伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ヴィスコンティとヘルムート・バーガー

2016年06月03日 | ルキノ・ヴィスコンティ
6月になった。
町を歩いていると、
アジサイの花がすでにそこここで咲いていて、
スーパーには水無月が売られている。
水無月ともなると、そろそろ祇園祭のうわさも聞こえて来る頃・・・


さて。
「ルートヴィヒ」撮影終了後、
ヴィスコンティは脳血栓で倒れ、
一命はとりとめたが入院をするはめになった。
自宅に機械を持ち込んで
編集作業に携わったと言うような話を聞いている。


「ルートヴィヒ」に撮影に入る時からプロダクションは大変だったそうで、
作品が完成し、公開された直後にプロダクションは倒産、
それからは
「映画の権利が誰のものであるかをめぐる、地獄のような争いが始まった」
と、3時間版初公開時のパンフレットに、白井佳夫氏が書いている。

白井氏は「ルートヴィヒ」のプロデューサーである、
ロバート・ゴードン・エドワーズにインタビューし、
そのエドワーズ氏の言葉を紹介しているのだ。


お金を調達する目途も立っていないのに撮影が始まってしまった。
それでもヴィスコンティは何一つ妥協することなく
大規模なロケや、壮大なセット、小道具ひとつにも妥協しない。
その挙句に病で倒れ命まで削るような作業になってしまった。


白井氏は、エドワーズ氏に、
「ヴィスコンティにそのような狂気の映画作りを遂行させた
原点となっていたものとはいったい何だったのか」
と聞いている。
エドワーズ氏は答えたそうだ。
「ヘルムート・バーガーに対する、愛だったのだろう、と思うよ」と。


その通りだと思う。
この壮大な4時間もの時間をかけた「ルードウィヒ」という映画は、
ほかでもない、ヘルムート・バーガーのためだけに作られたものだ。
そんなことは、ヴィスコンティ・ファンなら一目見るだけで分かる。
いやほかの人も分かるかもしれないが。

前半の輝くばかりに美しいバーガーのアップの多用、
あらゆる方向から彼を映すカメラ
(ヴィスコンティのカメラは常時3台装備)、
後半の無残な姿へ変貌してゆく王の演技力の見せ方、
ヴィスコンティがいかにヘルムート・バーガーを愛していたか、
見ているこちらは、そのあからさまな、
捨て身の「愛」にただもう、ひれ伏すしかなかった。
ああ、ここまでするんだ、
この不実な、あまり賢くもなさそうな俳優一人のために、と。


だけど、人が何か頑張ろうと思った時に、
結局その原動力となるのはそれしかないと思うんだよ。
むしろそれだからこそ、あそこまで行っちゃうんだ、
あそこまで頑張れるんだ、という。
何か人の業を見た気がする。


ヴィスコンティは「ベニスに死す」のあと、
次回作としてマルセル・プルーストの
「失われた時を求めて」の映画化を考えていた。
これは割と有名なことなので、
関連の書物に書かれていると思う。

ロケハンもし俳優も決め、脚本も書き上げた。
脚本はヴィスコンティ組でおなじみの
スーゾ・チェッキ・ダミーコとエンリコ・メディオーリ、
そして本人の三人。

その脚本は日本でも出版され、私も買って読んだ。
もう内容自体は覚えてないが、
プルーストの原作も読んでないけれど、
脚本はとても立派で、作品として完結していて、
映画になっても立派な映画になるだろうと思える内容だった。

キャストはアラン・ドロン、
ヘルムート・バーガーを含んだオールキャストで、
上映時間は4時間弱の予定、
ヴィスコンティはこれを遺作とする意志も持っていたとある本には書いてあった。
ところが例によって資金面で難航し、
計画は頓挫し、製作をあきらめざるを得なくなった。

普通なら、脚本まで出来上がっていた映画が中止になったら、
心が折れてしまうと思うのだが、
ヴィスコンティはそんなことには頓着せず(?)、
早速次に「ルートヴィヒ」の映画化を思いついた。

ここは何でかなと今も思う。
「失われた時」をさっさと諦めてしまったのが何でかなと。


とにかくこういう経緯を見ていくと、
ドイツ3部作と言われているけれど、
本来ははじめからそういう構想はあまりなくて、
たまたまドイツものが続いたという感じだ。
もちろんそこには、
ヘルムート・バーガーという存在があったからだ。


「ルートヴィヒ」の撮影を始めてみると、
「失われた時」に優るとも劣らず経費は膨らみ、
資金難と困難の嵐で、撮影したフィルムは長大になり、
上映時間は6時間になるとも8時間に及ぶとも言われた。

自分自身も病に倒れながら、
よく完成までこぎつけたなと言う感じだが、
それもこれも、ヘルムート・バーガーへの、
彼を何とか一流の俳優にしたい、という願いゆえだったのだろう。

ヴィスコンティは血栓症で倒れて療養していた時に、
トーマス・マンの「魔の山」の映画化の構想を考えた。
このこともファンの間では有名なことなので、
知っている人も多いだろう。
そして「魔の山」を含むドイツ4部作になる、という考えでいた。
懲りない人だ。

キャストはまたヘルムート・バーガー(ハンス・カストルプ役で)、
シャーロット・ランプリングなどを予定していたという。
しかしこれはわりと早い段階で頓挫した。

ヴィスコンティの「魔の山」はちょっと見てみたかった気がする。
それなりにまとまった映画になったと思う。
原作は、はじめをかじった程度だけど…。

幻に終わったヴィスコンティの映画を含めて見てみると、
やはりヘルムート・バーガーへの執着を感じる。
ヴィスコンティにとっては、彼の映画製作の原動力には、
やはりこういう存在がなくてはならなかった。
だから突っ走れた。

ヴィスコンティの初期作品は、私はあまりよく知らない。
見たものもあるけれど、もう一つ覚えてなかったりする。
彼のファンの中には、初期の方が良かった、という意見もある。

だけども晩年のヴィスコンティの、
前のめりの突っ走りぶりばかりを知る私は、
その彼の生き方をすごいと思う。
映画作品を含め、捨て身で自分をさらけ出す、
それを恥とせず堂々と貫き通したことに、心の底から敬意を感じる。




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