伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ユトリロ展

2023年12月20日 | 展覧会・絵


モーリス・ユトリロという名前はなつかしい名前だ。
昔、小学生の頃、家に「現代世界絵画全集」というものがあり、
小学生の自分はよくその絵画全集を眺めていたものだ。
ユトリロの名前もその全集で覚えた。
小学生なりに、ユトリロはパリの建物ばかり描く画家という認識を持った。


今年はユトリロの生誕140年に当たるという。
日本でもコレクターの多いユトリロの作品の中から、
日本でのコレクションを中心に集めた展覧会が、
美術館えきKYOTOで開かれていたのでなつかしさもあり、
今ユトリロを見るとどう思うだろうか、という興味もあり、
京都駅前のジェイアール伊勢丹のなかの小さな美術館へ行って来た。

今回は絵の保護のためすべての作品で撮影禁止だった。


ジェイアール京都伊勢丹7階隣接 美術館えき
https://kyoto.wjr-isetan.co.jp/museum/


美術館「えき」KYOTO
https://kyoto.wjr-isetan.co.jp/museum/exhibition_2309.html
生誕140年 ユトリロ展
2023年11月3日(金・祝)~12月25日(月)



家にあったのは、「現代絵画全集」というだけあって、
ルネサンスやバロック絵画はまったくなくて、
印象派からゴッホやゴーギャンなどの後期印象派、ルノワール、
そして20世紀のマティスやルソー、クレー、そしてダリまで…
そのようなラインナップの全集だった。

その昔の当時は百科事典や世界文学全集など、
各家庭で全集を揃えることが流行っていた。
今は家(マンション?)が狭いからそんなに揃えられないし、
紙の書籍は流行っていないが、
昔はそうした全集を揃えることが家のステータスになっていた。
どこの家庭でも、
百科事典と文学全集と絵画全集を揃えるのが当時のトレンドだったのだ。

そんなわけで絵画全集も家に揃えられていたが、
暇さえあればその画集たちをぺらぺらとめくり、
眺めるのが習慣になっていた。
全部で20冊くらいあっただろうか?、
それらをとっかえひっかえ見るのが楽しかった。
当時から絵を見るのが好きだったのだ。


小学生だった自分は、
その家に置いてある「現代絵画全集」に収録されている画家たちが、
西欧の画家の全てだと思い込んだ。
(ルネサンスやバロック、象徴派などの画家たちは
その画集に入っていなかったので当時は全然知らなかったし、
自分の中ではいないのだった)
そして、その絵画全集の中からお気に入りの画家を探すのが楽しかった。
小学生のころから画集を見るのが楽しかったのだ。

ユトリロもその画集に入っていた。
だから自分にとってユトリロとは小学生の頃、あの画集に入っていた画家、
画集で眺めていた画家、という、小学生の時の思い出と共にあるのだった。
(画集は今でも家にある)







そして今回、その本物を何十年かぶりで見ることになった。

モーリス・ユトリロ(1883-1955)は風景画家である。
パリの街並みを描いたことで知られる。
パリの建物、街の道、ひと気のない小路、
その絵はどこかノスタルジックで優しいパリの情景を描いている。

母はシュザンヌ・ヴァラドンという、これも有名な画家であった。
今回の展覧会でも1点、ヴァラドンの人物像が展示されていた。
(祖母と息子:ユトリロを描いたもの。)

しかしユトリロは母のヴァラドンから絵画技法は一切習わなかったという。
独学で学んだという。

ヴァラドンは音楽家のエリック・サティや画家のシャヴァンヌ、
ルノワールなどと恋愛関係にあったと説明されていた。
ドガ、ルノワール、ロートレックなどの数々の有名画家のモデルも務めた。
ロートレックとも恋愛関係にあったのではないかとも。
どのようであれ、芸術家たちにもてたことは確かのようだ。
美人でなおかつ才能がある、という点が芸術家たちにもてた理由だろうか。
(羨ましい💦)

彼女はモデルの仕事や画業で忙しく、ユトリロは祖母に任せきりだったそうだ。
そしてユトリロの父は分かっていない。
ユトリロは父なし子として育った。
そのせいか、ユトリロの生活は荒れ、10代で酒に溺れるようになり、
アルコール依存症(アル中)になってしまう。
治療のため精神病院へ入院し何度も入退院を繰り返した。
(当時はアルコール依存症を治すためには
精神病院へ入院したらしい)

母のヴァラドンが入院しているユトリロにリハビリのため、
絵を描くことを勧める。
ユトリロはたちまち才能を発揮したという。
ただ説明ではヴァラドンからは学ばなくて独学だったという。





今回美術館えきKYOTOで展示されたものは、
白い壁や寒々した雪の風景が印象的な「白の時代」を中心に、
初期から「色彩の時代」まで、ユトリロの画業を振り返るもの。


20世紀に活躍した画家だけあって、
油絵の具の塗り方が分厚く、塗り跡が生々しかったり、
筆で一閃しているだけなのがよく分かったりした。
筆遣いの荒々しさというか、大雑把さというか、
心の赴くままに筆を使っていることが100年経った今でも分かるし、
さっと一閃しただけでフォルムが出来上がっている。
100年前の描写とは思えないほどのものだった。

絵を見る楽しみというのは、このような画家の生々しい筆遣いを、
その時代の雰囲気そのままに今、感じられることでもあると思った。



ユトリロといえば「白の時代」と言われるように、
白壁や白い雪の積もった道などの
寒々しくも静謐な街の風景を思い起こすが、
画家生活後半には「色彩の時代」と言われる、
色彩豊かな作品も残しているのだった。
今回、この展覧会でそうした色彩作品があるのを初めて知ったが、
見に来ていたお客さんの中にも、色彩の時代は知らなかった、
白の時代しか知らなかった、と話している人がいた。

確かに「色彩の時代」はあまり知られていないし、
作品としてもこれ、といった傑作はなく、
「白の時代」と比べてもかなり作品的には劣るものだった。

それくらい「白の時代」の作品は鮮烈で
どの作品を見ても名作揃いだ。


しかし「白の時代」を生み出したころのユトリロは、
アルコール依存症に苦しみ、どん底の状態で入院生活を送っていたのだという。
その人生で最も苦しい時代に傑作が生まれているのが何とも皮肉というか、
芸術の神秘だと言わざるを得ない。

もしかしたら、苦しい状態の時が創作をする上でモチベーションが
一番上がるのかもしれないし、
ある種のアドレナリンが放出され、苦しさから逃れるため、
エネルギーが放出されるのかもしれない。



「白の時代」のユトリロの作品はどれも似たような構図で描かれているが、
それでも絵の具のパッショネイトな塗り方による白壁の描写などが、
どの作品を見てもはっとするほど鮮やかなのだ。




構図は遠近法を用いて、明確で力強い、
それでいてどことなく哀愁を感じさせもする。
それくらい建物を描いて物語を紡いでいるのだ。



メインビジュアルに使われている「村の教会」という作品は、
(「可愛い聖体拝受」というタイトルとも)
白い壁の教会だが、白い絵の具で壁の質感を表していて、
面によって白が違う色合いになっていて、
教会の佇まいを見事に表現している。





筆遣いは、例えば建物につきものの窓(鎧戸)などは、
近くで見ると筆でさっと縦、横一度だけぞんざいに塗っているだけなのに、
それでも離れて見ると、それがちゃんと鎧戸の連なりとして描かれている。
ユトリロは天才かな?とすら思える瞬間だ。



初期のころから才能を発揮していた。
油絵の具を一刷毛、盛り上がるほど塗るのは
20世紀に活躍した画家ならではの画法だが、
乱暴に塗ったように見えて、それがしかし全体を見ると、
ちゃんとなくてはならぬ一本の線だったりする。
筆のマジックを見ているようだった。




ユトリロは定規を用いて遠近法で描いたそうだが、
それでも出来上がった作品は遠近法の幾何学的な無機質なものでなく、
建物の質感などにより、物言わぬ詩情や哀愁が漂っている。
そこがユトリロの才能であろう。
と同時にパリの街への愛情も感じられる。
パリの風情、街角、ひと気のない一角。
そこには街への暖かな眼差しがある。




晩年、「色彩の時代」にはそうした情熱は失われていたようだが、
アルコール依存症で苦しんでいた時期に名作が多いのは皮肉である…。


生前にレジオン・ドヌール賞を受賞するなど、
エコール・ド・パリの代表的な花形画家だったが、
亡くなると忘れ去られる画家も多い中、
今でも作品がこうして愛されているのは幸せなことだ。
生涯は必ずしも恵まれているとは言えなかったにせよ…。




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