伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

父の仕事

2022年09月07日 | 日常生活・つぶやき


22年前に亡くなった父の仕事は京扇子の折り職人だった。

京都の伝統産業はほぼ分業制で、
雛人形の制作も分業であるように、京扇子も分業制である。

父は、京扇子の制作の工程の、
骨作り、扇面に絵を描く人、仕上げる人、と分かれている中で、
扇子を折る、折りの工程を担当する折り職人だった。







父の京扇子を折る様子を捉えたビデオが
みやこめっせで公開されていたらしく、
姪(父の孫)が、それを動画に保存して、見せてくれた。


生前、何度かウチにテレビ局が来て、
父の仕事をする様子を撮影していったことがあった。


もちろん地方のテレビ局で、有名なテレビ局ではないが、
一度ではなく、何度も取材を受けていた。

テレビ的には扇子を折る時の派手なアクションが、
見どころだったからだろう。

父も嫌がらずにテレビ局の取材を受け入れていた。





その一つが、みやこめっせのアーカイブに残されていたらしい。
なつかしい父の仕事姿を見ることが出来た。




仕事場は今もそのまま残っていて、
父の使っていた作業道具も残っている。
(仕事机もそのままになってる)



その動画には父が作務衣を着ていたが…。

父は作務衣を着て仕事をすることは一度もなかった。
多分、撮影のため、特別にその時、作務衣を着せられたのだろう。

いつもは白い下着に作業ズボンで仕事をしていた。


うちの家にも父の仕事をする姿のビデオが何本か残っている。
テレビ放送された時に録画したものや、
地方で放送されたものを送っていただいたものもある。


生前の父の仕事姿が映像で残っているのは、
とても幸運なことだと思う。



今になって、父の仕事を継げば良かった、と、思うものの、
母は、夜遅くまで・・・
母も父の手伝いをしていて、
深夜まで毎日作業をしなければならない
職人の仕事の苦労を身にしみて知っていたため、
子供たちには絶対にこの仕事を継がせまいとして、
サラリーマンと結婚することだけを、望んでいた。

そのため若い時、学生時代は、
まったく父の仕事を継ごうという気持ちもなかった。

つくづく親不孝だったと今になって後悔ばかりの日々・・・。


それでも自分にとって、父は誇りだった。
父の仕事姿はカッコよかった。






父の扇子を折る手さばきの素早さ、
今見ても、
2階の作業場で仕事をしているように錯覚してしまう。

こんなに年をとっても未だにファザコン全開だ・・・
だって仕事姿を見ると、本当に仕事の出来る職人、
という姿が残されているから。
なつかしすぎて思わず何度も見てしまった。





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