福岡市西区今宿町の今宿(いまじゅく)五郎江(ごろうえ)遺跡から出土した、弥生時代後期後半の木製短甲の部分板材。左のうず巻き文様は津南町出土の火焔土器に近いものがあるし、右の連続三角文(ウロコ文)は、のちほど提示するタイのアカ族(苗族系ハニ族)の鳥居「精霊の門」に刻まれたウロコ文様とまったく同じである。こうしてみると、縄文時代から弥生時代へと、文様にまつわる信仰的精神性が連綿と続いていることが分かる。(写真出典:発掘された日本列島2009・朝日新聞出版)


⑩三角縁神獣鏡
 弥生時代末期の三国時代に造られた鏡だが、神獣をモチーフとした精神性は道教の前身たる天師道や太平道など、いわゆる初期道教に起源する。その初期道教が最も盛んだったのが、三星堆文化の地である長江上流部の漢巴と、長江下流域の呉越地域である。考古学的にも、神獣鏡は長江下流域の呉の領域で盛んに造られた鏡で、中原の漢式鏡に対して呉式鏡と呼ばれる。鏡の縁の内側を二重の連続三角文(ウロコ文)が巡っている。のちほど詳しく触れるが、初期道教の信仰的精神性を象徴する神獣鏡に、苗族の民族衣装にあしらわれたものと同じ構図のウロコ文が使われている事実が意味するところは重要である。




⑪群馬県大泉町古海出土の腰かける巫女
 縄文時代の土器・土偶から弥生の銅鐸・銅鏡へ、連綿と続く幾何学文は、古墳時代になると埴輪や古墳の装飾にもみられるようになる。巫女と思われる女性の帯と上衣のすそと、台座にウロコ文の線刻が確認できる。いつどの古墳から出土したのかは不明のようだが、この埴輪が置かれた墳墓の石室には同様の装飾が施してあったものと推察される。
(重文・東京国立博物館所蔵)Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/



⑫上図は、奈良県の唐古(からこ)鍵遺跡で出土した土器の絵を再現した男女司祭の衣装の文様。
 このウロコ文は紛うことなく装飾古墳と共通するし、鳥に扮した女性司祭や、黥面(げいめん=顔に刺青)をした男性司祭などは隼人色の濃い扮装である。文様の共通点については、下の白ラ人の民族衣装と比較すれば一目瞭然になる。



⑬左の写真は、茨城県ひたちなか市の虎塚古墳の石室のアップ。
 石室右壁の隅に双極文が描かれている。この装飾古墳の場合も、同心円文、連続三角文(ウロコ文)、双極文が出そろっている。8世紀の平城宮の井戸枠に転用されていた(もしくはまじないとして置かれた)隼人楯の双極文と、茨城県ひたちなか市の虎塚古墳の壁に描かれた双極文とほぼ同じである。苗族の民族衣装でも最も多くみられるものだが、隼人楯の双極文はみごとに古来の面影を残している。


●その他のうず巻き文 
 長江文化特有の構成図柄である蕨手文・双極文・連続双極文・二頭うず文飾り・連続三角文(ウロコ文)が日本列島に伝来していた実例をみたが、ほかにも実例をあげれば枚挙にいとまがない。
①鹿児島県大口市篠原の陣之尾城跡遺跡で、上野原遺跡の耳飾りと同じ種類の土製耳飾りの一部破片が出土した。鹿児島県内ではこれまでに8遺跡から出土している。
②青森県八戸市の縄文学習館収蔵の「赤うるし塗り注ぎ口つき土器」には、北海道室蘭市輪西町出土の土偶にみられたような素朴な連続双極文がみられる。
③宮城県七ケ浜出土の土器にもうず巻き文がある。
④金沢大学資料館の赤うるし塗り土器に大きなうず巻き文が施されている。
⑤山形県西ノ前遺跡出土の立像土偶の腰回りには、わらび手文が確認できる。
⑥山梨県北杜市金生遺跡出土の中空土偶の下腹部正面には、はっきりとした渦巻き文が描かれている。
⑦青森市宮田遺跡出土の遮光器土偶の頬には、うず巻き文の黥面が描かれている。
⑧島根県加茂岩倉遺跡出土15号銅鐸は、連続三角紋と二頭うず文飾りで埋められている。
⑨時代の近いところでは、アイヌの衣装や木彫民芸品にも二頭うず文飾りがある。

 これまでに見てきたように、土器・土偶にはじまって、弥生の銅鐸・銅鏡を経て、埴輪・古墳に至るまで、伏義・女媧を蛇神とする信仰的精神が脈打っている。これは厳然たる事実である。
 日頃少しだけ注意深く観察すれば、現代においても私たちの身の周りにも溢れていることに誰しも気づくはずである。それらの原型は早ければ7~8000年前には日本列島にやってきており、時代の経過とたび重なる渡来の波を受けつつ、列島各地に広がっていったものと思われる。そこには、縄文半ばから蛇神信仰をもった人たちが長江河口から時代を経て継続的に渡来し、その都度、先発組との平和的融合を繰り返しながら文化や技術を伝えた様子がうかがえる。
 

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