伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

琳派展

2015年11月12日 | 展覧会・絵
京都国立博物館の琳派展へ行って来た。

前期と後期で展示替えがあるので、
2回行って来た。
どんなに考えても一度では見られない、
見たい展示品があったのでしょうがなく、
前売り券のペア券というのを買って、
なるべく安く見られるように頑張った

案の定、博物館の近くのタバコ屋さん(本屋?)では
割引券は売ってなくて、
京都新聞のトマトカードでは100円しか割引がない。
一番安くで見られるように考えて前売りペア券にしたのだ。


宗達の風神雷神、鶴下絵、国宝の蓮池水禽図、
抱一の夏秋草図屏風、宗達の舞楽図屏風、
どれも一度は見たことのあるものばかり。

でも光悦の国宝舟橋蒔絵、
光琳の国宝八つ橋蒔絵硯箱と風神雷神は見たことがない。
だからそれらは見たかった。

確かに光琳の紅白梅図、燕子花図は今回ない。
だけどそれは贅沢というもの、
それらがあって初めて琳派と言われるというが、
もとよりそれらを見るのはないものねだりと承知していた。
風神雷神図の抱一のは大したことないと思っていた。
だけど、3つが揃うというイベントが大事。
そのイベントに参加したい。
そういう思いで念入りにスケジュールを立て、
見たいものを一番効率的にみられるように日にちを組んだ。


前期に行った時にはまだ抱一の風神雷神はなく、
夏秋草図だった。
抱一の渾身の名作だ(風神雷神よりよほど良いと思っている)。
これも一度見たことがある。
見たことがあってもやはりいい。

宗達の京博のご自慢の国宝蓮池水禽図は
もはや消え入りそうな墨の薄さで何が書いてあるかわからないほどだ。
だけどそれでも良い。
向かいの養源院から宗達の板戸絵が二つあったが
それも養源院で見たことがある。
だけどいいのだ。
舞楽図も醍醐寺で見たことがある。
でも、相変わらずこの間の抜けた構図がたまらないよな、
と心でつぶやきながら見る。


初めて見たのは光琳の風神雷神だ。
宗達の自由闊達なものに比べ固く、
だが派手できらびやか。
それから光悦のこんもりした造形の舟橋蒔絵硯箱、
これが初めて見られて満足した。


何といっても良いのは、鶴下絵だ。
私の大好きな絵巻だ。
何度も見たが何度見てもスリリングで興奮する。
重文だが国宝に格上げされてもいいと思っているくらいだ。

今回は部分でなく全部表示というのがウリだ。
つい、三十六歌仙の歌を書く光悦の気持ちになって見てしまう。

宗達が下絵を描きすぎているのだ。
調子が上がってハイテンションになったのか、
下絵という括りを超えてしまっている。
光悦は、この野郎、
描きすぎて書が書きにくいじゃないかと舌打ちしていたのじゃないか。
その文句を言いたいところを知らんぷりして
涼しく書を書いているのが憎い。
そして最後に印を押して、
見事に絵と書がまとまっている。
こんな、ジャズのインプロビゼーションみたいなコラボが
今書いたばかりみたいなクオリティで見られるのだ。
興奮する。
日本美術の中でも、最上位にランクするくらい大好きな作品だ。


前期に行った時には比較的楽に見られたが、
後期は大変だった。
待ち時間が50分、
風神雷神が3作揃うという触れ込みの中での鑑賞。

後期は光悦の舟橋に代わって光琳の八つ橋蒔絵がある。こ
れが見たいがために2度行くことにしたのだ。
この機会を逃したらもう見られないだろうと思う。
だから見に行った。
そして光琳の小袖。これはきれいだった。
風神雷神3作。
見たというだけだが、それでも揃っているところを見たという値打ちのため。
宗達のは、先も言った通り何度も見た。
でも飽きないね。
奔放で、ユーモラスで、自由だ。


後期には抱一の12ヶ月掛け軸があって、
思わぬ眼福だった。
抱一の軽みが好きな者にとって、
あの12か月の何とも言えぬ軽い力の抜けた感じがたまらないのだ。

鶴下絵や宗達の風神雷神を何度も見られるのは京都に住んでいる者の特権。
後期は混んでいて鶴下絵がほとんど見られなかったが、
でも何度も見ているから。
その気になればまたいつかゆっくりと見られることもあるだろう。
それがまた楽しみだ。
こんな時京都に住んでいてよかったと思う。


追加
乾山も好きだから乾山と光琳のコラボもよかった、
あまり触れられなかったのが残念。




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