伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

「ターナー 風景の詩」展

2018年06月15日 | 展覧会・絵

ターナー展 京都
2018(平成30)年2月17日(土)~4月15日(日)


http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/turner/
ターナー 風景の詩




京都ではもうだいぶ前、4月に終わってしまったが、
ターナー展へ行って来た。

上げるタイミングを完全に外して没にしてしまっていたが、
その後巡回があったようなので…


公式ページ
https://turner2018.com/



・東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
4月24日(火)~7月1日(日)
http://www.sjnk-museum.org/program/5319.html


・郡山市立美術館
7月7日(土曜日)~9月9日(日曜日)
https://www.city.koriyama.fukushima.jp/bijyutukan/021-future.html



チケット




ターナーと言えば、退屈そうな英国の風景画家、
という漠然としたイメージだけだった。




風景画家と言えば、どの時代の画家でも風景画の先駆者と言われる。

ターナーも今回の展覧会ではそのような宣伝の仕方をされていたように思うが、
すでにドイツのブリューゲルの時代にも風景画らしきものが既に存在していたし、
オランダにも、ドイツの近代にも風景画家は沢山いる。
アルトドルファーも風景画家と言っていいだろう。
彼はいつの時代だったか…ルネサンス期だったと思うが






・ターナー 風景の詩(うた)


「 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)は、
イギリスで最も偉大な画家であるのみならず、
風景画の歴史のなかで最も独創的な画家のひとりです。

卓越した技法によって、嵐の海景、崇高な山、穏やかな田園風景など、
自然の多様な表情を描くとともに、歴史風景画にも取り組みました。

光と空気に包まれた革新的な風景表現は、今日においても多くの芸術家にとって、
インスピレーションの源になっています。

 本展は、スコットランド国立美術館群など
イギリス各地と日本国内の美術館から選りすぐった油彩画、
水彩画約70点や版画をご紹介するとともに、
最新の知見をもとにターナー芸術を再考し、その核心と魅力に迫ります。 」


写真撮影してもよいコーナー


今回のターナー展は超有名な代表作というわけではなかったようだ。
あまり有名でない美術館などから借りて来ている。



4部に分かれていて、

「第1章 地誌的風景画」
「第2章 海景-海洋国家に生きて」
「第3章 イタリア-古代への憧れ」
「第4章 山岳-あらたな景観美をさがして」

という展示。






第1章

ただの風景画家だと思っていたら、建物が重要な位置を占める、
建築を重視する地誌的風景画家だったことに驚いた。




ソマーヒル、トンブリッジ(中央に小さく建物が見える)



ヨーロッパ大陸で流行してた手法を取り入れたような感じで、
おそらくイタリア画家などを研究していたのではなかったかと思った。

カナレットなどの影響があるのではないかと思った。

建物の内部を描いている絵もあったので、
建築内部を描いた一連の画家・パンニーニなどを彷彿させる、
現代の写真としての役割を求められていた作品も描いていたので驚いた。


もうひとつ驚いたのは、「ヴァテック」の作家・ペダンチスト、ウィリアム・ベックフォードと
交流があったらしいことだ。

まったく予想していなかったのでますます驚いた。

グランドツアーを通じての知己だったのだろう。



第2章



セント・オールバンズ・ヘッド沖


海と、そこに漂流する船も彼のテーマだったことに再び驚く。

単に印象派の先駆的な光を重視した風景画家、と思っていて、
そのイメージとはまったく違っていたからだ。

ジェリコーを思わせるような構図の海洋画もある。

静謐なドイツのフリードリヒをも思わせる。

しかしフリードリヒほど厳粛な感じはなく、穏やかさというか、
絵葉書的な職人技とも思えた。


風下側の海岸にいる漁師たち、時化模様



第3章


モンテ・マリオから見たローマ
山間の右後方に小さくローマの街並みが見える。




想像通り、イタリア絵画に憧れていたらしく、
イタリアに留学していたという。

ヴェネツィア風景もかなり描いていて、
まったくカナレットそのままの絵葉書代わりのヴェネツィア案内を描いていて、
ターナーが注文に応じた多彩なジャンルの景観画を描いていたことに
またまた驚いた。

ターナーといっても、はじめの自分の持っていたイメージとはかなり
かけ離れた景観画を手掛けていたことが意外だった。


第4章



スノードン山、残照


山を手がけた作品も多くあったが、
景観画と同じく当時流行っていたグランドツアーの影響で、
需要があったらしい。

クロード・ロランの影響もあったという。

山岳風景を描くことも流行だったらしい。
フリードリヒほど神秘性はないが、
穏やかでなおかつ急峻な山の厳しさを描いていた。

 






晩年になるにしたがって、絵の具づかいが茫洋となり、
写実を離れて、光が中心となり主人公となってゆく。


どの画家でも、晩年になるにつれ筆遣いが鷹揚になり、
勤勉な写実性を超えて、心の赴くままに筆が動くのだろうと思った。



画家の求めるものが純粋に抽出されて、
画家のもっとも描きたいものだけを描く境地に至るのではないか…。


そんなことを思ったターナー展だった。




有名なストーンヘンジも描いていた。



また、版画の普及にもつとめたそうで、風景画の原画が沢山展示されており、
それに基づいた雑誌なども展示されていた。
版画だから、非常に精緻に細部まで描いており、力量がうかがえた。




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下の階では祇園祭蟷螂山の展示も







加藤宗厳・忠雄という人の工芸が展示されていて、
まったく知らない作家の金工作品ということだったが、興味深かった。



何といっても蝸牛が秀逸



両者とも詳しく書きたかったが、タイミングがなかったので残念だ。
サイトで上げられればいいのだが