佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

仕事

2017-08-24 20:26:50 | 日々の思い

今かかえている上冨田の処理場の設計

いよいよあさって地鎮祭となりました。

しばらく地鎮祭もやってなかった、あさ10時からの地鎮祭ですので大阪を6時30分に出たら

10時には間に合うだろうと思い、構造担当の中村氏を梅田に迎えに行き走るつもりです。

午前中でそれを済ませて昼の1時から今度はパークマンションの理事会があるのでそれに

出席します。タイミングがあったので2度行かなくてすみます。

 

上冨田の処理場の設計はまだ完成まで行ってないのですが、確認申請を出さなくてよいので

時間が稼ぐ事ができたのですが、サボってるわけには行かない、積算もぎりぎりの時間です

管理棟はこれからの設計になるのでどうしても納期には遅れますが、一応了解をえてい

るので助かりますが、・・・

今設備設計との折衝がうまくいかなくてこまりものです、

私が設備設計をできないので外注しているのですが、友人の紹介のところで、私なりに

話をしているのですが、どうも金額が小さい仕事なのでなめられているようで、図面上の

追加のことをFAXすると、内容が聞きたいから来いと言う、小さくても仕事を発注する側に

自分のところに打ち合わせに来いとはよく言えたものだとあきれて腹が立っています。

私なりに気を使い見積もりがきたのを、アップしてあげたのがなめられたのか、足元を

みたのかまだそれ以上に追加を言ってきたのでもう断ろうかなと思っている。

初めてのところとの付き合いは難しいものですが、挨拶したときの第一印象が悪かったので

友達にそのときに断るかもといったのを思い出しました。

そのために気を使い金額をアップしtのに意味がなかった、ざんねんです。

明日紹介してくれた友人と話をして対処するつもりです。

 

 

 

 

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第40回東洋魚拓 拓正会展

2017-08-23 19:14:39 | 釣り界の歴史

アジの群れ  森内広海 氏

 

夏の魚でもあるこのアジは、夕暮れから波止場で

家族で楽しめるアジのサビキ釣りがにぎわう

小さいのは南蛮漬にしておいしくいただけるし

ある程度の大きさになると叩きでもできる庶民の魚

 

 

鯛三昧   下村 努 氏

海の女王としての美しさは他の魚よりぬきんでている

魚の魚拓ではまず練習にもタイが使われる、フイッシングショー

の拓正会の会場での講習でも皆さんが喜んで成果を持って帰られている

 

 

 

グレ  海江田 洋 氏

 

磯釣りの上物の対象魚のNO1でもある、グレ、この魚の大グレを求めて

釣りキチはアチコチに釣りにいくのです、50センチを超えたら次は60センチを

めざしそれをオーバーするグレをまた求めて遠征をするのです。

 

 

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私の良き釣り人

2017-08-22 19:56:54 | 釣り

一度この人のことをどこかで書いた記憶もありますがあらためて

私が大阪府釣連盟を率いている頃に時々彼に男女群島に連れてもらいましたというか、

行くときはいつもついて行ってくれましたそして仕掛けなどを作ってくれて色々とこの男女での

釣りの指導をしてくれました。

1998年ごろの彼は男女群島に表札があるのではといわれるぐらいの人物でした。

この当時の本(つりのとも)の表紙にもなりました、彼を男女群島に縛り付けるようになったの

は、大分県の底物師と言われる有名人の田中勝利氏との出会いから余計に行くようになった

というこの田中氏にあちこちの磯を紹介してもらい一層のめりこんだようです。

私もこの田中氏に男女の先にある鳥島にて個々のイシダイの釣り方を習いました、

そしてその後にこの鳥島の中岩にて1日で27枚という石鯛釣りの私の記録を作りました。

児島氏とは1年ほど前にまた釣りに連れてなと話しましたが、その後あってはいませんが

連絡が取れて久しぶりに磯の話を聞く事になりましたのでたのしみです。

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思い出

2017-08-21 19:02:38 | 日々の思い

身辺整理をしているともう先がみじかいのやろといわれるが

もう十分に生きてきたので後はおまけと思う

その中で大変懐かしいものが出てきました

当時の大変有名な人で僕が新聞配達している頃からのフアンでした

今は引退されていて私もその方の個人的なフアンで球団としては地元のやはりフアンです

当時私も一番脂の乗っているときで大阪から広島、福岡、東京と飛行機で飛び回っていました

でも車は当時から好きで広島の打ち合わせの場合は、7時間かけてよく走っていきました

当時はまだ高速がない頃でしたので・・・

それがたまたま、広島から東京に打ち合わせに行く事になり、飛行機に乗ったところ

その方が乗っておられました、そしてその隣の席が空いていたのです。

選手の肩の移動は飛行機の場合は半分ずつ乗っていくとのことで事故が起きると

チームがなくなってしまうので半数の方が分かれて乗るとのこと、

あつかましくその方の隣にいいですかと声をかけて座り。東京までお話をしてもらう事ができ

ました、そしてそのときに、打ち合わせのノートしかもっていな買ったので、そのノートを開い

て、サインしてもらいました。

それが今も残っています。

何もない僕ですが大事な宝物です

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ハローフイッシングの思い出

2017-08-20 19:22:10 | 釣り界の歴史
2001年に23人が殺傷された池田小学校の事件を受けて子供たちに少しでも心の傷をいやして もらおうと始めた、「ろくはち会のハローフイッシング釣り大会」 8月25日に五月山の体育館にて行った釣りをつうじての子供たちの心のケアが好評だったので 本当の釣りを楽しんでもらおうと計画。 日本釣振興会の応援と多くの協賛の会社によって行うため淡路のじやのひれの山形社長に 相談して快諾を得て実施された 10月21日に応募された42名の親子を連れていくことになった そして釣りインストラクターの仲間にも私の友人にも助けてもらい実施することができた。 このことは新聞にも大きく報じられた この時の裏話として当初大阪の釣り振興会に声を掛けたが聞いてもらえなくて東京の 本部に話しかけたらすぐにOKが出た。 この時山形氏は子供のために小ダイとツバスなど金銭を無視して300匹も用意してくれた 後で聞くと280匹から釣って帰ったという。 この時、お母さんたちは沢山もらっても料理がたいへんだからといわれていたので手伝いの 仲間には十分に余るからそれぞれがもらって帰ってなといっていたが・・・ この釣りに子供たちは最初戸惑っていたがやがて慣れてくると昼ごはんも忘れての釣りと なった。 この時残念だったのは後日にテレビで放映される予定だったのが1部の方の反対で当日になり 中止となっなったので協賛頂いたメーカーさんにお詫びの電話を急遽した。 あれから16年がたちましたが当時の子供さんも、もう成人されて元気に社会に出て仕事を されておられる方も多くおられるのではないのかな、ただこの日のことは忘れないように したいものです。
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