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「七つの大罪」というものがありますか ~ 聖書

2021年11月08日 | 日記
「七つの大罪」というものがありますか
 
聖書の答え
聖書には「七つの大罪」が具体的に挙げられているわけではありません。しかし聖書は,重大な罪を習わしにするなら救いが得られないことをはっきりと教えています。
例えば聖書は,性の不道徳,偶像礼拝,心霊術,激発的な怒り,酔酒などの重大な罪を「肉の業」と呼んでおり,「そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません」と述べています。
「さて,罪深い欲望から出る行いは明らかです。それは,性的不道徳,汚れ,恥知らずな行い,偶像崇拝,心霊術,敵意,争い,嫉妬,激怒,不和,分裂,分派,ねたみ,酩酊,ばか騒ぎなどです。こうした事柄について私はすでに警告しましたが,あらためて警告します。こうした事柄を習慣にする人が神の王国を授けられることはありません」。
(ガラテア 5:19~21)(脚注①参照)
 
聖書は「主の……いとわれるものが七つある」と述べているのではありませんか
はい,述べています。
「新共同訳」(日本聖書協会)の箴言 6章16節にはこうあります。
「主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある」。しかし,続く箴言 6章17~19節に挙げられているのが重大な罪のすべてという意味ではありません。
むしろその聖句は,考え,言葉,行為によるものを含め,あらゆる罪深い行為の基本的な型について述べています。
(脚注②参照)
 
「傲慢な目,うそをつく舌,無実の人の血を流す手,邪悪なことをたくらむ心,急いで悪に走る足,うそばかり言う不正直な証人,兄弟の間に口論を引き起こす者である」。
(箴言 6:17~19)
 
 
「大罪」つまり「死に至る罪」とは何ですか
幾つかの翻訳は,ヨハネ第一 5章16節で「死に至る罪」という表現を使っています。一例として,「新共同訳」は「死に至る罪があります」と訳しています。「死に至る罪」は「死を来たす罪」と訳すこともできます。
 
「死を来たす罪」と「死を来たさない罪」はどこが違いますか。
 
「死に至らない罪を兄弟が犯しているのを目にした人は,兄弟のために神に願い求めてください。そうすれば,神はその兄弟に命を与えるでしょう。これは,死に至る罪を犯していない人の場合です。死に至る罪があり,そうした罪に関しては,願い求めるようにとは言いません」。
(ヨハネ第一 5:16)
 
聖書はすべての罪が死につながることを明らかにしています。しかし,わたしたちはイエス・キリストの贖い(あがない)の犠牲により,罪と死からの救いを得ることができます。
 
「このような訳で,1人の人によって人類に罪が入り,罪によって死が入り,こうして,全ての人が罪人になったために,死が全ての人に広がったように―」。
(ローマ 5:12)
 
「罪の代償は死ですが,神が与える贈り物は,私たちの主であるキリスト・イエスによる永遠の命なのです」。
(ローマ 6:23)
 
ですから,「死を来たす罪」とはキリストの贖いによって覆うことができない罪のことです。この種の罪を犯す人は,罪の道に凝り固まっていて態度や行動を改めることのない人です。
聖書はそのような罪を「許され」ない罪とも述べています。
 
「それであなた方に言います。あらゆる種類の罪や冒瀆は許されますが,聖なる力に対する冒瀆は許されません」。
(マタイ 12:31)
 
「人の子に逆らう言葉を言う人は皆許されますが,聖なる力を冒瀆する人は許されません」。
(ルカ 12:10)
 
 
【脚注①】
ガラテア 5章19~21節は15の罪を挙げていますが,それが重大な罪のすべてであるという意味ではありません。その続く部分で,「およびこれに類する事柄」と述べているからです。
読者は識別力を働かせ,ここに挙げられていなくても,それに「類する事柄」を見極めなければなりません。
 
 
【脚注②】
箴言 6章16節には,2つの数を挙げて後のほうの数を強調するヘブライ語の表現法が用いられています。聖書には同じ手法の表現が幾つも見られます。
 
「神はあなたを6つの災難から救う。7つ目の災難さえも危害を及ぼさない」。
(ヨブ 5:19)
 
『ヒルには,「ちょうだい! ちょうだい!」と叫ぶ2人の娘がいる。満足しないものが3つ,「十分だ!」と言わないものが4つある』。
(箴言 30:15)
 
「私の理解を超えるものが3つ,私が分からないものが4つある」。
(箴言 30:18)
 
「大地を震えさせることが3つ,人々が耐えられないことが4つある」。
(箴言 30:21)
 
 
 
 
 
「七つの大罪」の由来
「七つの大罪」は8つの枢要な罪を起源としています。それは西暦4世紀に神秘論者のエヴァグリオス・ポンティコスが発展させました。彼の著作は,修道士で苦行者であったヨハネス・カッシアヌスの著作に影響を与えました。  6世紀に教皇グレゴリウス1世はカッシアヌスの挙げた8つの罪を,「七つの大罪」,もしくはローマ・カトリックの神学が定義する7つの枢要な罪に変更しました。
その7つとは,高慢,貪欲,肉欲,嫉妬,暴食,憤怒,怠惰です。グレゴリウスはこれらを他の多くの罪のもととなる根源的な罪としました。