伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ヴィスコンティV.Sフェリーニ

2016年05月22日 | ルキノ・ヴィスコンティ
BSで
「ヴィスコンティV.Sフェリーニ」というドキュメンタリーをやっていたのを、
やっと見終わった。

彼らがイタリアで活動を始めた初期のころから、
ライバル心むき出して、仲も悪く、口もきかず、
長い間ずっとそういう敵対関係(?)にあったということを、
今初めて知って、びっくりした。


初期の頃の彼らをリアルタイムでは知らないが、
のちに映画ファンになり、映画の雑誌や、
ヴィスコンティが好きだったので、
その関連の書物など良く買っていたが、
そういうことは一つも触れられていなかった。

私はフェリーニは「映像の魔術師」として
独自の作風で一世風靡していて、名声も得ていて、
余裕の監督だと思っていた。

ヴィスコンティは、むしろ演劇畑の人で、
マリア・カラスのオペラの舞台なども演出していたし、
舞台演出家として有名で、映画の方は片手間仕事なのだろうと思い、
フェリーニと同時期ではあったけれど、
ちゃんと棲み分け出来ているんだろうと思い込んでいた。

今現在まで、
何十年間も彼らが不仲だったということを聞いたことがなかったので、
本当に驚いた。


思えばヴィスコンティもジャン・ルノワールの元で修業し、
映画を学んでいたので、最初から映画監督だったのだろう。
で、イタリアでは、片一方がこういう映画を撮った、
ではもう一人はどういう映画だ、
という具合に競争するように映画を作り続け、
比較されていたらしい。

それが、結果として世界的に評価される映画作品の誕生にもなっていったのだろう。
だからよけい本人同士がライバル心を燃やし、
口もきかなくなっていった。
同じチネチッタのスタジオで撮影していても、
顔も合わさなかったそうだ。


私が映画を見始めたころはフェリーニが「サテリコン」、
ヴィスコンティが「地獄に堕ちた勇者ども」で、
そのころにはもう和解していたらしいが、
ヴィスコンティが前作、カミュ原作の「異邦人」が失敗作で
(私は見ていないけれど、
ヴィスコンティを語る時にあまりこの映画の話が出ないので、
やはり失敗作だったのだろう)、
彼は半ば終わった人扱いだったように思う。
それが「地獄に堕ちた勇者ども」で一気に浮上し、
その後「ベニスに死す」という映画史に残る名作をものし、
それらを含むドイツ3部作によって、
映画界に確固とした地位を築いた。


フェリーニはフェリーニで相変わらず精力的に
「サテリコン」や「ローマ」など独自の圧倒的な映像で健在だった。
ただ、映画界的には
映像の魔術師であるフェリーニの評価は圧倒的で、
世界でも人気があり、好きな映画監督はだれかと聞かれた時に、
フェリーニとベルイマン、と答えれば映画通、
というような暗黙の共通認識があった。
映画業界でも人気があり、彼に憧れたり、
影響を受けたりした新進の映画監督も沢山いた。


私はヴィスコンティ派で、
フェリーニのあまり熱心ではない鑑賞者だったが、
それでも何作か見たことはある。
「カサノバ」「ジンジャーとフレッド」「インテルビスタ」
いずれも駄作というものがなく、映像は圧倒的だった。


ヴィスコンティはあくまで演劇畑出身の傍流、
と考えられていたと思う。
76年、ヴィスコンティの死後、徐々に再評価の機運が高まり、
それ以降、
映像作家としてもヴィスコンティの名は不動のものとなっている。

ドキュメンタリーでは、ヴィスコンティも映画作家として、
作品に向かう時は大変な集中力で精神を傾けて制作していたという。
私が思っていたような感じではなく、
ヴィスコンティもばりばりの映画人で、
むしろオペラの演出などが片手間仕事だったのかもしれない。


ドキュメンタリーには
二人の映画製作に加わった関係者のインタビューも挟まれており、
興味深かった。
クラウディア・カルディナーレが、
この人だれ?というくらい変わり果てていたのは、
なかなか悲しいものがあったが、
エンリコ・メディオーリやジュゼッペ・ロトゥンノなど、
当時の彼らの映画に携わった人がインタビューを受けていたのが、
とても感慨深い。

ここら辺、完全にオタ話になるので、
ついて行けないと思いますが、すみません。

かつてパンフレットや監督本などで名を連ねていた、
憧れのヴィスコンティの共同脚本担当のメディオーリの実物が見られたことに胸熱。
そして同じく、
長くあこがれのフェリーニのカメラマン、ロトゥンノの登場に胸熱。
今でもお元気なんですね。
本当に良かった。
彼のカメラは圧倒的で、その映像の威力、
迫力にいつも感嘆していた。
今現在、こういう映像を作り出してくれる撮影監督はいるのだろうか。


ヴィスコンティとフェリーニは、
20年くらい犬猿の仲を続けたのち、和解したそうだ。
その時の映像も映っていた。
お互いに意地を張って競争して映画を作り続けたが、
それがイタリア映画の世界的な評価に繋がっていったのだろう。




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