佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

再読,八木さんのだぼ鯊の戯言(たわごと)

2020-03-20 17:15:56 | 釣り

10日と16日に載せさせてもらった八木さんのだぼ鯊の戯言(たわごと)シリーズ の肝心の絵が抜けているとのことで

再度載せさせてもらいました、すみません、僕のパソコンでは入っていたのですが、どこか転送するときのやり方が

まずかったのか入ってないようなので、肝心のこの絵がなければ面白くないので再度2つの作文を掲載しました。

 

だぼ鯊の戯言(たわごと) 

渓流釣りシーズンになると、必ず読み返すのが文豪、井伏鱒二の釣り短編集「川釣り」です。

 コンパクトな新書版の中に二十編もの“釣り文学”が収まっていますが、とりわけ「白毛」が含蓄に富んだ作品に

 仕上がっています。

 サヨナラだけが

       人生だ

 舞台は、渓流釣りの河原。出会った若い釣り人二人に、羽交い締めにされ、主人公が頭から“白毛”を抜かれます。

 「おッさんの白毛をよこせ。おとなしくよこせ」。男たちは白毛を渓流釣りのハリスにしようという魂胆なのです。

 若い男は主人公の体の向きを変え、後ろから両腕で固く抱きしめます。たいして抵抗もできないまま、もう一人に三十五本ほどの白髪を抜かれる。よくまぁ、数えていたものですね。釣り場でこんな事があってたまるか、という薄ら寒い気になると同時にぷっと吹き出しそうにも。

 憤懣やるかたない主人公はしばらくしてアユ釣りで懇意になったある年長者に、白毛強奪の顛末を打ち明けると「あなたの白毛がテグス三毛(03号)としてもその追剥たちは4寸のハヤなら釣り落としたでしょうね」と慰められます。

 それから話は髪の毛の強度と栄養、はては禁欲する、しないで髪の毛の弾力性にひらきがあるなんて話になり最終的に次のような話を紹介し、読者を少しホッとさせてくれます。

 曰く。ある釣り人が、メダカを釣るのに、よその娘さん三人に頼み込んで、額の生え際の生毛をもらって使った。

二人の娘さんのは切れて、一人だけ切れなかった。なぜ?

 「実は、切れない生毛をくれた娘さんはまだ男を知らなかったのです」とその釣り人が小声で

明かしてくれたとか、    

 とまあ、ここで「お後がよろしいようで…」と話は終わるわけですが、だぼ鯊はイマイチ吹っ切れません。

 それは、「山椒魚は悲しんだ」で始まる井伏鱒二のデビュー作「山椒魚」以来、「不運」な主人公が気になってならないからです。「白毛」の主人公も「不運」極まりない。

 そんな不運な主人公たちへの「厄除け札」のつもりで書いたのでしょうか井伏作品には「厄除け詩集」というのがあります。

 詩集は「創作詩」と有名な漢詩を訳した「訳詩」から構成されており、漢詩訳では于武陵(うぶりょう)の「勧酒」の訳がとくに有名です。題して「サヨナラだけが人生だ」。

 (元の漢詩)

勧君金屈巵/満酌不須辞/花発多風雨/人生別離足

 (和訳=直訳)

 君にこの金色の大きな杯を勧める/なみなみと注いだこの酒遠慮はしないでくれ/花が咲くと雨が降ったり風が吹いたりするものだ/人生に 別離はつきものだよ

 (井伏鱒二の訳)

コノサカヅキヲ受ケテクレ/ドウゾナミナミツガシテオクレ/ハナニアラシノタトヘモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

 釣り場で「白毛」を強奪された男も、洞穴の出口に頭が閊(つか)えて外へ出られなくなった山椒魚も、「サヨナラだけが人生だ」で吹っ切れる?だぼ鯊は、なかなか吹っ切れませんが…。(イラストも・からくさ文庫主宰)

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だぼ鯊の戯言(たわごと)

八木禧昌

 

 洋の東西を問わず、人間の考えることにあまり変わりがないなァ~と思い当ることがよくあります。同工異曲、似たり寄ったり、です。裏返せば、国や人種、言葉は違っても、結局、思いついたり、行動に移したりすることに、大差はない、という実感です。

 

 クレオパトラ

    潜水夫を雇う

 

 釣りは「絶対」という言葉のない行為です。どうしても釣りを「絶対」にしたいなら、水中にあらかじめ、生きた魚を持った人を潜らせ確実に魚の口にハリを刺し、テグスを引く。これこそは確実な釣りの「絶対化」です。実現するには、相当の権力者でないとできません。さもなければ、あくどい金儲け主義者です。

 そんな事象を、古代ローマ、中国清王朝、現代アメリカを舞台に、それぞれ見てみましょう。 

 先ず、四百年以上もの昔に書かれたシェイクスピアの戯曲。『アントニーとクレオパトラ』。ご存知古代ローマ時代に恋に身を滅ぼすアントニウスとクレオパトラを描いたものですね。

 二人で釣りに興じ、クレオパトラが雇った潜水夫が、アントニウスの釣りバリに魚を付け、「釣れた、釣れた」と抱き合って喜び、ローマンスへと発展していく。

 これには異説もあって、互いが潜水夫を雇い、アントニウスの釣りバリには塩漬けの魚を付け、つりあげさせて、居並ぶギャラリーの失笑を買うように仕向けた…などの解釈もあるようですが、いずれにしても水底に人を配し、ハリに魚を装着し、釣り上げさせるという発想です。

 この「思いつき」は、ローマから東へ数千キロ離れた中国大陸でも実践されていました。時は今から二百五十年ほどの昔、中国清王朝六代目皇帝、乾隆帝(けんりゅうてい)が主人公。

 江蘇省揚州は塩の交易で栄えた都。ある時、痩西湖(そうせいこ)という風光明媚な湖に来た乾隆帝は、いきなり釣りをしたいと言い出し釣りを始めたもののなかなか魚が釣れなかったようです。揚州の塩商人や塩役人たちはこれは一大事と、地元の漁師を水中に潜らせて、皇帝が垂れる釣りバリに魚を取り付けた。何も知らない乾隆帝は、次々と釣れる魚に上機嫌になり、この場所が好きになった。以来そこを「釣魚台」と呼び、名所になっています。そこはもともと音楽が演奏される場所として建てられたそうですが、観光で訪れた方ならお分かりでしょうが、釣りには最高の「出っ張り」です。

 まあ、これは権力者への究極のゴマすりですね。

 最後にアメリカの風刺漫画(模写)です。だぼ鯊がたまたま旅の道すがら土産に求めた「トランプ」53枚。そのすべてに、ウィットに富んだマンガが描かれています。「釣り上げようぜ」というケースの表書きに「釣り」のものなら何でも欲しかった当時のだぼ鯊が衝動買いしたものです。帰りの機内で、退屈しのぎに封を切ったら、思わず吹き出しそうなヒトコマ漫画が次から次へ、時を忘れてしまいました。

 すべてが諧謔、滑稽、ユーモアに満ち満ちて、1枚の題材からいろんなストーリーが生まれそうな、そんな笑いの玉手箱。その中で思わずクレオパトラや乾隆帝を思い出し、笑いを禁じ得なかったのが、この一枚です。

 ゼニ儲けの下心から釣船のオーナーが潜ったのでしょうね。いかにも強欲そう…。(イラストも・からくさ文庫主宰)

こんどは上手く載ったと思うのですが・・・

 

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