佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

釣りカルタ「タ」(タイワンドジョウ)

2021-05-26 19:37:49 | 釣り

「タイワンドジョウ」

  通称、雷魚とも僕らは言っていたが、一般的にはタイワンドジョウとい  

  う方が、わかりやすい。僕の思い出としては今地下鉄が走っている

  天王寺から西田辺のあいだにため池になっていた地下鉄の路線、仲間と

  釣竿をもって釣りに行ってはよく怒られたそのため池にこのタイワンド

  ジョウがいたと思う・・・外来魚

  また、10年以前にブラックバスの疑似餌の製作のために、奈良の溜め池

  を友人が借りるのを手助けしたときにも、その池に多くのタイワンドジ

  ョウがいてそこで専門に其れを狙っている釣りのグループがいて、そこ

  をブラックバスの釣り堀にはしないでほしいと文句を言われたことが

  あった。

  小西さんの図鑑によると、有棘顎口虫の幼虫がいて生で食べると幼虫

  移行症に苦しむことがあると書かれています。

  外来魚で情報不足の魚とのこと。

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本の完成と発注

2021-05-25 19:07:53 | 釣り

長くかかった本の製作、

やっと完成しまして、東京の文芸社に送りました。

そして作ってもらうことにしました、ハードカバーにてお願いしまして

これから構成してもらいますそして販売となるようですが、僕は子供に上げるのが

本来の目的ですので別口で簡単なのを作ります、

参加してもらった方々(60余名)には文芸社での製作品を送るつもりです。

思い立ってからもう2年近くなるのではないかなと、最初は魚のカルタの予定でしたが、

本のほうが先にできてしまった、カルタは色は48文字をつかっての魚の名前での本

ですので、持ってもらった方が自分と張り比べられるというのにしたい。

本を作ってもらうお願いをしたのですが完成までにまだ5か月ぐらいかかるそうです、

まちどうしい期間です。

車も買えなくなりましたが(新車)制作のための多額の寄付もいただきありがとうございました

おかげで何とか助かり、自分の夢が一つかないました。

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思い出(荒磯の開拓者)2

2021-05-24 19:31:14 | 釣り界の歴史

昨日の続き

大井さんが森岡さんにゼニスで先を越されて1番乗りを逃がしたので別のところに行くことに・・・

(森岡さんのことはずいぶん以前に書いたように思うのですが?)

そして五島列島に行くことになった、それも森岡さんと、するとまたお天気が悪く磯にあがれずで

その後に又、森岡さんに先を越された、そのご森岡さんは磯の開拓が好きであちこちに行かれるが、

大井さんはよいと思ったら同じところに通うタイプで、その後は別々に開拓に行かれることになった。

昭和37年ごろから草垣群島や奄美大島に通うようになり大物ばかり狙っていて、竿を5つに折られてから

竿では取れないと思い、クレモナロープを使いだした、そして磯にテントを張りご飯を炊いてのひとりで

の釣りで、釣れた魚を焼いたり煮たりして食べて、ひたすら大物のクエを待つという

いかれた先は先に書いた以外の与那国島に吐噶喇列島の悪石島や平島に尖閣列島などあらゆる離島に行かれた

といわれている。

大井さんの目標は200キロのクエを釣るのが夢だったという。

この本で見る大物の釣りに見せられた人々のことを書かれた本はもうないでしょう。

この当時は船も限られていて、今のような快速船等なく大変な釣行だったと思います。

(写真は別冊フイッシングより)今はもうこのような本がありません。

 

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思い出

2021-05-23 19:53:03 | 釣り

釣り人の思い出としての魚拓は今は亡きOACにおられた天満の大井巌さん

クエ🎣一筋の方でした。

私の手元に大井さんのつられた魚拓が1枚長年あったのですが、どこかに紛れ込んでいるのか見当たらない、在籍していた全関西磯連当時にたまってきた魚拓を処分していく中で捨てるに忍びなくいただいたのですが・・・

昭和52年(1977年)に産報出版から出された「別冊フイッシング」に特集で「釣りバカ一代記」として大井さんのことが書かれておられます。当時で61歳、1年に258日は磯にいるといわれていた。

離島の開拓者として有名な豊中の森岡さんとはまた違う方向でクエばかりを狙って遠征されている方です。

今はもうこのような方は出てこないとおもいますが、この「別冊」のような本はもうないでしょう。私にとっての貴重な本の一冊です。

この本以外には「井ノ口和男氏の離島の大物釣り」に志賀吉秀氏の新しいグレ釣り」「藤沢淳一郎氏の磯つり」「三木武夫氏の釣り三昧」に「佐古田修一氏の現代釣り名人列伝」などが大事な蔵書としてあります。

このような本をどこかに残してもらえたらと思っています、淡路のじやのひれの社長が釣りの貴重な資料を残す建物を作られていて以前に私も竹竿を持っていきおいていただいてますのでいずれはそこにと思っています。

この大井さんのことをこの別冊から書き写したく思います

この大井さんは聞くところによると天満でパチンコ屋をされておられたのですが,すべてを奥さんに任せて月のうちの20日は釣りに行っていたという

本人さん曰く、「ワシは釣りだけが趣味や、その代わりほかのことは一切しないとそしてクエ専門に釣りをされていたという。

この当時で20キロ以上のクエを150本は上げていたという。     有名なのは昭和48年3月に奄美の皆津崎での148㎝で56,7キロです。

この大井さんは森岡さんと知り合ってから大物釣りに狂ったようです。

伊豆の銭洲えの1番乗りを目指したのですが、海が荒れていて上がれずにおるうちに森岡さんに先を越されたという、この当時森岡さんとはよく遠征されていたという。

 

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釣魚1

2021-05-22 19:48:42 | 釣り

毎日ブログを更新してますが、釣りに行けない日々が続いて仲間も嘆いていますが

もうしばらくのしんぼうかなと思っています。

新鮮な釣りの報告をしたいのですが今は釣り歩いてきた日々を振り返って、

どんな魚を釣ってきたのかなと、書き出してみます、まず昭和50年前までを

釣りの本を書いてみて、釣り仲間の皆さんに写真をもらいますが、大体写真

を撮られるのは決まった魚が多いようです、小魚は総じてとられてないよう

です。私も今自分の釣り魚を調べてみました。

皆さんも振り返ってみてください、魚を釣った時の思い出が戻ってきます、

大小関係なく。

私の場合は、昭和45年4月からの記録を小笠原弟島にて・バラハタ 78.0、フエフキダイ 70,0 ギンダイ 40,0

      昭和46年6月潮岬一の島にて、 イシダイ 50,0

      昭和47年5月小笠原姉島にて、クエ 83,5

      昭和47年11月小笠原姉島にて、クエ 88,0

      昭和50年3月ケラマ列島トカシキ島 ホウセキハタ 63,0

この当時自分の仕事もうまく軌道に乗っており釣りにもよく行きました、

また事務所の釣り好きな社員もつれて小笠原に遠征も・・・

この遠征釣行での船の中で知り合った女性と一人は結婚しました。

             

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