伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ヴィスコンティと美しき男たち

2016年06月27日 | ルキノ・ヴィスコンティ



京都でも
「ヴィスコンティと美しき男たち」が上映されるようだ。

http://www.kyotocinema.jp/next.php

京都シネマで8月。
暑い盛りだが。

http://www.fashion-press.net/news/23047

これは全国で巡回上映されていたのが、
京都でもやっと公開されるらしい。
ヴィスコンティ生誕110年、没後40年とある。
今年はまたこういう記念の年でもあるのか。
いろいろ記念の年であるのだな。

https://www.facebook.com/visconti110/

予告編の動画 
https://www.youtube.com/watch?v=RZUVoO0P0b4
「ヴィスコンティと美しき男たち」予告編



また、「ルートヴィヒ」のブルーレイが
8月に発売されるらしい。
まさかの日本語吹き替え付き。




ヴィスコンティブーム、何十年ぶりかで来る??
来るといいのにな。



京都では「山猫」は4Kではないようだ。
なんやねん、それ。
意味ないやん。

む、この機会に見ておくべきか。
何十年ぶりかだもんねえ。
「ルートヴィヒ」の4時間の時間を作れるのか。
微妙だ。
「山猫」もノーカットなら3時間だ。
これは見たことがないよな…。

しかし私は実はアラン・ドロンがとても嫌いなのだ。
ただ単純に、顔が好みでないからというだけ。
だからアラン・ドロンとヘルムート・バーガーが
似てるとは全然思わない。

だけど、「地獄に堕ちた勇者ども」で、
カットによっては、あれ?アラン・ドロン? 
と思わせるようなところが確かにあるんだな。
だからヴィスコンティにしてみたら、どちらも同じ系統の、
要するに好みのタイプ、だったんだろう。

ドロンの映画は見てる。
結構いい映画に出てるからね。
「太陽がいっぱい」「冒険者たち」とか
「サムライ」「さらば友よ」なんか。

けど「山猫」の3時間はキツイな。
あの映画はヴィスコンティがドロンの正装を撮りたかっただけ、
と思ってる。

バーガーの4時間なら耐えられるが、
ドロンの3時間は耐えられないな。私には。
ドロン、嫌いだからなあ。

いくらヴィスコンティでも、
あまり見たくないというのもあるのだ。

テレビで「熊座の淡き星影」というモノクロ作品を放送していて、
全編見たことがあるのだが、これもキツかった。
全然覚えてない。
まるで頭に入って来なかった。
カルディナーレはこちらの方が野性的でよかったんだけどね、
何せストーリーが全部目からすり抜けてしまう。
なんも分からなかった。

これを詳細に分析しているブログがあるんだが、
そんな映画だったのかとびっくりするばかりだ。

ヴィスコンティといっても、
必ずしも私にフィットする映画ばかりではないんだな。
無理やり見ても面白くない。

だから私にはやっぱりドイツ3部作以降、
ということになるのかな。

というわけで「山猫」。
一応ヴィスコンティの代表作だからな。
見ておいた方が良いのかなあ。
悩ましいな。

ああ、「若者のすべて」のドロンはいいと思うよ。
あれはどう見ても、誰が見ても、
どんなにドロンが嫌いでもドロンを好きになってしまう。
そういう作り方をしている。
そういうところがヴィスコンティのうまさだなあ。




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ヴィスコンティとヘルムート・バーガー

2016年06月03日 | ルキノ・ヴィスコンティ
6月になった。
町を歩いていると、
アジサイの花がすでにそこここで咲いていて、
スーパーには水無月が売られている。
水無月ともなると、そろそろ祇園祭のうわさも聞こえて来る頃・・・


さて。
「ルートヴィヒ」撮影終了後、
ヴィスコンティは脳血栓で倒れ、
一命はとりとめたが入院をするはめになった。
自宅に機械を持ち込んで
編集作業に携わったと言うような話を聞いている。


「ルートヴィヒ」に撮影に入る時からプロダクションは大変だったそうで、
作品が完成し、公開された直後にプロダクションは倒産、
それからは
「映画の権利が誰のものであるかをめぐる、地獄のような争いが始まった」
と、3時間版初公開時のパンフレットに、白井佳夫氏が書いている。

白井氏は「ルートヴィヒ」のプロデューサーである、
ロバート・ゴードン・エドワーズにインタビューし、
そのエドワーズ氏の言葉を紹介しているのだ。


お金を調達する目途も立っていないのに撮影が始まってしまった。
それでもヴィスコンティは何一つ妥協することなく
大規模なロケや、壮大なセット、小道具ひとつにも妥協しない。
その挙句に病で倒れ命まで削るような作業になってしまった。


白井氏は、エドワーズ氏に、
「ヴィスコンティにそのような狂気の映画作りを遂行させた
原点となっていたものとはいったい何だったのか」
と聞いている。
エドワーズ氏は答えたそうだ。
「ヘルムート・バーガーに対する、愛だったのだろう、と思うよ」と。


その通りだと思う。
この壮大な4時間もの時間をかけた「ルードウィヒ」という映画は、
ほかでもない、ヘルムート・バーガーのためだけに作られたものだ。
そんなことは、ヴィスコンティ・ファンなら一目見るだけで分かる。
いやほかの人も分かるかもしれないが。

前半の輝くばかりに美しいバーガーのアップの多用、
あらゆる方向から彼を映すカメラ
(ヴィスコンティのカメラは常時3台装備)、
後半の無残な姿へ変貌してゆく王の演技力の見せ方、
ヴィスコンティがいかにヘルムート・バーガーを愛していたか、
見ているこちらは、そのあからさまな、
捨て身の「愛」にただもう、ひれ伏すしかなかった。
ああ、ここまでするんだ、
この不実な、あまり賢くもなさそうな俳優一人のために、と。


だけど、人が何か頑張ろうと思った時に、
結局その原動力となるのはそれしかないと思うんだよ。
むしろそれだからこそ、あそこまで行っちゃうんだ、
あそこまで頑張れるんだ、という。
何か人の業を見た気がする。


ヴィスコンティは「ベニスに死す」のあと、
次回作としてマルセル・プルーストの
「失われた時を求めて」の映画化を考えていた。
これは割と有名なことなので、
関連の書物に書かれていると思う。

ロケハンもし俳優も決め、脚本も書き上げた。
脚本はヴィスコンティ組でおなじみの
スーゾ・チェッキ・ダミーコとエンリコ・メディオーリ、
そして本人の三人。

その脚本は日本でも出版され、私も買って読んだ。
もう内容自体は覚えてないが、
プルーストの原作も読んでないけれど、
脚本はとても立派で、作品として完結していて、
映画になっても立派な映画になるだろうと思える内容だった。

キャストはアラン・ドロン、
ヘルムート・バーガーを含んだオールキャストで、
上映時間は4時間弱の予定、
ヴィスコンティはこれを遺作とする意志も持っていたとある本には書いてあった。
ところが例によって資金面で難航し、
計画は頓挫し、製作をあきらめざるを得なくなった。

普通なら、脚本まで出来上がっていた映画が中止になったら、
心が折れてしまうと思うのだが、
ヴィスコンティはそんなことには頓着せず(?)、
早速次に「ルートヴィヒ」の映画化を思いついた。

ここは何でかなと今も思う。
「失われた時」をさっさと諦めてしまったのが何でかなと。


とにかくこういう経緯を見ていくと、
ドイツ3部作と言われているけれど、
本来ははじめからそういう構想はあまりなくて、
たまたまドイツものが続いたという感じだ。
もちろんそこには、
ヘルムート・バーガーという存在があったからだ。


「ルートヴィヒ」の撮影を始めてみると、
「失われた時」に優るとも劣らず経費は膨らみ、
資金難と困難の嵐で、撮影したフィルムは長大になり、
上映時間は6時間になるとも8時間に及ぶとも言われた。

自分自身も病に倒れながら、
よく完成までこぎつけたなと言う感じだが、
それもこれも、ヘルムート・バーガーへの、
彼を何とか一流の俳優にしたい、という願いゆえだったのだろう。

ヴィスコンティは血栓症で倒れて療養していた時に、
トーマス・マンの「魔の山」の映画化の構想を考えた。
このこともファンの間では有名なことなので、
知っている人も多いだろう。
そして「魔の山」を含むドイツ4部作になる、という考えでいた。
懲りない人だ。

キャストはまたヘルムート・バーガー(ハンス・カストルプ役で)、
シャーロット・ランプリングなどを予定していたという。
しかしこれはわりと早い段階で頓挫した。

ヴィスコンティの「魔の山」はちょっと見てみたかった気がする。
それなりにまとまった映画になったと思う。
原作は、はじめをかじった程度だけど…。

幻に終わったヴィスコンティの映画を含めて見てみると、
やはりヘルムート・バーガーへの執着を感じる。
ヴィスコンティにとっては、彼の映画製作の原動力には、
やはりこういう存在がなくてはならなかった。
だから突っ走れた。

ヴィスコンティの初期作品は、私はあまりよく知らない。
見たものもあるけれど、もう一つ覚えてなかったりする。
彼のファンの中には、初期の方が良かった、という意見もある。

だけども晩年のヴィスコンティの、
前のめりの突っ走りぶりばかりを知る私は、
その彼の生き方をすごいと思う。
映画作品を含め、捨て身で自分をさらけ出す、
それを恥とせず堂々と貫き通したことに、心の底から敬意を感じる。




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ルードウィヒ3時間版

2016年06月01日 | ルキノ・ヴィスコンティ
ルキノ・ヴィスコンティの
「ルードウィヒ」3時間版について質問を受けて嬉しくなり、
このことについて語りたくなった。

私が最初に「ルードウィヒ」を見たのが3時間版だったので、
当然思い入れは3時間版の方が深くあり、
その時の印象が強烈だったので、
「ルードウィヒ」を語る時は、
おのずと3時間版を基本にして語っている。


最初に映画館で見た時に買ったパンフレットに、
白井佳夫氏
(多分キネマ旬報の編集長などをしていた人)の解説が載っていて、
彼は73年にローマで初めてこの映画を見て、
そしてパリでも見て、
マドリッドでも見ようとしたと書いている。
このことから73年当時には、
日本では上映されていなかったが、
ヨーロッパ各国では上映されていたことが分かる。


で、その時白井氏が見たのは3時間版(イタリア語吹き替え)
だったのかどうだったのだろうと今でも思っている。
オリジナルの英語版なら2時間半、
だけども白井氏は、この映画を見て「感動に震えた」と書いているから、
2時間半の映画ではこのような思いにはならないと思うので、
やはり3時間吹き替え版だったのではないかと想像している。
ヨーロッパではヴィスコンティみずから編集に携わったという、
3時間版が行きわたっていたのではないか。

当時(73年)4時間版はまだまったく噂にものぼっていなかったし、
その存在も知られてなかった、というか、
まだ存在していなかったのではないかと思う。

4時間版が映画館で正式に上映された時は、
全く見たことのないシーンが追加されていたし、
3時間版では曖昧にされ、
良く理解しきれなかったエピソードの説明もちゃんとされていて、
単純に、好きな映画の場面が増えているバージョンに喜んだ。

でも、映画はやはり最初に見た時の印象が決定づけられるものだ。


3時間版は、それでもほかの映画に比べて圧倒的に時間が長いので、
退屈になるかなとも思っていたが、
まあ、ほかの人が見れば退屈だったのかもしれないが、
私にしてみれば、ものすごく場面転換が早くて、
どんどんと話が突っ走り、そのカッティングワークの素早さに驚き、
一時も目が離せない、すごい疾走感の映画だと思った。

それに比べれば4時間版は、ゆったりと時間が流れ、
説明的エピソードも丁寧で、時系列に沿って話が進み、
ただその分、やはり冗長だなと思う。

3時間版は、シークエンスをぎりぎりまで切り込み、
出来る限りの説明部分を省き、
多少説明不足があっても時間を合わせるため、
カット出来る部分はぎりぎりまでカットしたのだろう。
そのせいでの疾走感になったのだと思う。


ヴィスコンティ本人は、
4時間版が最もやりたかったことであろうとは思うのだけれど、
私としては3時間版のあのスピードが決定的に記憶に刻み付けられた。
4時間版は、
まあヴィスコンティファンへのプレゼントと思うことにしている。


けれども今は4時間版が「ルートヴィヒ」の決定版として流通していて、
3時間版がなかったことのようにされているのは、少し悲しい。
私が感動し、衝撃を受けたのはほかでもない3時間バージョンだったから。

復元完全版と銘打った4時間版の映画公開時のパンフレットで、
黒田恭一が、
3時間版で感動して何度も見返していたあの感動はいったい何だったんだ、
みたいな感想を書いていて、
4時間版の出現(とその内容)に戸惑っていた
当時のヴィスコンティ・ファンの気持ちを代弁しているように思ったが、
ヴィスコンティとしてはあの4時間版の冗長さ、
だらだらかげんが(前にも書いたけど)むしろ狙いだったのだろう。
それをふまえて、なお私は3時間版の必死感が心にずっと残っているし、
それで受けた衝撃はただごとではなかったと信じ続けている。


COMMENT:
AUTHOR: YUKI
DATE: 06/03/2016 21:23:57
懐かしいです。私も3時間版「神々の黄昏」を北浜の三越劇場と祇園会館で見ました。
伊佐子さんの仰る通り、疾走感があり全く長さを感じさせませんでしたよね。
画面に唐突に解説役の人が出てきたりしてシュールでした。
4時間版は、私も深夜TVで見たのかな?
2夜に分けての放送だったように記憶していますが…


COMMENT:
AUTHOR: isako
DATE: 06/04/2016 09:51:37
コメントありがとうございます!。
祇園会館…。今は祇園花月になってしまって悲しい…。
3時間版、一瞬エリザベートの死に顔が出て来て、
これ4時間版では削除されてますよね。
テレビ放送は確かCMが挟んであって、
厳密には3時間40分くらいだったという記憶があります…。
昔なので私も記憶があいまいだ…




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ヴィスコンティV.Sフェリーニ

2016年05月22日 | ルキノ・ヴィスコンティ
BSで
「ヴィスコンティV.Sフェリーニ」というドキュメンタリーをやっていたのを、
やっと見終わった。

彼らがイタリアで活動を始めた初期のころから、
ライバル心むき出して、仲も悪く、口もきかず、
長い間ずっとそういう敵対関係(?)にあったということを、
今初めて知って、びっくりした。


初期の頃の彼らをリアルタイムでは知らないが、
のちに映画ファンになり、映画の雑誌や、
ヴィスコンティが好きだったので、
その関連の書物など良く買っていたが、
そういうことは一つも触れられていなかった。

私はフェリーニは「映像の魔術師」として
独自の作風で一世風靡していて、名声も得ていて、
余裕の監督だと思っていた。

ヴィスコンティは、むしろ演劇畑の人で、
マリア・カラスのオペラの舞台なども演出していたし、
舞台演出家として有名で、映画の方は片手間仕事なのだろうと思い、
フェリーニと同時期ではあったけれど、
ちゃんと棲み分け出来ているんだろうと思い込んでいた。

今現在まで、
何十年間も彼らが不仲だったということを聞いたことがなかったので、
本当に驚いた。


思えばヴィスコンティもジャン・ルノワールの元で修業し、
映画を学んでいたので、最初から映画監督だったのだろう。
で、イタリアでは、片一方がこういう映画を撮った、
ではもう一人はどういう映画だ、
という具合に競争するように映画を作り続け、
比較されていたらしい。

それが、結果として世界的に評価される映画作品の誕生にもなっていったのだろう。
だからよけい本人同士がライバル心を燃やし、
口もきかなくなっていった。
同じチネチッタのスタジオで撮影していても、
顔も合わさなかったそうだ。


私が映画を見始めたころはフェリーニが「サテリコン」、
ヴィスコンティが「地獄に堕ちた勇者ども」で、
そのころにはもう和解していたらしいが、
ヴィスコンティが前作、カミュ原作の「異邦人」が失敗作で
(私は見ていないけれど、
ヴィスコンティを語る時にあまりこの映画の話が出ないので、
やはり失敗作だったのだろう)、
彼は半ば終わった人扱いだったように思う。
それが「地獄に堕ちた勇者ども」で一気に浮上し、
その後「ベニスに死す」という映画史に残る名作をものし、
それらを含むドイツ3部作によって、
映画界に確固とした地位を築いた。


フェリーニはフェリーニで相変わらず精力的に
「サテリコン」や「ローマ」など独自の圧倒的な映像で健在だった。
ただ、映画界的には
映像の魔術師であるフェリーニの評価は圧倒的で、
世界でも人気があり、好きな映画監督はだれかと聞かれた時に、
フェリーニとベルイマン、と答えれば映画通、
というような暗黙の共通認識があった。
映画業界でも人気があり、彼に憧れたり、
影響を受けたりした新進の映画監督も沢山いた。


私はヴィスコンティ派で、
フェリーニのあまり熱心ではない鑑賞者だったが、
それでも何作か見たことはある。
「カサノバ」「ジンジャーとフレッド」「インテルビスタ」
いずれも駄作というものがなく、映像は圧倒的だった。


ヴィスコンティはあくまで演劇畑出身の傍流、
と考えられていたと思う。
76年、ヴィスコンティの死後、徐々に再評価の機運が高まり、
それ以降、
映像作家としてもヴィスコンティの名は不動のものとなっている。

ドキュメンタリーでは、ヴィスコンティも映画作家として、
作品に向かう時は大変な集中力で精神を傾けて制作していたという。
私が思っていたような感じではなく、
ヴィスコンティもばりばりの映画人で、
むしろオペラの演出などが片手間仕事だったのかもしれない。


ドキュメンタリーには
二人の映画製作に加わった関係者のインタビューも挟まれており、
興味深かった。
クラウディア・カルディナーレが、
この人だれ?というくらい変わり果てていたのは、
なかなか悲しいものがあったが、
エンリコ・メディオーリやジュゼッペ・ロトゥンノなど、
当時の彼らの映画に携わった人がインタビューを受けていたのが、
とても感慨深い。

ここら辺、完全にオタ話になるので、
ついて行けないと思いますが、すみません。

かつてパンフレットや監督本などで名を連ねていた、
憧れのヴィスコンティの共同脚本担当のメディオーリの実物が見られたことに胸熱。
そして同じく、
長くあこがれのフェリーニのカメラマン、ロトゥンノの登場に胸熱。
今でもお元気なんですね。
本当に良かった。
彼のカメラは圧倒的で、その映像の威力、
迫力にいつも感嘆していた。
今現在、こういう映像を作り出してくれる撮影監督はいるのだろうか。


ヴィスコンティとフェリーニは、
20年くらい犬猿の仲を続けたのち、和解したそうだ。
その時の映像も映っていた。
お互いに意地を張って競争して映画を作り続けたが、
それがイタリア映画の世界的な評価に繋がっていったのだろう。




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2006年11月26日 | ルキノ・ヴィスコンティ
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