佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

北摂フイッシングクラブ48年

2012-01-13 19:46:38 | 釣り界の歴史

釣りクラブとして長い事存続してきたと思っています。

趣味のクラブは続けていくのが大変なことで、仕事ではないので、いやになるといつでも会からは抜けることが出来る。

 

仕事であればそうはいかない、いやになったからといっても簡単には辞められない、立場もあるし、家族をやしなって食べていくという本分もある。私の昨年の仕事から言うと一気に仕事はやったが、儲けには繋がらなかった、逆に損をしたようであるが、仕事は成し遂げたという自負はある。

 

故新竹氏と大阪府釣連盟を立ち上げたのは28年前、当時、連盟に入っていただいた役員の方は皆さんもう連盟にはおられません。そして亡くなられた方もおられます。

 

28年と言うと長いものです。よく遊びの釣が続いたものだと思っています。釣りを始めた当初は此処まで釣りというものに溺れるとは思いませんでした。そしてそれが縁で何百人と言う方と知り合いになりました。

また私の古希の祝いには200人以上の釣り仲間や各地の偉い方が出席して下さいました。本当にありがたかった。

 

これからもその本当の気心の知れた仲間と釣りをしていきたい。今年のクラブの新年総会(H2418日)において、大阪府釣連盟から北摂FCの脱退が決まり、少なくとも、故新竹氏と自分とで作った連盟なので残念な気はしていますが、気持ちが通じなくなれば仕方が無いと思います。残られた大阪府釣連盟の会員の皆さんには連盟の建て直しから頑張っていただきたいと思います。

 

私たちの北摂FC48年目、あと50周年目指して会員は存続していきますのでまた磯であったらよろしくお願い致します。

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名人ウキ

2012-01-13 18:56:10 | 釣り界の歴史

故志賀吉秀氏

初代 和歌山県釣連盟理事長で2代目日本釣連盟連絡協議会会長を務められた。

 

彼は報知のグレ釣り名人戦では、昭和48年から5期連続して名人位を保持し

永久名人の座に賞揚された。

 

和歌山県での名人といわれる、嶋さん、山本さんと双璧の人であります。

私は、気楽会という名の会でご一緒させていただいたことが何度かあります。

 

三宅島にグレ釣りにもお供しました。この時は一級磯に同行のメンバーを上げておいて自分は無名の磯に行かれましたが、帰ってみると釣れなかったよと、

言いながらも60センチ近いグレを釣られていました。

 

また種子島の掛かり釣りでは時合いを見て、私にも60のグレを釣らしていただきました。

このときは船の前方に沢山の大きなグレが湧いているのも見せていただきました。

 

三宅島といわず種子島でも、自分ばかり釣らずに一緒に行った者にも楽しみを分け与えてくれました。いい名人でした。又奥さんとの釣りでも有名でした。

奥さんも釣が大変上手で夫唱婦随仲良く釣りをされていました。

 

早くに病気でなくなられて大変残念でした。彼のグレ釣りを書いた本があります。

「新しいグレ釣り」といって昭和60年の発刊で、今読むと少し時代の流れを感じる部分もありますがグレを釣るという本質は変わっていません。

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