伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ヘルシンキ羽生の魅力発言

2017年04月08日 | 羽生結弦

羽生をだらだら続けてしまう…ぶつぶつ
ヘルシンキ・ショックは大きかったのだ

はまったらなかなか抜け出られない性質の私、
それが分かっているからこうなることを恐れていた
今ずぶずぶだ 全然抜けられなくてあがいている
一方で飽きやすい所もあるから、
すぐに飽きて切り替えられることを望む


前、えらそうに羽生に批判をするべき点があればするべき、
従属するつもりはないなどと言っていたが、
そんなゴタクも瓦解しつつある
ほぼ降参状態だ
目くらになってしまいそうだ、危険な状態だ
羽生応援ブログを嬉しそうに見に行っている
その手放しの称賛を嬉しげに見ている
大変な事態になった


しかし私は京都のひねくれた天邪鬼、
そうそう敵(?)の軍門に大人しく下ってたまるか
必死で抵抗を試みている。

桜も咲いているというのに何してるんだ
雨だからどうなってしまうだろう…
花見はどうしよう。手近で済ますか




羽生の凱旋帰国…
羽生の大逆転V…
奇跡の大逆転…
凱旋インタビュー
etc.etc
勝てば官軍とはまったくこのことや。

本当に勝てばこんな風になるのか…
空港に何百人ものお出迎え、とNHKですらニュースでやる。
(宇野もやっていたけど)
ただ帰国しただけのことがニュースになる。
大騒ぎ…。一日で終わってしまったが
しかし帰国を生中継していたぞ

派手なことをやらかしたのだから当然やが…。
5位から優勝というインパクトは凄かった。
そしてまた彼はマスコミの寵児になる。



これだけ注目の存在だったんだと改めて実感。
なぜだ。
それがこれからの私の研究課題だ。

彼は「優勝することが前提になってる選手」に
いつの間にかなっている。
いや、彼自身がそう思っている。
自分は優勝しなければならない選手だと思い込んでいる。
優勝しないと周囲、ファンに申し訳ないってか。
それも奢った考えだ。
いや…、優勝しないと本の売り上げに響くそうだ。
そんな責任まで負わされているのか。
なんちゅうことだ。
まあそれだけの選手になっている、ということらしい。

これはまたいつか考えよう。



出来るだけ報道を追おうとしたんだ。
でも追い切れない。


そして「凱旋」インタビューとやらに食いつく。

まったくそつのない、四方八方へ気づかい、めちゃ冷静
優勝の驕りも感じさせない落ち着いた優等生発言。

特に空港に着いた直後は疲労していただろうに、
生気のない顔で饒舌に、一つの隙も見せないというインタ。

しかし言葉がいちいち大仰なんだが…

やっぱりボキャブラリーの使い方がこの人、少しあれだ。
饒舌な割には言葉の使い方が妙だ。
大仰で説明過多で、だらだらしていて簡潔でない。
接続詞と副詞が大仰だ。

冷静だがやたらと饒舌なだけで、
中身がありそうでなさそうで、妙に上滑り…



しかしつまらん…
ケチをつけてみてもつまらん
一生懸命アラを探そうとしてもむなしい
羽生らしい電波はどこ行った
どこかに突っ込みどころはないかと探したが…。


シーズン中はあれほどまわりをどん引きさせる俺様発言で、
崖っぷち大好きなんで
自分が一番なんで、
ノーミスだったら誰も追いつけないんで、…
そんな傲慢発言ばかり言い続けて、マスコミを喜ばせて
言った以上、出来なければバッシングだぞ、
自分を奮い立たせるための出来る出来る、
そうじゃないと羽生結弦じゃないので
豪語の連続
言い続けてマスコミを自ら引き付けていたところもあったんじゃないか。

シーズン後半はだいぶ弱気発言になって、
ちょっとトーンダウンしていた気がして心配したけれども…


でもいざ実現したら、あくまで謙虚。
…見事なもんだ。憎いわ

(羽生選手のマスコミ対応や、ファンへの対応と関係も私の関心事で、
興味物件なのだが)




でも、ひとつだけ見つけたんだ。電波発言。
来期のプログラム構想を聞かれて…、
どんな選曲にするかと聞かれて…、

「自分の魅力が引き出せる曲…
自分の魅力が、それだけじゃなく同時に曲の魅力も出せるものを…」(大意)
「ノッテ・ステラータは表現に特化したもの
そういう意味では魅力が出せたかなと…」(大意)


自分で「自分の魅力」としれっと言ってしまうところが…
「持ち味」とでも言っておけばいいのに、
何のてらいもなく表情も崩さず淡々とぬけぬけと。
ノッテの名前が出たのが嬉しかったのだが…
私はこれに食いついた。




多分振付師やコーチから、
あなた自身の魅力を出すことがあなたの表現力なのよ、
とでも言われているのではないだろうか。




彼は自分の魅力というものを、自分でどう考えているのだろう。
これだけおばはんを熱狂させているのだから、
自分に魅力があることは分かっているのだろう。

でもこれだけ冷静に、他人事みたいに平然と言われると、
彼は自分の魅力に対して、
とても散文的な見方をしているのではないかとつねづね思っていたのだが、
やっぱりこのインタを聞いてもそうに違いないと思ってしまう。



自分の魅力は人に見せるもの、
自分ひとりで陶酔しているものではない。
だから彼は決してナルシストじゃない。
露悪症エゴイストではあっても。
…と思っている。



自分の魅力を人に見せたい、と思っている時点で彼は表現者なのだ。
そしてどうやら、スケートは滑る人の魅力を最大限に見せる競技、
という考え方をしているようだ。

表現者は外を向いているものだから、
誰でも自己を表現して、それを見てもらいたいと思っている。

羽生選手は自分自身の生を提示して、
多分自分の存在のみで、
それを表現としようとしているのではないだろうか。
だからあれほど散文的でいられるのだ。



何かテクニックを弄したり、大仰な演技をしたり、
小手先を使ってあれこれ観客に媚びたりするのではなく、
ただ自分をそこに存在させるだけで、その存在感で表現とする。


彼に存在感があるかどうかは知らない。
自分はどっぷり浸かっているので客観的には見られない。
だが美しさは圧倒的にある。
ならば美しさを見せるだけでそれが表現なのだ。

ただ滑っている姿が美しい、佇まいが美しい、
というだけで人にため息をつかせる。
うっとりさせる。
滑り出せばその優雅にエレガンスにみとれ、瞬きも忘れる。
それは、立派な表現だと思う。
いやそれこそが表現ではないか。
その氷上の存在の美しさが人々を感動させ(羽生ストーリーはともかく)
人々にいろいろな形容で彼を賛美したくさせてしまう。

彼はインスピレーションを促すミューズそのものなのだという意見があったが
彼が放つ氷上での美しさや輝きは、
それだけで人を熱くさせる表現を超えた美術品そのものなのだ。
美術品が言いすぎなら作品とでも言うか。品物とでも言うか。
彼はその作品になろうとしているのではないか。


滅多に書き込みはしない方だが必要があって書き込んだ時、
自分は羽生選手の美しさに溺れているだけなので、
と書いて自分で気がついた。
そうか、自分は羽生選手の美しさにずぶずぶと溺れているのだったか。
羽生結弦という作品に溺れているのだ。
確かに最低ひとりは、
この羽生結弦が作り出した「作品」に確実に惹かれ、溺れている。



振付師の人は、多分
「あなたは美しいのよ。その美しさを見せるのよ!」
とでもコーチングしているのではないだろうか。

羽生選手は基本的に素が熱血漢で少年ジャンプ君らしいから、
「俺様スケートに打ち込む俺様カッケーと思ってたけど美しいってマジ?」
振付師「そうよ、美しさを表現するのよ、あなたは美の化身なのよ。
美しい衣装も用意したわ」
少年ジャンプ「俺様美しいのかよ。ジャンプ飛びてえんだけど」
「羽ばたくのよ。手を広げるのよ。それが美しいのよ」
「シングルアクセルって何それ、俺様ジャンプの人なんだけど」
「あえて飛ばないのよ」
「俺様ジャンプがカッケーしジャンプ飛びてえ」
「…トリプルアクセルを入れるわ」
「んならオッケーすっか、俺様美の化身になっちゃる」
レッスン中
「そうよ、もっと切ない気持ちになって。皆がうっとりするわ。
美しいわ、それでいいのよ」
「俺様美の化身してる? よし俺様美しさゲット」



私にとって、美というものは価値観の90%くらいを占めるものだが
(自分の美を追求するのではないよ。
美しいものを求めて、それらの中で遊ぶことが無上の喜びなのだ)
羽生選手にとってはそれは50%かそれ以下、でしかないのだろう。


彼は自分の魅力や美しさよりも、スケートのことで頭がいっぱいで、
スケートで天下を取りたいという気持ちが大きくて、
多分、自分の美にまで100%意識が向いてないのではないかという気がする。
美しさというものが表現して出来上がるものだと思っているから、
あれほど自己に対して散文的なのかと思うのだ。

戦うアイテムとして自分の美しさもその中にある、みたいな考えで、
だからあれほど自分の美に対して、魅力に対して無造作なのだと思う。



エキシのノッテに行く前、衣装を整えている場面がテレビに写るが、
いつもがっくりしてしまうのだ。
ノッテの世界と正反対の、がさつな熱血漢が
「さあやったろか」という感じでリンクへ滑り出す。
ノッテの世界と、あの無造作ながさつさとのあまりのギャップに驚くのだ。
自分がどんな衣装を着ているかも把握していないに違いない。
終わったあともフリップ飛んどけばよかった、とか悔やしがっていて、
笑えるくらいにがさつ。
あのエレガントは氷上の、あの音楽が鳴っている瞬間だけらしい。


それでも、今期のフリーでも同じだけれども、
闘志むんむんで位置につき、音楽が鳴り始めると、
とたんにエレガンスに変身する。とろけるような世界がそこに現出する。
美しいとため息をつかせる。
それはやっぱり彼の表現力なのではないのか。
それこそが表現、作品そのものに昇華された羽生結弦ではないか。


そのうち彼は僕は美しさが武器なんで…とか
平然とインタで言いだすのではないかと思ってしまう。
(あの…褒めてるんだけど…)




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