西秋留駅および武蔵増戸駅発行 普通入場券

拙ブログ2022年6月30日および7月2日エントリーで、国鉄五日市線の小駅では普通入場券を発売する際に近距離乗車券に代用印を捺印して発売していた例を御紹介いたしましたが、国鉄時代末期の1985(昭和60)年12月頃に、当時の「入場券ブーム」にあやかったのでしょうか、普通入場券が新たに設備されていますので御紹介したいと思います。


   

   

1985(昭和60)年12月に西秋留駅および武蔵増戸駅で発行された普通入場券です。白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

この券が発行された当初はまだ情報が飛び交う時代ではありませんでしたので、購入しに訪問した蒐集家はあまり多くは無く、なんとなく「転売業者」っぽい人を見かけたような気がします。
ちなみに図示は致しませんが、西秋留駅発行分の券番は0098番で、武蔵増戸駅発行分の券番は0172番でした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

◯社 浜松町駅発行 普通入場券

前回エントリーで「◯社」横浜駅で発行された代用印捺印による普通入場券を御紹介いたしました。私鉄との連絡通路上の精算窓口では、駅によっては普通入場券の発売が行われていないこともありましたが、発売されていた駅の殆どは、代用印を捺印する方法が採られていたような気がします。
ただし、現在では存在しませんが、かつて浜松町駅にありました国鉄と東京モノレールとの連絡通路上の精算窓口では、専用の普通入場券口座が存在しました。同窓口は東京モノレールが業務を行っており、発行された乗車券類には社線側で発行されたことを示す「◯社」の符号が付けられていました。


   

1984(昭和59)年2月に浜松町駅の東京モノレールとの連絡通路上にありました精算窓口で発行された普通入場券です。白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
東京印刷場の普通入場券には発行駅名の表記がありませんが、右下に社線窓口で発行されたことを示す「◯社」の符号があります。


   

符号部分を拡大してみました。
「◯社」の符号表示のある普通入場券は他に綾瀬駅でも例がありますが、同駅は駅業務そのものが社線(営団地下鉄)で行われていた特殊な例であり、連絡通路の社線窓口で発行された普通入場券の専用券はあまり例のないものと思われます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

◯社 横浜駅発行 代用印捺印による普通入場券

前回および前々回エントリーで、五日市線内にあります駅で発行された代用印捺印による普通入場券を御紹介いたしましたが、代用印捺印による普通入場券の発売例は、需要の少ない小駅だけではなかったようでした。


   

1984(昭和59)年7月に「◯社」横浜駅で発行された代用入場券です。桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。同窓口ではこの券に代用印が捺して発売されていました。

当時の横浜駅には、川崎寄りに国鉄と京浜急行電鉄の乗換用の跨線橋があり、跨線橋上には中間改札と精算窓口がありました。跨線橋はあまり広くなく、窓口も国鉄と京浜急行側に1窓づつしかない閑散とした改札で、京浜急行電鉄が業務を行っていました。
ここでは国鉄からの乗換客に対しては京浜急行電鉄の硬券乗車券を発売し、逆に京浜急行電鉄からの乗換客に対しては、国鉄の硬券乗車券を発売していました。京浜急行電鉄の乗車券については全線全区間の乗車券を取り扱っていましたが、国鉄の乗車券については、100km以下の近距離区間のみの取扱いでした。

この窓口では国鉄の普通入場券の発売も行われていましたが、専用の口座はなく、代用印捺印によるものとなっていました。このような例は他にもあったものと思われますが、特に高田馬場駅の西武鉄道との連絡通路では、「◯入」という赤い印を捺す独特な発売方法が行われていました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

武蔵増戸駅発行 代用印捺印による普通入場券

前回エントリーで西秋留駅で発行された代用印捺印による普通入場券を御紹介いたしました。
当時、五日市線内においては普通入場券を代用印の捺印によって発売する例が、他に武蔵増戸駅や武蔵引田駅においても見られましたので、青梅線との接続駅である拝島駅と終着駅であり、秋川渓谷という観光地の最寄り駅である武蔵五日市駅、早くから出札業務を行っていなかった熊川駅を除く途中駅では、コスト削減面からなのでしょうか、このような施策が採られていたようです。
今回は、武蔵増戸駅で発行されていました代用印捺印による普通入場券を御紹介致しましょう。


   

1984(昭和59)年6月に五日市線武蔵増戸駅で発行された、代用印捺印による普通入場券です。桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
当時の同駅では、乗車券の発売は窓口が基本のような状況であり、需要の多い近距離券については大人専用券と小児専用券の双方が設備されており、また、120円区間のような特に需要の多い口座については、予め入鋏を入れたうえで券箱に用意されていました。


   

再掲しますが、西秋留駅の代用券です。似たような代用印ではありますが、大きさや文言の記載方法に差異が見られます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西秋留駅発行 代用印捺印による普通入場券

前々回エントリーの「JR東日本 鶯谷駅発行 普通入場券」のなかで、
> 最短区間の乗車券に入場券の代用印を捺印して発券された
と申し上げましたが、手元に代用印を捺印して発券された普通入場券がございますので御紹介いたしましょう。


   

1984(昭和59)年6月に五日市線西秋留(現・秋川)駅で発行された、代用印を捺印して発券された普通入場券です。桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
昭和59年当時の国鉄の最短運賃(=普通入場券料金)は120円でしたので、同額の120円券を使用して発券されています。

このような発券方法は、需要が低いことから普通入場券を設備していない小駅や、普通入場券の設備があっても、たまたま欠札していた場合に行われており、当時の同駅には普通入場券の設備がありませんでしたので、恒常的にこのような取扱いが行われていました。

代用印には大きく「入場券」と表示され、その下には「(旅客車内に立入ることは出来ません)」という文言がありますが、あまり統一されてはいなかったようで、文言については多少の違いがありました。


   

再掲しますが、鶯谷駅にあった代用印です。横幅が西秋留駅のものより広く、文言は「(旅客車内に立入ることはできません)」となっています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

鶯谷駅発行 普通入場券

前回エントリーで、JRになってからの鶯谷駅で発行された普通入場券を御紹介いたしましたので、今回は国鉄時代の同駅で発行されたものを御紹介いたしましょう。


   

1984(昭和59)年5月に鶯谷駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

この当時は都内の殆どの駅で硬券の入場券が設備されており、軟券化によって硬券の発売が廃止された駅を除けば、硬券の普通入場券は比較的求めやすい状況でした。

同駅は正式には東北本線の駅として開業していますが、実際には東北本線の中距離列車は停車せず、山手線や京浜東北線の駅のようなイメージになっています。
現在、山手線の電車は終日同駅に停車しますが、京浜東北線の電車は日中は快速運転となり、同駅は通過するようになっています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

東那須野駅発行 普通入場券

前回エントリーで東北新幹線の大宮~盛岡間が開業した際に駅名改称された磐城西郷(現・新白河)駅の普通入場券を御紹介いたしました。
東北新幹線が開業した1982(昭和57)年6月には、磐城西郷駅の他にもうひとつ、やはり新幹線の駅になるタイミングで駅名が改称された東那須野駅という駅がありました。


   

1982(昭和57)年5月に東北本線東那須野駅で発行された普通入場券です。白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

東那須野駅は黒磯駅と西那須野駅の間にある小規模の駅で、有人駅ではありましたが、急行などの優等列車の停車しない駅でした。
黒磯駅は同駅以南が1,500 Vの直流電化方式、以北が20kV・50 Hz交流電化方式とされ、地上切り替え方式の交直接続設備が設置されていた関係から要衝駅となり、すべての優等列車が停車もしくは運転停車する駅となっており、反対側の西那須野駅は温泉郷を控えていたために特急などの優等列車が停車する駅になっていました。

しかし、東北新幹線の大宮~盛岡間が開業した際に同駅が新幹線停車駅に選定され、開業した1982(昭和57)年6月に那須塩原駅に改称されています。
そして現在では、在来線である東北本線の定期優等列車は廃止されてしまい、かつて小規模の普通列車しか停車しなかった東那須野駅であった那須塩原駅が、界隈では一番利用客の多い駅になっています。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

磐城西郷駅発行 普通入場券

ちょうど40年前の1982(昭和57)年5月31日に東北本線磐城西郷(いわきにしごう。現・新白河)駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅は近隣にある三菱製紙への専用線の分岐点として戦時中の1944(昭和19)年に信号場として開設された駅で、その後の1959(昭和34)年に旅客駅に昇格し、磐城西郷駅として開業したという歴史があります。

この券が発行された翌月の6月23日、東北新幹線の大宮~盛岡間開業に伴って同駅は新幹線の停車駅となり、このタイミングで新白河駅に改称されています。
また、信号場として開設された専用線についても、工場の操業形態の変化によって平成初めの頃に廃止されてしまっています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

金子駅発行 普通入場券

1984(昭和59)年12月に、八高線金子駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅は1931(昭和6)年12月に八高線の八王子~東飯能間が開業した際に開設された駅で、埼玉県入間市内(開業時は埼玉県入間郡武蔵町)では唯一の国鉄(JR)の駅になります。

この券が発券された当時の同駅はすでに貨物の取扱いが廃止された旅客駅になっていましたが、国鉄の直営駅のままになっていました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飯田橋駅発行 普通入場券

今から38年前の1983(昭和58)年11月3日に、中央東線飯田橋駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

この日は祝日でしたので、現在の都区内パスの前身である国電フリー乗車券を購入し、1駅ずつ下車して入場券を買い集めた中の1枚です。

当時はまだ都内の駅でも硬券の普通入場券を発売している駅も多く、また、御紹介の券のように菅沼式のダッチングマシンが置かれている窓口もありました。窓口が複数ある場合には、菅沼式や天虎式のダッチングマシンが窓口ごとに違っていた駅もあり、そのような場合には菅沼式が置かれている窓口を選んで並ぶこともありました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »