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夏目漱石を読むという虚栄 3320

2021-05-29 11:30:18 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

 

3000 窮屈な「貧弱な思想家」

3300 明示しない精神

3320 スタイル

3321 「奇々怪々の妖魔文章」

 

Nの小説は総じて意味不明なのだが、それらに関する論評なども意味不明だ。なぜ、こんなことになっているのだろう。なぜ、出版社はこうした不可解なものを平然と世に送り出してきているのだろう。

「明治の精神」のせいだ。

「明治の精神」を〈明治天皇の精神〉と誤読する人がいる。しかし、「明治の精神」が漠然と暗示している気分か何かは、明治天皇の生誕や即位、「崩御(ほうぎょ)」などと、直接の関係はない。あるとしても検証不能だろう。

「明治の精神」の意味は推測するしかない。私の大雑把な印象では、「明治の精神」はある種の思想や信念ではない。スタイルだ。文体。態度。構え。規範。癖。

 

<福地が標的とするのは、なんと大日本帝国憲法の告文と憲法発布の勅語の文体である。たとえば、後者の勅語の冒頭はこんなぐあいである。「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗に承クルノ大権に依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」。

このような布告や勅語を拝読して正しく解釈できる者は、「此四千余万の日本臣民中」に何人いるだろうか、と福地は問いかける。おそらく大学を卒業した秀才でも理解できないはずだ。というのは、このような文は「支那古文中にても尤も典雅を以て称せられたる尚書の文体」に則っているからだ。けれども、専門の漢学者であっても、これらの文を正確に解釈することはできないはずだ。なぜなら、「其文字言語の特別なる新意義は彼輩(漢学者)が更に知り得ざる所たればなり。現に帝国憲法七章七十六条中に掲げられたる文字には自から特別の意義を表し其秘密術語を知るに非ざれば得て通暁し難き所あればなり」。こうした漢文体の文章は、形式的には古典漢文にもとづいているかもしれないが、意味内容の面ではそうではない。その文体は、「特別の意義」がこめられた「秘密術語」によって組み立てられているため、特定の者にしか理解することのできない、いやもしかしたら誰にも理解することのできない独特の文章になっているからである。福地は痛烈にもこのような文章を「奇々怪々の妖魔文章」となづける。

(イ・ヨンスク『「放縦文法」から「妖魔文章」へ』)>

 

翻訳不能の「妖魔文章」は〈霞が関文学〉を含む現代日本文学および論文の源流か。

Sから「明治の精神」という、痛切なようでも意味不明の造語めいた言葉を聞かされ、静は「殉死」という前近代的な言葉を返してきた。負けそうになったSは、二つの言葉を繋ぎ合わせ、「明治の精神に殉死する」という文を急造する。ただし、さらに意味不明になった。だから、「殉死」に「新らしい意義」があるみたいに自己欺瞞する。その「意義」が静に理解できたかどうか、不明。Pに理解できたのかも、不明。だが、そんなことは、Sにとって、いや、作者にとって、どうでもいいのだろう。

「明治の精神に殉死する」という言葉は「奇々怪々の妖魔文章」であると同時に、「明治の精神」の発露でもある。『こころ』は「妖魔文章」だ。Nの他の小説も同様。

 

 

3000 窮屈な「貧弱な思想家」

3300 明示しない精神

3320 スタイル

3322 「よいどれ語」

 

〈意味〉について、基礎から確認しなければならないらしい。

 

<ところで、言語活動の中に結晶してひそんでいる本質主義的な偏見のとりことなっているのは、とりわけ価値に関する語彙である。「おくびょう者」、「不潔なブルジョワ」、「アラビア野郎」、「コミュニスト」などと言うことは、いいかえれば自分がぶつかったテーブルを、それが憎いからといってなぐるようなものだ。

ここでもわれわれは、個人的で移ろいやすい主観的判断をもって絶対的な特徴とみなしている。特に道徳的価値に関する言語活動は、もはや現実の構造に対応していないし、われわれの経験と無関係に、責任とか刑罰とかの概念を含んでいる。

このような語は絶えず再定義されなければならないのだが、そのことは語が抽象的になるにつれてますます困難になる。われわれの「fusil〔銃〕」が祖父の時代のfusil〔火打石〕ではないということはいつでも検証できる。だが、「paresse〔怠惰〕」とは何か?自分の課題を果さないことか、水を汲まないことか、材木を切らないことなのか? 「自由」とか「民主主義」というたぐいの抽象語になるとさらに、定義のための検証されうる具体的な実体から遠ざかる。そしてそれらの語の価値が進化するばかりか、それらの指示内容についてさえだれも一致しないことになる。まことに、錨索を切り、冒険に向って漂流しはじめるよいどれ語なのだ。

(ピエール・ギロー『意味論―ことばの意味―』「第6章 さまざまの意味論」)>

 

平成生まれは〈差別的表現は、昭和なら許されたけど、令和では駄目なんだよね〉なんて嘯く。大間違い。昭和にも禁句はあった。言葉狩りもあった。

 

<本質主義とは、男性や女性の中に、ある生物学的・心理的な〈本質〉を認め、さらにそれを時代が変わっても変化することのない、普遍的で絶対的なものだとする考え方のこと。逆に構成主義とは、人は社会の中でさまざまな要素から〈構成〉されるものであって、絶対的かつ普遍的な本質などないのだとする考え方。

(『百科事典マイペディア』「本質主義・構成主義」)>

 

この意味での「構成主義」は〈構築主義〉とも訳されるそうだ。

 

<たとえば、多くの人々は「地球は丸い」ということを体験的に確認しているわけではなく、物理的計算や史実に基づいて共有された社会的な現実として認識している。このように、客観的かつ物理的な現実として存在すると考えられている「丸い地球」も、人々が共有する「地球は丸いものだ」という認識によって構築された現実として理解される。

(『日本大百科事典(ニッポニカ)』「構築主義」田中智仁)>

 

本質主義であれ、構築主義であれ、私としては「通じさえすれば満足」なのだが。

 

 

 

3000 窮屈な「貧弱な思想家」

3300 明示しない精神

3320 スタイル

3323 スキゾフレニア

 

「不可思議な恐ろしい力」(下五十五)と「この不可思議な私というもの」(下五十六)の関係は、私にはわからない。「遺書」が、いや、『こころ』そのものが、私にとって「不可思議な」ものだからだ。「不可思議」という言葉こそが意味不明だ。

 

<実際、前世紀の後半から徐々に胎動をはじめて今世紀初頭に顕現する文化や芸術のさまざまな流れはそれ自体、スキゾフレニアの文化的成就と言っても過言ではないほどで、ヤスパースはすでに一九二二年に「一八世紀以前の精神にとってヒステリーが自然的な適合性をもったように、精神分裂病は現代になんらかの適合性があると想像できるかもしれない」(前掲書)と、スキゾフレニアと現代文化との親和性を控え目ながら指摘しているし、同じドイツのウィンクラーは一九四九年に、自然主義にのっとってきたそれまでの「循環気質性芸術」にたいして、反自然、非現実を標榜する現代芸術をはっきり「分裂気質性芸術」と名づけているほどである(『現代芸術の心理』)。

(宮本忠雄『言語と妄想 危機意識の病理』「現代文化の精神病理」)>

 

「前世紀」は一九世紀。「今世紀」は二十世紀。

『こころ』は、「スキゾフレニアの文化的成就」として高い評価を得ているのではなかろう。しかし、建前と本音は違っていて、逆の可能性がある。日本人は「スキゾフレニア」を〈英知〉などを混同してしまいがちなのかもしれない。

 

<これまでの検討で示されたように、日本語という私たちのことばは、危機状況に際して、ど表音性と表意性の二方向に乖離する傾向のあるらしいことがわかるのだが、しかし、考えてみると、もともと、表音文字と表意文字の両系列からなる日本語では、表音性と表意性がこれまでもけっして安定した均衡をたもっていたわけではなく、むしろ、長い歴史のなかで絶えず動揺にさらされていたと見るのが真実に即している。むろん、これは戦後の国語審議会のレベルの話などではない。この辺の消息は私のようなことばの非専門家のよく解説できるところではないにしても、大ざっぱにみて、たとえば、日本の上代に中国文化の渡来とともに入ってきた漢字がその表意性によってやまとことばの表音性を浸食したのは事実だろうし、また、くだって明治期に、こんどは西欧の言語や思考が導入されて、それまで数百年にわたる安定をたもっていたことばの記号体系が激変をこうむった経緯もまちがいなく指摘できるだろう。日本語にとって、こんにちの言語状況は、いってみれば歴史上第三の危機であって、表音性は表意性にたいしてふたたび優位に立とうとしているのが実情のようにみえる。

このように、日本語はその成立の宿命からして表音性と表意性が遊離しやすい傾向を潜在的にそなえているわけだが、これは精神病理の領域でいよいよ鮮明に顕在化する。

((宮本忠雄『言語と妄想 危機意識の病理』「日本語と言語危機」)>

 

日本文学の「領域で」はスキゾ的傾向が「顕在化し」にくいのだ。

 

(3320終)

 

 


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