神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

人に注目されようとして自分の義を人の前で行なうことがないように~聖書

2016年08月29日 | 日記

 

「人に注目されようとして自分の義を人の前で行なうことがないようによく注意しなさい。そうでないと,天におられるあなた方の父(神)のもとであなた方に報いはありません。
ゆえに,憐れみの施しをするときには,偽善者たちが人から栄光を受けようとして会堂や街路でするように,自分の前にラッパを吹いてはなりません。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けているのです。しかしあなたは,憐れみの施しをする際,あなたの右の手がしていることを左の手に知らせてはなりません。あなたの憐れみの施しがひそかになされるためです。そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの父(神)が報いてくださるでしょう」。「また,祈るとき,あなた方は偽善者たちのようであってはなりません。彼らは,人に見えるように会堂の中や大通りの角に立って祈ることを好むのです。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けているのです」。
聖書(マタイ書6:1~6:5)




「見てもらおうとして,人々の前で施しをしないよう注意しなさい。
そうでないと,あなた方には天におられるあなた方の父(神)からの報いはない。だから,あなたがあわれみの行為をする時には,
偽善者たちが人々から栄光を受けようとして会堂や通りでするように,自分の前でらっぱを吹き鳴らしてはいけない。
本当にはっきりとあなた方に告げるが,彼らは自分の報いをすでに受けている。 むしろ,
あなたがあわれみの行為をする時には,右の手がしていることを左の手が知ることのないようにしなさい。 あなたのあわれみの行為がひそかになされるためだ。
そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの父(神)が,
公然とあなたに報いてくださるだろう」
「あなた方は祈る時,偽善者たちのようであってはならない。彼らは,人々に見られるために会堂や通りの角で立って祈ることが大好きなのだ。本当にはっきりと,あなた方に告げるが,彼らは自分の報いをすでに受けている」。
聖書(マタイ書6:1~6:5)





「自分の義を,見られるために人の前で行わないように,注意しなさい。
もし,そうしないと,天にいますあなたがたの父(神)から報いを受けることがないであろう。だから,施しをする時には,
偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように,
自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが,彼らはその報いを受けてしまっている。あなたは施しをする場合,右の手のしていることを左の手に知らせるな」。 「それは,あなたのする施しが隠れているためである。すると,隠れた事を見ておられるあなたの父(神)は、報いてくださるであろう。また祈る時には,偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして,
会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが,彼らはその報いを受けてしまっている」。
(マタイ書6:1~6:5)

 

 

                                                          

 

 

 


映画「この世界の片隅に」予告編

2016年08月29日 | 日記

 

 

【クリック】
11月12日(土)全国公開 映画「この世界の片隅に」公式サイト

あらすじ~ウィキペディア~
1944年(昭和19年)、絵が得意な少女浦野すずは広島市江波から呉の北條周作のもとに嫁ぐ。
戦争で物資が不足する中、すずは不器用ながらも懸命にささやかな暮らしを守るが、
軍港の呉はたびたび空襲を受けるようになり、1945年(昭和20年)6月、すずも爆風で右手首から先を失う。
見舞いにきた妹のすみからお祭りの日に帰ってくるよう誘われるが、その当日8月6日、
呉では閃光と轟音が響き、広島方面からあがる巨大な雲を見る。
8月15日、ラジオで終戦の詔勅を聞いたすずは、今まで信じていた日常を裏切られたくやしさで泣き崩れる。
翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、祖母の家に身を寄せていたすみと再会。両親は亡くなり、
すみには原爆症の症状が出ていた。廃墟となった市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、
戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻るのだった。