伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

麒麟がくる・最終回

2021年02月09日 | テレビ

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」は見たいと思っていたが、
時間が合わず見ずじまいだった。

明智光秀に興味があったからだ。
どちらかというと、光秀はわりと好きだったのだ。

そこで最終回だけは見ようと録画をしておいた。



光秀が本能寺の変を起こした理由をどのように描写しているのか、と
そこに興味があり、そこを見たくて最終回だけでも見ようと思ったのだ。

最終回しか見ておらず、それまではまったく見ていないので、
的外れな解釈だったなら、m(__)m。




光秀役の長谷川博己は好きな役者さんだが、
女の好みが良くないな…と
それだけが惜しいことだな、とか…、
子供は作りたくないのかな…とか…、
まあそんなことはどうでもいいのだが。


信長役の俳優は童顔で、性格も幼く見え、
子供っぽい感じがしたが、むしろそれが狙いなのかもしれない。





光秀が謀反を決意するのは、
直接的には信長に足利将軍を討てと命令されたから、
というドラマの解釈であった。




これは納得がいった。

信長は日本の王になりたかったと(自分は)そのように考えていたからだ。


足利義昭が光秀に信長を討てと命じたという説もあったと思う。
今では否定されているらしいが。





光秀は自分が天下を取りたくて信長を討ったのではないというのが、
自分の考えだ。

信長の増長に危機を感じ諫めたい、と、
そして世に平穏をもたらすため、信長を討つと決意したのではないか、
と思っているのだ。




ドラマ「麒麟がくる」では、信長を討ったのちは、
家康と共に天下を平和な世にしたいと言っていて、
家康との共闘を(光秀が)考えていたという展開になっていた。


光秀が足利義昭を討つことを拒否する、というのが、
信長と決定的に決裂する動機となったと描かれていた。



信長に、殿は戦によって変わってしまった、と言う。

信長はお前がわしを変えた、と。



このあたりは二人の愛憎がドラマの軸になっているように思った。

光秀は暴走するモンスターとなった信長を、
止めることが出来るのは自分のみだと考えたのではないだろうか…。
それが誰よりも信長を愛した自分の役目だと。




足利義昭は上杉謙信(政虎)にも援護を申し出ていて、
謙信こそは足利家の室町幕府を再興することが、
日本を安らかにすることが出来ると考えていた。

ただ、越後は京からは遠すぎた。


私は、光秀も謙信・政虎のような考えを持っていたのではないかと
思うのだが、これは自分勝手な理想像(想像)かもしれない。



ドラマでは、秀吉が(光秀の)謀反直前に光秀の翻意を知る設定になっていた。
中国大返しは描写されなかったものの、暗示させていた。
狡猾な秀吉の人となりが描写されていた。



ドラマでどのような展開になるのか注目していたのは、
光秀が謀反起こす理由と、
秀吉との天王山での戦いだったが、
光秀の死は、ドラマではまったく触れられず、
中国大返しもまったく描写されなかった。


つまり、このドラマは徹底的に光秀と信長との、
二人の愛憎に焦点を当てたもの、と言えるのではないかと思えた。



「十兵衛(光秀)か、であれば、是非もない」


という信長の涙を溜めながらのセリフは、
光秀の翻意を疑ったことすらなかったが、
それを知った時には、討たれるのであれば光秀にこそ、
という複雑な思いの吐露のようだった。


本能寺の有名な「人生五十年」という謡さえなかったのだが、
二人にのみ焦点を当てたドラマとしては、
よく出来ていたのではないだろうか。




歌舞伎には信長が光秀をこれでもかといじめ抜き、
それに耐えに耐え、ついに耐えきれなくなった光秀が
謀反を起こすという筋の「馬盥(愛宕山)」という
演目がある。


かつての片岡仁左衛門が孝夫時代に得意にしていた演目だ。


歌舞伎ではすでに光秀を、主君に背いた謀反人という悪者ではなく、
上司のパワハラに辛抱をさせられる犠牲者として描いていた。



ともあれ大河ドラマの主役として取り上げられたことで、
光秀の復権が果たされたのなら、良かったと思う。


福知山では今も光秀は名君として慕われているというから。




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