フォッサマグナミュージアムの次に訪れたのは、長者ヶ原考古館と遺跡公園。
復元住居自体は、地元の遺跡に復元されているものと大差ない。
ほかの縄文遺跡と差別化される点は、ヒスイの加工と交易に従事していたこと。
しかし、できのいい製品は出荷されてしまったようで、ここで発掘して出てきたのは
加工途中の半製品ばかりなんだとか。
ところで、縄文時代の家というと、上のような形を思い浮かべるが、
この家の中で火をたいていて火事になりかけたことが何度かあるそう。
実際に暮らしていて、それはとてもまずい。
復元住居は後世の人間の想像でしかないので、どこか間違っているのではないか。
――というのは、ジオガイドさんの意見。
ここの見学を終えてバスに乗ろうというとき、とつぜん雨が降ってきた。
旅行中、雨はこのときだけ。
それも、次のフォッサマグナパークに着く頃にはやんだ。
これが、ブラタモリでもロケしていた有名な断層露頭。
フォッサマグナというのは、アジア大陸から日本列島が離れるときに、
東日本と西日本が割れて間が海峡になったのち、埋め立てられた部分。
東京や富士山もフォッサマグナ内に位置している。
そのフォッサマグナと西日本との境界が糸魚川-静岡構造線で、
上の写真で東と西の間に示された線になる。
そのため糸静線の東側の地層は1,600万年前と新しいのに対して、
西側は2億7,000万年前(古生代!)という古さだ。
これほど年代に差のある地層が接しているなんてすごい!
近くには枕状溶岩も見られた。
もっと大きい枕状溶岩もあるそうだが、今は近づけないとのこと。
この日の最後に、日本海展望台へ。
と言っても、それほど高い展望台ではない。
写真ではわからないが、西の水平線上には能登半島が眺められた。
この写真の水平線上をほぼ占めているくらい長い。
近くにある奴奈川姫像。
大国主命は姫に求婚するためにここまで訪れたそう。
はるばるこんな遠くまで!
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