伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

「ロミオとジュリエット」周辺

2016年09月03日 | 映画
自分としては絶対に知られたくない過去、
「ロミオとジュリエット」(フランコ・ゼフィレッリ版)を
リアルタイムで見ている、
ということをばらしてしまったので、
開き直って、この映画についてつらつらと書いてみる。


私は、ヴィスコンティよりも、先に、
ゼフィレッリの名前を知ってしまったのだ。

ゼフィレッリはこの時、
子供の私にはただのおじさんとしかうつらなかったし、
まさかゼフィレッリがヴィスコンティの助監督だった、
ということなど、当時の私には知るはずもないことだった。
それは多分、私にとって悲劇だったと思う…



それはともかく、この映画の撮影監督である、
パスカーレ(パスカリーノ)・デ・サンティスは、
これ以前にはあまり大した仕事はしてなかったようで、
フランチェスコ・ロージ専属のカメラマンの印象があるが、
多分、この「ロミオとジュリエット」が、
実質の出世作となったのは、間違いないと言っていいかと思う。

このあと、ヴィスコンティが気に入り、
「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」
「家族の肖像」「イノセント」で起用している。

そしてロージ作品のほとんどすべて(か知らんが、そんな印象)、
イタリアのいくつもの名作に関わっている。
押しも押されもせぬイタリアの名カメラマンとなった。


この「ロミオとジュリエット」のカメラは素晴らしく、
耽美的では決してなく、むせかえるような砂ぼこり、
決闘シーンのリアリティなど、いきいきとした、
当時の雰囲気を、まるで現在の出来事のように
ビビッドにとらえていた。


ズームが使われていたと思うが、確か、
ロミオとジュリエットが教会で再開するシーン、
二人を俯瞰からいきなり極端なズームアップ
(ズームインというのかな?)をしたという覚えが。

アメリカ映画ではあまり見ないズームなので、
イタリア映画の手法なのかな、と思っていた。

アメリカ映画ではズームの時、
被写体をゆっくりとアップしていくよね。


でも、フェリーニの映画ではあまりこんなズームはない。
ヴィスコンティは良く使う。

今にして思えば、ゼフィレッリのズームは、
師匠のヴィスコンティゆずりだったのではないかなと思う。


ヴィスコンティのズームも独特で、
ゆっくりではなく、いきなりカメラが寄る。


ヴィスコンティはカメラの使い方が下手だ、
ズームしすぎ、ズームの仕方が下手だ、
と言われることもあるが、そうではないと思う。

「家族の肖像」で、
初めてヘルムート・バーガーが登場するシーン、
あの時、カメラはまずバート・ランカスターを
極端にズームアップするんだ。
そのあと、ヘルムート・バーガーがアップで写る。

あれで、バート・ランカスターが、
ヘルムートを初めて見た時の衝撃(?)みたいなのを
表しているんだと思った。
ま、ひとめぼれの瞬間ね。

そういうとこ、ヴィスコンティはうまかったと思うよ。



話が逸れた。

「ロミオとジュリエット」の音楽はニーノ・ロータ。

すでにイタリア映画界でフェリーニ映画などで活躍していた。

この時の音楽も、ルネサンスの古楽がものすごくよく研究された、
素晴らしい出来だった。
主題歌の「What is a Youth?」は、
二人が初めて出会う舞踏会の場面で使われた曲。

当時の辻音楽家のような人たちが舞踏会の音楽を
奏でている設定で、ルネサンスの雰囲気が抜群だった。



衣装担当は、ダニロ・ドナティ。

彼は、この「ロミオとジュリエット」の前に
いや、あとなのか良く分からないが、
「アポロンの地獄」の衣装をやっていて、
あの乞食芝居の衣装はドナティだったのか!
と、自分の中で少なからず衝撃があるのだが、
(あ、いや、「アポロンの地獄」は傑作だと思ってる)
ともあれ、「ロミオとジュリエット」が
これまたドナティの出世作だったのは間違いない。

彼はこのあと、フェリーニに気に入られ、
「サテリコン」「ローマ」「アマルコルド」「カサノバ」
「ジンジャーとフレッド」「インテルビスタ」と、
多くのフェリーニ作品を手掛けている。

また、パゾリーニにも気に入られ続け、
「豚小屋」「ソドムの市」も。
迷惑だっただろうなー。

ヴィスコンティの衣装担当はピエロ・トージ一択だったので、
彼は担当はしていない。


この「ロミオとジュリエット」の衣装は画期的で、
私がのちにルネサンス絵画に傾倒した時、
ルネサンス期の風俗画に、映画そっくりの衣装を
いくつも見つけた。

いくつもの絵画を見て、あの映画は、こんなにも
ルネサンス絵画をよく研究して、その当時の風俗や、
衣装を研究し尽くし、それを再現していたのだという
発見をした。

ただ再現しただけでなく、的確なデフォルメもされていて、
ルネサンス絵画を見れば見るほど、
この映画の衣装の時代考証の素晴らしさが分かって来た。


とくに、男性のブラゲッタ(これは恥ずかしいので訳さない)
の誇張は、印象に残るが、これもただ、驚かすだけではなく、
ちゃんと考証がされている。


フィレンツェ系の絵画にはそれは出て来ない。

ものの本によると、ティツィアーノの絵に描かれているという。
ジョルジョーネの「ラ・テンペスタ」にも描かれていたように思う。

二人ともフィレンツェの画家ではなく、ベネチア派だ。


「ロミオとジュリエット」の舞台になっているのはヴェローナ。
ヴェローナの町を広辞苑で調べてみると、
北イタリアの、ベネチアの西部、と書いてあった。

ベネチアに近い都市だから、フィレンツェではなく、
イタリア北部の風俗を取り入れていたのだということが分かる。

「ロミオとジュリエット」の時代設定は、14世紀ということで、
いわゆるクワトロチェント、ルネサンス期に当たる。
私はもうちょっと古い、中世の話で、
時代考証は新しめのルネサンス期にしたのかとも思っていたが、
そうではなかったようだ。


ともあれ、こういう丁寧な仕事をして、
「ロミオとジュリエット」の世界を作り上げていたのだなと、
今さらながら、イタリア映画界の総力を結集して、
あの傑作が生まれたのだと思った。



映画としては、とても斬新な演出で、
当時評判になったのは有名な話だ。

主人公二人が、バルコニーで夜通し語り明かすシーン、
本来はバルコニーの上と下で、えんえんと二人が
つらつらと喋っているだけなのだが、
映画はロミオをバルコニーに上がらせ、
そこでジュリエットと抱擁させる。

ただ静かに語り続けるのではなく、
ダイナミックな動きの中でセリフが交わされる。

二人の若さが、若さだけで突っ走っていく、
その止められないスピードで恋が走ってゆく、
それがよく現されていた。

そういうアクティブな演出で、止められないスピード感が、
当時の若者の圧倒的な共感を得たのだと思う。


二人がベッドを共にするシーンも、原作では暗示されているだけ、
でもゼフィレッリは大胆なベッドシーンを設定した。

さすがに賛否両論があったが、
それはとても美しく、ふたりの別れを惜しむ、
あれはナイチンゲールよ…まだ夜明けではないわ…
というセリフがベッドの中で交わされる、
それは見事な演出だった。


最後の二人が死を遂げるシーンにも、
もう一人人物が登場して原作では、死のシーンに至るまでに
いろいろひと悶着あったような気がするのだが
(もうずいぶん昔に読んだので覚えてない)
そういう部分は全部はしょり、ただ二人の
恋の行方だけに絞った演出だった。

まだ若い若い、ただただ初めての恋にときめき、
突っ走り、わき目も降らずに突き進んでゆく、
若さゆえの悲劇、それが鮮明に表現されていた。




私はサントラのシングルを買ったが、
友達はLP盤を持っていたので、貸してもらった。

それは、音楽よりも、ほとんどロミオとジュリエットが
喋っている、シェイクスピアの名セリフが収録されたものだった。


原語で読みたいと思ったが、
先生には中学生にはシェイクスピアはむつかしすぎる、
とか言われた。

えっ?
あの若い二人は、あんなにいきいきとシェイクスピアのセリフを
自分の言葉のようにしゃべっていたのに?

学校の近くの本屋や、丸善で探して、
対訳の「ロミオとジュリエット」を買った。

確かに、学校で習う英語と全然違う。
英語とも思われない。


たとえば
ロミオ様、あなたはなぜロミオなの?

というセリフは、訳すとすると、

ロミオ殿、なぜにそなたはロミオなのじゃ、
というような感じ、
英語の古語が使われているのだった。
are you が art thyとかになっていたと思う。
(うろ覚え)

あの二人はでは、あんな古語を喋って、
恋を交わしていたのか、と驚くばかりだった。

本当にただ初々しい、可愛い、切なくなるような若い
オリビア・ハッセー、
運命が狂っていくことをどうすることも出来なくて
それでも恋に命をかける悩めるレナード・ホワイティング、
どちらも抱きしめたくなるような若い二人。

なつかしい、いとおしい、悲しくてでも楽しい、
私にはそんな映画だった。





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