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神を信じる科学者たち Ⅴ どこに答えを見いだせるか~聖書

2020年06月30日 | 日記

どこに答えを見いだせるか


進化か創造かという議論がしきりになされている現状に,多少とも嫌気がさすことはないでしょうか。そうだとしても,それはあなただけではありません。

何しろ,論議の一方の側には学識のある科学者や研究家がいて,しばしば非常に専門的な用語を使い,教養のある聡明な人なら進化論を事実として受け入れるべきだ,と唱えます。
もう一方の側にはそれに劣らず高圧的な宗教家がいて,感情に訴える話法で,本当に信仰心があるなら自分たち独自の特殊創造説に同意すべきだ,と述べます。

そうした極端な見解は,多くの理性ある人々を遠ざけてしまいます。神が存在するかどうかという問いは,独断的な主張より深い考察に値します。
覚えておきたい点として,この問いは単なる討論や知的演習の題材として終わるようなものではありません。関係する争点は,あなたの命と将来に影響を与えるでしょう。


科学者にありがちな問題

すでに取り上げたように,著名な博識の科学者で,設計者もしくは創造者の存在を各種の証拠が示していると考える人は決して少なくありません。さらに踏み込む科学者たちもいます。
神の存在を独断的に否定する同僚たちの,科学者としての誠実さに疑問を投じるのです。

例えば,地球物理学者ジョン・R・バウムガードナーはこう述べています。
「その可能性がぼう然とするほど低いことを思うとき,多少とも正直さを持ち合わせた科学者が,生物界に見られる精巧さの説明として,どうして偶然の相互的作用などに頼ることができるのだろうか。数学的確率をよく認識した上でそのように説明するのは,私の見方で言えば,科学者としての誠実さが甚だしく欠けたことである」。

名高い物理学者のリチャード・ファインマンは,科学者としての誠実さの別の面を取り上げています。ある大学の卒業式の式辞の中で,「一歩進んだ特別の誠実さ」に言及し,
それには「振り返って自分は間違っているかもしれないと考え直すこと」が含まれると述べました。
そうすることは「科学者としての我々の責任であり,他の科学者に対してはもちろん,一般の人々に対する責任でもあると思う」と語っています。

進化論者が,自説は「間違っているかもしれない」といった言葉を付け加えるのを見たり聞いたりすることがあるでしょうか。
残念ながら,そのような慎み深さはあまり見られないようです。
実際,慎み深さと誠実さがあれば,自然科学というものは物質領域の研究に限定されるため創造者の存在に関する疑問には答えられない,ということを認める科学者はもっと多いはずです。

では,特殊創造説を提唱する宗教指導者たちについてはどうでしょうか。


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